ジャパンオープン大阪2009でのレスキューチャレンジは以下の方法で順位付けしていました。
・合計得点の多いチーム
(同じ得点なら)
・合計タイムの少ないチーム
(さらに同じタイムなら)
・発見した被災者の多いチーム
(被災者の発見数も同じなら)
・減点が少ないチーム
としていました。
ちなみに、競技時間は最大8分間ですが、途中棄権すると計測タイムは8分になりました。
これは、ゴールしたチームより、途中棄権したチームのほうの時間を長くする為のようです。
ジャパンオープン大阪2009でのレスキューチャレンジは以下の方法で順位付けしていました。
・合計得点の多いチーム
(同じ得点なら)
・合計タイムの少ないチーム
(さらに同じタイムなら)
・発見した被災者の多いチーム
(被災者の発見数も同じなら)
・減点が少ないチーム
としていました。
ちなみに、競技時間は最大8分間ですが、途中棄権すると計測タイムは8分になりました。
これは、ゴールしたチームより、途中棄権したチームのほうの時間を長くする為のようです。
ジャパンオープン大阪2009のベースキャンプとしてM&Y家族が使用したホテルは、「ホテル ザ・ライブ・アーテックス」です。
ここは、初めてジャパンオープンに参加した2007年も泊まりました。
そのときに、もうM&Y家族全員が気に入って、「もし、もう一度大阪に行くときは、やっぱりあそこね」という感じでした。
場所は、上本町なので、会場からは鉄道で4駅ほど離れていますが・・・
ちゃんと土間と分かれた玄関
大きな室内・・・ベットが4台並んでも余裕余裕
大きな風呂・・・大きな湯船に大きな洗い場 ジェットバスでゆっくり疲れを癒す
湯船いっぱいにお湯を張って、湯船に入ると・・・ザバ~っとお湯があふれる
あ゛~王様みたい。 いやっ王様はそんなことしないって。
大きな洗面所
大きなトイレ・・・逆にちょっと落ち着かない?
大きなウォークインクローゼット・・・ここでもう一人寝られるんじゃない?
キッチンと洗濯機と乾燥機・・・その日の汚れはその日のうちに
で、さらに応接セットが中央に「デン」と配置されています。
テレビは、応接セットの前とベットの横に1台づつあります。
今回一番気に入ったのが、マッサージチェアです。
あ~い~う~え~お~ い~や~さ~れ~る~ 家族で奪い合いです。
この前はできなかったインターネットも出来るようになったようです。
もう言うこと無し!
と、こんな広くて快適な部屋でしたが・・・
蘇州世界大会の時に泊まったホテルにはかないません。
何と言っても、トイレが2つ、風呂も2つ、洗面所も2つ、リビングとキッチンとダイニングの他にベッドルームが3部屋ですから・・・さすがに、あそこ以上のホテルは、もう一生泊まれないだろうなぁ。
ジャパンオープンは三日間の日程でした。
一日目は練習日なので、4つの競技台全てで練習ができました。
二日目は、個別競技ラウンドとして、2回の競技がありました。
三日目は、個別競技ラウンドの3回目とマルチチームによるラウンドが1回だけありました。
二日目の2回の個別協議ラウンドの合計点の多い順に12チームが選抜されて、3回目の個別競技ラウンドに参加できました。
マルチチームのラウンドは、本来は2回のハズだったのですが、時間がとれずに1回だけになってしまいました。
マルチチームで友達の輪がもっと広がるハズだったのですが残念!
ちなみに、競技は
・セットアップは2分間、競技時間は8分間
→ レスキュー2009のルールどおりですね。
・セットアップは、センサーの調整のみ可能、アリーナ脇でPCを使用してもよい。
→ センサーの調整のみで、走らせてはいけない決まりでした。 これはジャパンのローカルルールでしょうか?
