花嵐 我は来たらむ まどろみの 酒に凝れる 君を切るため
*これはフェイスブックのノートにあった歌ですが、かのじょの作品ではありません。フェイスブックの歌集「玻璃の卵」には、多く、彼、試練の天使が詠んだ作品も混じっているのです。それは、読んでいけば、なんとなく見分けがつきますよ。かのじょの作品は愛らしく、すんなりと心に溶けてくるようだが、彼の作品は直截で、時々痛いものが混じっていて、噛みにくい。
「花嵐」とは、花の咲くころに吹く強い風のことです。ここらへんが憎いですね。要するにこういうことでしょう。
花のような微笑みを振りまく、かわいい顔をした誰かの中から、嵐のようにわたしは来るだろう。酒に酔うてまどろみの中で自分を凝らせて馬鹿にしている、おまえの性根をぶち切るために。
強い歌ですね。まさにそのような感じで、彼はあなたがたの前にあらわれました。
「凝る(こごる)」というのは、凍って固まるということです。寒さの中でかじかんで体が動かなくなるようなことを言いますね。「煮凝り」は、魚の煮汁などが冷えてゼリー状に固まったもののことを言います。要するに、人間が人間というものを馬鹿にして、心が固まり、まるで人間ができなくなったような状態に落ちたようなことを、彼は「凝る」という言葉で表現したのです。
人間などみな糞だと思って、馬鹿にして何もしようとしない。影に回って女をいじめるようなことばかりしている。阿呆になって自棄のように馬鹿をやり、世間を乱しまくっている。それを誰かが必死に何とかしているのだが、その誰かがまことに一生懸命頑張っている様子を、平気であざ笑う。
真面目な人間は馬鹿だ。馬鹿にしてなんでも人にやらせればいいものを、あくせくして自分でやるやつは馬鹿だ。苦労して何かをやっても、すぐに痛いやつに盗まれるというのに、いつまでもがんばっている。あんな馬鹿野郎どもは馬鹿にしてやれ。やりたいだけやらせて、いいところでみんな分捕ってやればいい。
馬鹿なやつらはそうやって、いつでも人から盗んできた。自分は何もしてこなかった。偉そうにして、やっていることは、浅はかな知恵を回して女をだまし、セックスをかすめとろうとするようなことばかりだ。
そんな人間の中では、美しい人間性など、腐った煮凝りのように馬鹿になっているのだ。
彼がどのようにしてあなたがたの元に来たかは、見てきたから知っているでしょう。見事でしたね。常識では考えられないようなことを、軽々と飛び越えてやってしまう。男というものは、時にそういうこともせねばならない。
馬鹿を馬鹿にするために、でかい馬鹿をやらねばならない。
痛いでしょう。してやられましたね。今のあなたがたは、こういう彼のやり方に、すっかり魅了されている。
馬鹿はそろそろ、ぶち切られますよ。