ちわわ一家の 食べ歩る記・飲み歩る記

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チワワ一家の「食べ歩る記・飲み歩る記」

赤羽台一丁目 立坑工事

2016-10-18 22:44:34 | 国内旅行
赤羽台一丁目
赤羽駅の西側にある高台で
現在昼夜を問わず
ある工事が行われています


工事概要

この工事は、東京都北区赤羽台一丁目、三丁目、赤羽三丁目
岩淵町付近の雨水を収容する枝線の一部を施工するものです
その一部となる立坑は、ニューマチックケーソン工法を用いて
掘削沈下を昼夜間施工し、その他を昼間施工を行っています
工期は平成27年8月12日から平成29年2月22日
発注者は東京都下水道局
受注者は大豊建設株式会社
予定工費は11億2212万円

立坑の構造図

外径φ16.5m×高さ54.40m

ニューマチックケーソン工法

ニューマチックケーソンとは
『空気の函』という意味です
つまり、空気を用いて函を沈めるという工法です
コップを内部の空気が逃げないように
傾けずに水中に沈めると、器の中に空気が閉じ込められて
水が入ってきません
これは器の中に空気があるからで
この空気は水中に深く沈めるほど、水の圧力により
余計圧縮されますが、決して水は器の中の空気と
入れ替わることはありません
ニューマチックケーソン工法は、この原理を応用したもので
コップの中がケーソン作業室、コップの先端が
ケーソンの刃先にあたります

二基のクレーン

構築用のクローラクレーンと
掘削用のアシンメトリークレーン

中からつきだす2つの塔

1つは作業員が出入りする為の気密エレベータとなるマンロック
もう1つは材料や土砂の搬出用のマテリアルロック
この2つの塔は地下54メートル下にある
作業室までつながっています

ヌーヴェル赤羽台

この付近は旧日本住宅公団(現UR都市機構)により
昭和37年に建設された赤羽台団地
当時は総戸数3,373戸からなる大団地でしたが
建物の老朽化、耐震上の問題から2000年から建て替え事業に着手しました

現在、立坑工事を行っている場所も
以前は団地があった場所で
取り壊しが行われ、遺跡発掘調査などが終わったのちに
掘削作業が始まりました

すでに建て替えが完了した建物

かつての赤羽台団地は2006年から徐々に
ヌーヴェル赤羽台として新しく生まれ変わっています


これらの巨大な建物はUR都市機構の公団住宅で
家賃相場は80,000円~250,000円(31㎡~100㎡)程度

パネルの色使いが美しいスタイリッシュな建物

棟によってデザインは異なっており
どの建物も個性があり、とてもスタイリッシュです

階段の照明もかなりおしゃれ


広々とした空間演出


これらの街並みはグッドデザイン賞を受賞しています


共有の通路部分にギャラリーがありました


かつてここにあった赤羽台団地の住宅部品の展示のようです


エレベーターの操作パネルの展示


団地のドアと表札の展示

ドアの覗き窓は現在のような魚眼レンズではなく
開閉式の小窓になっています
他にも昔懐かしい団地の部品が数点展示されていました

敷地内にあるスーパーのマルエツ

オープンしたのは2012年12月1日(土)午前9時
マルエツが核店舗となる新しいショッピングセンターです
かつての団地だった時は団地の1階に
個人商店が並ぶ商店街がありましたが
やはり多くが店を閉めたシャッター街になっていたようです
団地が生まれ変わり、人が多く集まるようになると
やはりこのようなスーパーが必要です

別棟にはダイソーやサイゼリア、ドラックストアなどもあります

「M's(エムズ)タウン」と呼ばれる
これらのショッピングセンターには
このほかにも郵便局、診療所、歯科、美容室、
理容室など10を超えるテナントが入居しています

敷地内にはまだ、以前の古い団地も残っています

窓からの明かりを見ると、多くが空室のようです

赤羽台団地の案内図

以前の古い団地は赤羽台団地
2006年以降の新しい建物はヌーヴェル赤羽台

残っている古い団地

敷地内にはわずかに居住世帯が残る建物や
すでに居住者がおらず取り壊し待ちの建物が混在しています

スターハウス

昭和に生まれたY字型の建物
通称『スターハウス』と呼ばれる団地も残っています

昭和30年代に各地で見られた人気のデザイン

日当たりや風通しが良いことで人気だったようです

現存する関東最古のスターハウス

各地のスターハウスは年々消滅していて
赤羽台団地に残る4棟のスターハウスは
現存するスターハウスとしては関東最古と言われています

付近にはレトロな商店も残っています

自転車屋さんですが、現在も営業を続けています

赤羽駅方面へつながる坂道

赤羽台は高台にあるので、歩いて駅に行く場合は
坂道や階段の利用が必須となります

坂の下にある亀ヶ池弁天

昔、赤羽駅の西口一帯にあった大きな池があり
亀ヶ池と呼ばれていました
明治まで灌漑用溜池として利用されていましたが
明治末年埋立てられ、跡地に小さな池が残りました

亀ヶ池弁天の池

現在の亀ヶ池弁財天の池はその亀ヶ池の名残りといわれていています
夜はよくわかりませんが、昼に見ると亀がたくさんいるのがわかります


中の島に祀られている祠は かつて亀ヶ池の一角にあった物で
中には弁天像が納められています