・(実際の競技コースでの)試走は禁止。
→ 競技用フィールドでは練習をさせないということでした。
・途中棄権した場合は競技時間を8分間とする。
→ 同点でも、ゴールしたチームを優位にするためと思われます。
こんな感じでした。
もし、2分間の調整時間で調整が終わらない場合であっても、時間の計測はスタートしました。 (つまり、調整に4分かけると、競技できるのは6分間だけになる。)
今回、RCXのチームに厳しい運営だったのですが・・・
RCXの調整は
(1) RCX(ロボット)明るさを計測する。
(2) パソコンのプログラムを修正する。
(3) 作成したプログラムをRCXに転送する。
という作業になるのですが、(3)の作業だけでも2分掛かってしまいます。
つまり、実質的には2分間で調整することはできず、2分間を無駄に過ごしていました。
しかも、競技台によって明るさが違ったらしく、本番の競技台で明るさ調整が出来ないのはとってもかわいそうでした。
この、アバウトなスケジュール。
ちなみに、今回は、ジュニアパーティなどの交流会がありませんでした。 (がっくし)
今日は、親子で自転車の整備をしました。
古いタオルで汚れを落とし、可動部分には潤滑油をさし・・・タイヤの空気のチェックして・・・
よし、これで新品同様に・・・は、ならないなぁ。
私のは、安物なので、もうサビが結構あるし・・・。
各自の自転車の整備が終わったら、それぞれ試しに運転して終了です。
さて、自転車小屋に片付けようとおもっていたら、Yから「お父さんの自転車乗らせて」との要望がありました。
「足が届かないと思うけど・・・」と渡すと、なんとか器用に乗りこなしています。
なんか、とても楽しそうです。
これ、やっぱり他人が見ると、不思議な自転車ですかねぇ。
こっち見なくて良いから、前見て運転してくれ~
ジャパンオープン大阪2009について
まず、会場は京セラドームです。 大きな野球場で外光は全く入っていなかったと思います。
場所的にも広く快適で、飲食は観客席でしました。 ただ、必ず、観客席から入退場をしなければならず、大きな荷物を抱えて観客席の階段を上ったり下りたりしていました。
今回のレスキューの参加チームは、全部で48チーム(多いなぁ!)
プライマリが29チーム、セカンダリが19チームです。
マルチチームをするはずなのになぜか両方とも奇数!なのは、なにかの手違いがあったようです。 結局最終日は帰ってしまったチームなどがあり、マルチチームの組み合わせで問題はありませんでした。
レスキューのフィールドは4台用意されていました。
3台が競技用、1台が練習用でした。
基本的には競技用のフィールドでは練習はできません。
3台の競技用フィールドは同じコ-スレイアウトにしていました。(関西の宮﨑先生が、きちんと計測して指示していたので、ほとんど誤差がないように、3台共に同一のコースを再現できていたと思います。)
競技は、「どの台の何番目」を毎回くじ引きで決めました。
また、全ての競技毎にコースレイアウトを変更していました。 またコースレイアウトを競技の直前に変更していたので、競技順が前の方のチームは不利だったのではないでしょうか。
練習用のフィールドは、いつでも自由に使うことが出来ましたが、コースは初日に設定したものがそのままになっていました。(ですので、競技用のコースとは違っています)
1台の練習用フィールドに48チームが集中してパニックになるかと思っていたのですが、意外と問題はありませんでした。 (レスキューのチームは紳士的ですねぇ。)
競技台は、一階が2部屋、二階が1部屋の普通の大きさです。 今回ダイセンが開発した「コンパクトに収納が可能」な競技台で、大会の最終日には、スタッフ全員で分解、収納をしました。
1台5万円くらいのようなので、個人で買うことも可能な範囲ですね。 (この値段は、今回の競技に使用した中古の値段かもしれません・・・)
4台の競技台ですが、微妙な設置場所の違いで結構明るさの差があったようです。
別に書きますが、今回はLEGOのRCXを使用したチームには、非常に厳しい運営であったと思います。
M&Y家族がロボカップに参加して3年目です。
昨年まで、運良く? 世界大会まで行けたので、一連の大会については見たり、体験したりしてきました。
本来であれば、ジャパンオープンや世界大会に参加したチームが参加報告などを作成し、ジュニアジャパンのHPあたりで全国のチームにフィードバックすべきなのかなぁ、と思っていたりします。
で、今回もジャパンオープンではこんなだったよ。 ということを伝えて行きたいと思います。
もちろんオフィシャルの情報ではなく、あくまでも私個人の意見です。
今回のジャパンオープンへの参加にあたり、M&Y家族は大阪へはバラバラに移動しました。
私とYは5月8日の早朝の新幹線です。
M&Y母は前日、Mは5月8日は普通に授業(というか試験)があったので、5月8日の夜の移動でした。
私たちが乗った「のぞみ」はN700系で、とっても快適でした。
もう、乗り込んだ瞬間からゲームを始めるYです。 旅行ってそんなもんじゃないだろ!
