登り来し 足の痛みは そのままに 岩戸の窓に 桃ををさめむ
*今日はちょっとかわいらしいのを選んでみました。詠んだのはわたしの友達ですが、彼は人間の男の気持ちになって詠んでみたかったらしい。
岩戸のある山に登るのは厳しい。あの人はとても高いところにいる。だが来ずにはいられない。そして岩戸にたどり着いても、決して開けてはもらえない。あの人に会えはしないのだ。だがわたしは、わたしの誠のこもった桃を、あの人に差し上げるために持って来た。
純情な愛というものを、愛する女性のために表現できるようになれば、人間の男性もこういうことができるようになるでしょう。
人生と命を、男が賭けてもいい女性はいるのです。
あの人は、全存在をかけて人類を救おうとした。すべてに耐えてそれに挑戦して、とうとう自分のすべてを使いつくして消えてしまったのです。
これほどの愛の前に、愛さざるを得ない自分を、認めないことは、男の恥です。
今の自分には、桃を作ることくらいしかできない。だが男の誠のこもったこの桃は、すばらしくよいものだろう。食べてはもらえなくともいい。あの人にあげられるだけで、わたしは嬉しい。
男のそういう力を、透き通るほど美しい愛のためにささげられることが、幸せであると、感じられるようになるまで、男は自分を研ぎ澄まさねばならない。馬鹿になってもいい。捨てられてもいい。何も返って来なくてもいい。ただ愛のために、わたしはわたしの桃を作りたいのだ。
打算ではなく、純真な愛のために自分をささげることができるようになれば、男は信じられないほど美しくなるでしょう。
見本は見せてあげますよ。わたしは馬鹿のように、かのじょのことばかりほめている。かわいらしいあの人のために、表現力を尽くしている。何もいらない。あの人のためになればそれでいい。
若い男には、こんなことはまだできないかもしれませんが、勉強はしなさい。
本当に大きい男というものは、時には小さな子供のようにもなって、美しい女性を慕うこともできるのです。