瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

渇愛をぶらさげて

2004年12月24日 | 瞑想日記
◆夏の瞑想合宿のさい、深い瞑想体験への強い期待を持ちながら、その期待の心に最初は全くサティが入っていなかった。地橋先生に指摘されて、期待の心にもサティを入れるようになったが、妄念は消えず、むしろますます強まった。深い瞑想への期待、いや渇愛が消えた分けではなかったからだ。本当の意味で無執着になることができなかったからだ。

◆ブログ瞑想/セカンドライフ/唄 (スローライフに移行する先人の知恵と秘密)
が、私の18日のダイアリー「つかまず、狙わず」にこんなコメントをつけてくれた。

「〆見ようと思うと逃げていく。追いかけると逃げていく。意識すると逃げていく。力を抜いて、共にあることをただ自然に思い感じる。そうすれば理想も夢も近寄ってくる。そんな体験をされたそうです。僕も先日ディジリドゥ(世界最古のアボリジニの楽器:)を教えてもらって、そんな感覚を感じました。難しいけど体得したい。」

◆瞑想合宿に、私はまたさまざまな渇愛をぶらさげて参加するだろう。それらにどれだけ気づき、受容し、無執着になることができるのか。そんなことをじっくり見据える瞑想になるのだろうか。
コメント
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