富士山もうっすらと見えました。
この、N700系には電源コンセントが付いてるのですね。
めったに新幹線など乗らないので・・・全然知りませんでした。
自分のゲーム機は充電して、M&Y父のゲーム機で遊び続けるYです。
「疲れた~」・・・でも、あくまでもゲームを続けるYです。
その根性はすばらしい! でも、もっと別のこと(勉強とかロボットとか)に使ってくれ!
ロボカップジャパンオープン大阪2009の会場は大阪の京セラドームというところでした。
さて、どんな所かというと・・・
大阪環状線の大正駅から、少し歩くと、突然ビルの谷間から何やらあやしい建造物が・・・
どう見ても、地球防衛軍の基地にしか見えません。
階段を上がって入口に近づくと
ロボカップの看板がありました。
中は、まんま野球場です。 巨大な観戦席のスペースに囲まれて、階段をどんどん下りていくと、グラウンドになります。 このグラウンドに競技スペースが広がっていました。
行きと帰りには必ず、この階段を上り下りしなければなりません。 トイレも食事もこの階段を通ります。 結構きつかったです。 最終日は大きな荷物を抱えてこの階段を通りました。
この写真の右手前がジュニアサッカー、右奥がジュニアレスキューとダンスです。
天井は、完全に塞がれており、太陽の恵みは一切ありません。
(この天井を見て、Star Trek の「U.S.S. Enterprise」を想像したのは、きっと私だけでは無いと思います。 「光子魚雷(photon torpedo)発射!」「イェッサー」)
ということで、競技者にやさしいかというと・・・そういうわけでもありません。
照明の光が結構低い位置から当たり、レスキューのフィールドに反射して、ロボットの下の光センサーに影響していたようです。 さらに、フィールド毎に明るさが違ったらしいです。
(非公式な測定では、フィールド1とフィールド3では400ルクス違っていたとか・・・)
まあ、どんな条件でもやるのがレスキューですけどね。
競技会場はとても広く、パドックも余裕がありました。 冷房も効いてるし・・・さっ寒うっ
昨年の蘇州世界大会でパドックが隣だった香港チームのメンターFung先生からメールが来ました。
やっぱり、今年の香港大会で優勝したようです。
彼の学校のチームは12歳~13歳のチームで、セカンダリの最年少優勝だそうです。
(昨年のチームメンバーも小学校を卒業したてのような幼いメンバーだったよなぁ。)
でも、「グラーツには行かない」ということです。
えっなんで?
まあ、いろいろと理由があるのでしょうね。
こちらは、残念ながら良い成績じゃなかったって返しました。
香港大会の写真をもらったので、掲載します。
おめでとうございます。 Fung先生!
