ちわわ一家の 食べ歩る記・飲み歩る記

美味しい料理と
美味しい酒を求めて
日本を、世界をさまよう
チワワ一家の「食べ歩る記・飲み歩る記」

桶川市民祭り 皇女和宮行列

2015-11-03 15:00:21 | 国内旅行
桶川市民祭り
桶川市の市制施行
(昭和45年11月3日)を記念して
毎年11月3日に行われるお祭りです

JR高崎線の桶川駅の東側に並走する
旧中山道は歩行者天国となり
露店やフリーマーケットなどが開催され
ボーイスカウトのパレードや
よさこいのパレードなども行われます

中でも1番のメインイベントは
公募で選ばれた桶川市民が
江戸時代の衣装をまとって旧中山道を歩く
皇女和宮(こうじょかずのみや)行列です


行列のご一行

『皇女和宮(こうじょかずのみや)』とは
弘化 3年(1846年)に産まれた仁孝(にんこう)天皇の第八皇女
和宮様は6歳の時、有栖川宮家の長男熾仁(たるひと)親王と婚約しましたが
ご成婚間近だった14歳のとき、突如起こった『公武合体』政策により
江戸幕府の徳川家との政略結婚をさせられる事になりました

ちょうどこの時代は幕末動乱期で、ペリーの黒船来航(1853年)や
安政の大獄(1858~1859年)、桜田門外の変(1860年)などが続き
徳川幕府は弱体化し、朝廷(天皇)との関係も悪化の一途をたどっていました
この打開策として生まれたのが『公武合体』政策でした
その『公武合体』の矢面に和宮様は立たされたのです



和宮様は当然拒絶されましたが
兄である孝明(こうめい)天皇の苦しい立場や
拒絶された場合に身代わりになられる方の事を考えて
泣く泣く江戸幕府への降嫁をご承諾なされました
和宮様輿入れ(こしいれ)のお相手は
徳川家茂(とくがわ いえもち)第十四代将軍です
将軍家茂にも同様に婚約者が居たということで
当然こちらの婚約も解消させられたようです
この結婚に関してはさまざまなドラマがあったようですね



文久元年(1861年)10月20日午前8時、和宮様の降嫁行列は
京都桂御所を出発され、中山道を経由して25日間134里(約530km)に渡る
江戸への下向がスタートしました
下向に費やされた人足は延べ60万人、馬1万5千頭
経費74両(現在の価値で推定150億円)だったと言われています
輿入れの行列は50kmにも及んだとか
中山道のみならず、五街道開設以来最大の大通行だったのです

桶川宿の提灯


和宮様が桶川に到着したのは11月13日
ご一行のために桶川宿に集められた人足は36450人
馬1799頭に達したと伝えられています

桶川宿の本陣で一泊され、その翌々日の11月15日に
九段にある清水御殿に到着されました

皇女和宮(こうじょかずのみや)様役に選ばれた桶川市民


和宮様が江戸に到着した翌年の文久2年(1862年) 2月11日
江戸城内にて将軍家茂と和宮様の婚儀が盛大に行われました
この時2人は同い年の16歳でした

不運の政略結婚ではありましたが
夫の家茂がとても思いやりのある立派な青年だった為に
誠実な愛情を以て和宮に接し、夫婦仲は睦まじいものであったそうです

ただ残念なことに病弱だった家茂は遠征先の大阪で病に伏され
慶応2年(1866年) 7月20日、わずか20年の短き生涯を大坂城で終え
和宮様との結婚生活はわずか4年半ほどに過ぎなかったのです

慶応元年(1865年)長州征討のため家茂が江戸を発つ時
和宮様は凱旋の際の土産として西陣織の衣を所望していました
しかしその西陣織が和宮様のもとに届いたのは夫の遺骸と共にだったのです
この時に悲嘆して詠んだ歌と伝わるのがこちらです

『うつせみの唐織衣なにかせむ 綾も錦も君ありてこそ』

おみやげに所望した西陣織の衣も、もはやなんの役に立つでしょう
綾や錦の美しい織模様も、あなたが生きておられればこそのものでしたのに・・・
という意味の歌で、和宮様の深い悲しみを容易に察することができますね

駐車場広場で行われた皇女和宮行列のお披露目会


家茂がこの世を去った後も和宮様は江戸城にとどまり
徳川家のために精一杯の努力をされました

幕府と朝廷の衝突回避に懸命の努力を重ね
慶応3年(1867年)の大政奉還(江戸幕府が政権を朝廷に返上)や
慶応4年(1868年)の新政府への江戸城明け渡しなどが
流血なく無事に行われたことは和宮様の尽力が大きく関わったといわれています

和宮様はのちに脚気(かっけ)の病になり、明治10年(1877年)9月2日
静養先の箱根塔之沢温泉にて31年の生涯を終えることとなりました
9月13日、東京の芝にある増上寺での本葬が行われ
御遺骸は増上寺に眠る夫の将軍家茂公の隣に葬られました

激動の時代に生きた和宮様は、朝ドラで人気の『あさが来た』
のモデル広岡浅子の3歳年上です
ちょうど今放送されているので、その時の時代背景など
共通するものがあり、より親近感を覚えるのでした

