門に立つ 黄金の竜を 怪しみて 見れば解けゆく 唐紙の皮
*今日は短歌です。「門」は「かど」、「竜」は「たつ」と読みましょう。まあわかると思いますが、一応。ルビがふれないのは、ブログの難点ですね。
家の門のあたりに、それは立派な黄金の竜が立っている。いかにも強そうだが、なんだかおかしいなと思っていると、よく見ればそれは唐紙でできた張りぼてだったと。まあよくあることです。
人間の小さい男というものは、こういう威勢のいい大きなものを作りたがります。屏風やふすまに迫力のある大きな竜を描いたりするが、なんとなく目が弱くて、こけおどしの感があるものが多い。
怪獣やウルトラマンに男の子が夢中になる心と、そう変わりはありません。
ウルトラマン・キオの身長は、かのじょの設定では57メートルくらいです。こういう世界は、こんな細かい設定を作るのが楽しいですね。平均的なウルトラマンの身長より、ちょっと高いくらいです。
わたしの中でも、キオはしっかりゾスマのイメージになっていますよ。それは美しい。澄んだ空気をまとった、厳しい男の姿をした巨人です。まるで大昔の侍のようだ。あんな人が山のように大きくなって立っていると、それは神さまのように見えるでしょう。
しかし、事実上、身長50メートルの人間なんて、神様にも創るのは無理です。霊体は限りなく大きくなっていきますが、人間の肉体は、2メートルあたりが限界です。それ以上伸びれば、動物としてやっていけなくなる。ウルトラマンという存在は、あくまでもファンタジーの中だけのものです。
だが小さい男というのは、限りなく自分が大きいものと思いたがるのだ。現実の自分は小さすぎる。もっと大きくて、強くて、わがままのきく、すごいものが欲しい。
かっこいい角だとか、大きな翼だとか、奇抜なデザインのコスチュームだとか、色んなデザインをして、不思議な生き物を描く。子供向けのヒーロー番組なんかに、よくそういう人間の男の幻想が現れています。だがそれは、子供は何とかだませますが、大人には結構きつい。
なりは強そうでも、目がまるで子供だからだ。
大人になって、色んなことをして、様々な経験を踏んでくると、本当のヒーローは、もっと小さくて地味な格好をしていることがわかる。人間世界のために、いいことをするために、必要不可欠なものだけしかもっていない。それが美しいとわかるようになることが、大人になるということなのだ。
そういう時期になると、大きくてかっこいい竜の絵など、あまり描かなくなる。何気ない花や、動物や、空や、風景や、母親の絵などを描くようになる。そういうものが、どれだけありがたいかがわかるからだ。
ウルトラマンは、50メートルくらい大きくていいのです。それでないとできないことをしなければなりませんから。だが、普通の人間は、2メートル以下の、普通の大きさでいい。それで十分にすばらしいことができる。
派手に自分をかっこよく作らなくても、自分が自分にできるかっこいいことをしていれば、別に何も欲しくない。
ほんとにかっこよくて大きな人とは、そういうものですよ。