M&Y家族は香港が大好きです。
今年は、世界大会が無いから、香港に行けるかな? その前に車の買い替えだろうなぁ。
ジャパンオープン大阪2009の競技コースですが・・・
申し訳ありません、きちんとした記録がありません。
今回は、競技直前にコースを設定し、競技開始後は審判が忙しくて・・・
と、言い訳をしておきます。
唯一まともに記録されていたのが、3日目の決勝のコースです。
スタート直後のイエローゾーンは、ゆったりとしたカーブと直線が組み合わさった、特にどうということの無い平凡なコースです。 このコース自体は4回の競技で変わりませんでした。
変わったのは、3日目の競技では、4人目の銀の被災者が追加されたことです。
短い廊下を越えて、オレンジゾーンです。 ゆるいカーブのクランクの先が短いギャップです。
ギャップ自体は短いのですが、ギャップの前の直線が短く、ここで外れるチームが多かったです。
ギャップを越えると、直角の連続で、そこに緑の被災者が配置されてます。 これも、結構難しい。
さて、その先の鋭角に「バルサ材で作成されたキューブ」が置かれています。
(個人的には、ル-ル違反だと思うのですが、レスキューの競技の意味を考えると、何があってもおかしくないということで、決勝に置かれました。)
このキューブ(M&Y語録:クルトン)に、「P2.5」は翻弄されました。
なるべく低重心にするために、極力最低地上高を下げていたのが仇となり、クルトンが車体の下に入りタイヤが空転してしまいます。 微妙な大きさが本当にちょうど「P2.5」の苦手な大きさでした。 これがなければ・・・まあ、変わらないか!?
鋭角を曲がると、斜めに置かれた大きな障害物が待っています。 しかも、その両側には減速バンプの片割れが両側に・・・「LINK方式」には非常に厳しいコースになっています。
ロボットの前のタッチセンサーの谷間に石があたり、石を感知しないロボットもありました。
そして、この減速バンプの片割れ対策のため、多くのチームが大きく迂回するようにプログラムを修正したのですが・・・(今回は競技の直前にコースを変えたので)第1組の競技チームは対策をすることが全くできずに、とてもかわいそうでした。
障害物を越えると、またまた鋭角があり、今度は長いギャップの中に銀の被災者がいます。
そして、最後に減速バンプが斜めに配置されていました。
今回、減速バンプを越えられないロボットはさすがにありませんでしたが、斜めの減速バンプでの誤発見が何組かありました。
オレンジゾーンを越えると傾斜路になります。 傾斜路には2人の被災者が多少左右に配置されていました。 この傾斜路で、これまでの競技台と違うのは、傾斜路の前後の小さな部屋の奥行きがあることです。(この説明分かります?) 上の写真で傾斜路の上と下の部分が左側に膨らんでいるということです。
最後が、レッドゾーンです。 大きな障害物と、たくさんの楊枝(写真ではまとめられて山になっていますが、競技の時には平均的に撒かれました。)があります。 写真の手前が入口ですが、入口のすぐ近くに、減速バンプが斜めに貼り付けられています。 写真左奥がゴールです。
以前に、壊れたNDSを修理(というか、外装の交換)をしました。
あのときは、面倒だったので、二度としたくない・・・と思っていましたが、また懲りずに外装の交換をしてしまいました。
かって、MとYに一台ずつ使わせていたNDSですが・・・Mは本棚から本を落下させて、下画面の液晶を粉砕しました。 一方Yは、酷使した結果、上画面のヒンジを割ってしまいました。
それぞれが、上と下を壊したので、壊れていない部分も上と下と一組ずつ・・・これを組み合わせて合体させたのが、こちらの商品です。
Yが使っていましたが、売っていない色の組み合わせなので、結構ウケは良かったです。
アトランタにも持って行きました。
このなんとか生きながらえたNDSですが、やっぱり酷使の結果か、ヒンジがガクガクするようになりました。
なんか、使いにくそうなので、えいっとばかりに、またまた外装の交換をしてみました。
もう、何回もやっていいるので、作業は慣れてきました。
でも、相変わらず細かい作業で、面倒ですけどね。
またまた、生まれ変わりました。
もう、Liteが活躍しているので、あくまでも予備機なのですけれども・・・まだまだ頑張ってくれよな。
ジャパンオープンの二日目に、私のデジカメが突然エラーになり、メモリーを読めなくなりました。
「カードを初期化してください。」とか出てるし・・・
ここで、カードを初期化すれば、今後は使えるかもしれないけど今までに撮ったものは完全に消えるだろうなぁ。
とはいえ、とてもメモリカードを買いにはいけそうにないし・・・
あとは、小さなデジカメを予備には持っていっているけど・・・
困ったときに、救いの手がありました。
関東ブロックOBの「れむさん」がロボカップ見学に来ていて、しかも、今日は日本橋に行くとかいっていたなぁ・・・ということで、電話をしてみると、タイミングよく日本橋に居るとのこと。
早速、コンパクトフラッシュを買ってきてもらい、継続して写真撮影ができました。(多謝)
で、家に帰ってきてから、読めなくなったメモリカードの修復作業をしました。
普通にはやっぱり読めません。(フォーマットしますか? となります。)
そこで、ファイル復元プログラムの登場です。
とりあえず、復元元にフラッシュメモリを指定すると・・・写真のファイルらしきものがどんどん現れてきます。 待つこと30分。 全ての写真データが元に戻りました。
よかった!
