薔薇の根を ほどきてよりて 沈黙の 糸を編み来ぬ アラクネの夜
*今日はギリシャ神話からいきましょう。これはかのじょの作品です。2008年のものです。
日本人にとっては、中国の故事とギリシャ神話は必携の教養です。北欧神話やゲルマンの神話もおもしろいが、ギリシャ神話ほど、短歌になじんでこない。たぶん、ギリシャの方が日本に風土が似ているからでしょう。風土が似ていれば、人間も似てくる。
アラクネは、技能の高い織女でしたが、それを鼻にかけ、不遜にも女神アテナに挑戦しました。しかしそれでとても恥ずかしいことになり、アテナに憐れまれて蜘蛛に変えられたという女性です。
昔から、人間の傲慢を戒める神話はたくさんあります。ナルキッソスの神話もそうですし、太陽神アポロンでさえ、ダフネの神話で傲慢を戒められている。金持ちで美男でもてるからと言って、調子に乗っていると、ダフネのようなニンフにさえフラれてしまいますよということです。
しかしここで詠われているアラクネは、傲慢な女という意味ではなく、ただ布を織るという仕事を地道にやってきた女性たちのことを意味します。昔から布を作り服を縫うのは女性の仕事でした。男たちが着る服も、子供たちが着る服も、女性たちがみんな作ってきたのです。生きていくためにはそれはとても大事なことだ。着る服がなければ誰も生きていけない。だが、それをほめてくれる人はほとんどいなかった。布を織るなど簡単な仕事だからと、目にとめてもくれなかった。
薔薇の根とは、そういう目には見えない影のようなところで、誰かが地道にやってくれている仕事という意味です。薔薇の花は美しいから、誰もが見てほめてくれるが、実際根がなければ花は咲くことはできない。だが、土の中で地道にやっている根の仕事をほめてくれる人は誰もいない。
それでも、何も言わずに、根は仕事を続け、薔薇の花を咲かせることをずっと助け続けてきた。
花を咲かせるために、見えないところでずっと働いている、薔薇の根の心を、ほどいてよってその糸を編んで、何も言わずに布を作ってきた。それでみんなを助けているのに、誰もそれを言わなかった。そんな働き者の女性たちがいるんだよ。そんな女性たちは、夜に何を思っているのだろう。
これはそういう歌です。
そういう心を詠むのに、ギリシャ神話の言葉を使うと、何か不思議に美しくなります。
織女というのは、アテナのように美しくはないでしょう。時にはアラクネのように、調子に乗ってしまうことがあるような、人間的でかわいらしい女性でしょう。そんな子がやってくれている仕事を、全部ないことにして、いつまでもみんな知らないことにしていては、少々つらすぎますよ。
歌はいい。こんな美しいことを、とてもいい形で、みんなに教えることができる。