残念なのは、今回はあまりの忙しさで、写真もあまり撮れませんでした。
(スタッフになるのも考え物だと、家族で反省してます。)
今日は、いつもと同じ平凡な日です。
でも、きつかった~。
疲れが、全然回復していません。
でも、とりあえず、これで我が家のロボカップ2009プロジェクトは終了ということみたいです。
では、また、どこかでお会いしましょう。
(我が家の「ロボカップ2010」はあるのかなぁ?)
本日は、レスキューの決勝とマルチチームがありました。
レスキューの決勝は先日の個別競技(2試合)の合計点の上位12チームでやります。
今回は、コースもすごく難かしいし、変な障害物を置かれるし・・・
もうどうでもいいや、という感じです。
決勝では、案の定、線を外れまくり焦る「P2.5」ですが、どうしようもありません。
何度も、部屋の入り口に戻され、競技時間の8分間が迫ってきます。
やっと傾斜路をクリアし、2階の部屋に入り、さあ探索を始めるぞ・・・というところで終ってしまいました。
結果は、残念ながら4位でした。
まあ、「M&Y」ではなくYだけの力では、4位でも出来すぎだと思います。(親ばか)
「M&Y」で4位なら、家に入れないかも・・・(笑)
さらに、マルチチームでは同じく関東のスコーピオンと組みましたが、2つめの部屋で坂道センサーが誤動作したらしく、レッドゾーンプログラムが発動してしまい、「途中棄権」となりました。
大阪の決勝での「誤発動」は、「M&Y」の運命か?
こちら(マルチチーム)も4位でした。
とうとう初めて賞状がもらえない大会になってしまいました・・・ということは無く・・・
昨年の蘇州世界大会の賞状が、なぜか今になって(もう10ヶ月前)に配布されました、。
本来は、表彰式など無かったのですが、レスキューのTCの水野先生の粋な計らいで、レスキュー競技会場だけのミニ表彰式をやってくれました。
まあ、昨年の世界大会で表彰されたチームがほとんど揃っているのが、すごいですけどね。
「LINK」はいなかったので、「M4」が代わりに受け取りました。
ということで、賞状は(なんとか?)もらった・・・ことにしておきます。(ズル)
4位という成績や、(本来の)賞状が貰えなかったことで、Yはとてもくやしい思いをしたようです。
まあ、1年間に数日しかロボットをやらないようなチームなので、当たり前の結果ではあるのですけどね。
負けて悔しい思いをするくらいなら、負けないような努力をもっともっとしてくれよ。
そしてこの悔しい思いを次への原動力にしてくれれば良いのですが・・・すぐにその思いを忘れちゃうんだよなぁ。
と、偉そうなことを書いている私自身が、表彰式もなんか聞く気力もなく、なんだかこの数日間スタッフとしてとても疲れただけで、やらなきゃよかった・・・などと考えるしまつ。(なんか、とっても暗い気分)
でも、帰るときにアトランタ大会の時のロボカップ仲間と一緒に大阪駅まで行き、ティールームで楽しくお話ができて、さっきまでの暗い気持ちが吹っ飛びました。
ああ、やっぱりロボカップに参加して良かった!大阪まで来て良かった!
子供たちの興味が薄れて、参加しなくなる日がいつか来るでしょう・・・
子供たち自身が、そして私が楽しいと思える間は続けていこうと思います。