特別参加の川越藩行列

川越藩行列保存会も特別参加し、桶川の歴史時代絵巻に花を添えました

このように中山道の最大級の大通行だった皇女和宮行列ですが
桶川宿以外でも馬籠宿や奈良井宿などでも同様な再現行列が行われ
今も中山道沿道の人々の記憶から離れることはありません

県指定有形文化財 桶川宿本陣遺構 高麗門

本陣とは、江戸時代の宿場町においての
政治的中心施設であるとともに
参勤交代の際などには大名や役人など重要な人物が
宿泊・休憩するための施設でもありました

桶川宿に本陣が置かれたのは寛永年間(1624年~1645年)
と言われています
天保14年(1843年)の記録によると
建坪は207坪という大規模な施設だったようです
文久元年(1861)の皇女和宮様下向のときには大改修が行なわれ
和宮様の宿泊所となったことも当時の記録に残っているようです

建坪207坪のうち、「上段の間」「次の間」「湯殿」は現在も保存されており
埼玉県内の中山道筋において今に残る唯一の本陣遺構となっています
残念ながらこれらの建物は通常は非公開となっており
この門から先は入ることが出来ません
特別公開日などに巡り合えば是非とも中を見てみたいものです

国登録有形文化財 武村旅館

この武村旅館は、嘉永5年(1852)の建築です
皇女和宮様が中山道を下向した文久元年(1861)には
ここで紙屋半次郎が旅籠を営んでいたそうです
明治時代に同じ中山道の板橋宿から武村家がここに移り
旅館業を営む事になりました
明治末期頃には、現在の建物正面東側部分を突き出させた
寄棟造りに改築したと思われますが
建築当時の間取りは現在もほぼ引き継がれています
大戸、大黒柱、階段、根太天井など
当時の姿を今に伝える貴重な建造物で
現在はビジネス旅館として営業が続いています

国登録有形文化財 小林家住宅主屋

小林家住宅主屋は天保11年(1840)、もしくは嘉永5年(1852)
の建築ではないかと言われています
文久元年(1861)の皇女和宮の下向時に提出された
宿割書には穀屋吉右衛門(こくやきちえもん)が
旅籠を営んでいたことが記録されています

その後、小林家がこの建物を買い入れ、材木商を営みました
それに伴いこの旅籠は大きく改修され
旅籠当時の間取りは無くなってしまいましたが
外観は建築当時のままの姿をとどめています
2階は中廊下式になっており
旅籠当時の部屋割りの名残と考えられています
現在も小林材木工業として営業が続けられており
また建物の一部をbradbury(ブラッドベリー)という
ギャラリー併設の喫茶店として営業しているので
その部分はだれでも気軽に利用することができます

桶川市指定有形文化財 矢部家住宅

矢部家は屋号を『木半(きはん)』木嶋屋半七(きじまやはんひち)といい
主には穀物問屋を営んでいました
この土蔵造りの店蔵は、矢部家第六代当主
五三郎(ごさぶろう)氏が明治38年に建立させたものです

和宮様の下向時には無かった建物ですが
桶川宿に唯一現存する土蔵造りの店蔵で
かつての桶川宿の繁栄と賑わいをしのぶことのできる
貴重な建造物です

丸木島村老茶舗

茶・焼きのり・茶道具を扱う嘉永7年(1854年)創業の茶舗です
皇女和宮様の下向時にもこのお茶屋さんは存在していたことになります
現在の建物は昭和初期に建てられたものだそうですが
現在も和宮様下向当時の面影を残しつつ営業が続けられています

べに花まんじゅう べにっこ

こちらの古い木造の建物は建てられた年は不明ですが
現在は商工会女性部員が中心となって設立された
「株式会社べにっこ」さんにより
桶川名物 べに花まんじゅうの製造・販売が行われています

通常の営業時間は朝の早い時間だけなのですが
今日はお祭りの日なので、特別に午後もお店が開いていました
べにっこさんでは、べに花まんじゅうのほかにも
手造り味噌や紅花染め製品などの製造・販売も行われています

こちらの手造り味噌は無添加の材料を使用し、寒仕込みで造られており
品質や安心感が高く評価され、市内の全ての小中学校で
給食の食材として使用されているそうです

鮮魚 稲葉屋本店

こちらの古い木造の建物も詳細は不明ですが
現在も老夫婦により営業が続けられている魚屋さんです
同じ中山道の北側には稲葉屋支店があり
そちらも同じく老夫婦が営んでいます

店内には焼き場が備えられており
希望により焼き魚も対応してもらえます
夏の祇園祭の時には、店先で焼きイカの販売をしていましたが
今日は通常営業のみのようでした

桶川駅東口 駅前通り商店街

かつては多くの商店が立ち並び
多くの人で賑わっていた商店街でしたが
西口再開発でおけがわマインが出来てから
東口の商店街は衰退の一途をたどっていて
実にさびしい限りなのですが
夏と秋の桶川のお祭りの時だけは
本当に多くの人が通りを行き交い賑わいを見せています
現在はこの東口も再開発が計画されていますが
上手く進めてかつての賑わいを取り戻して欲しい所です

神輿

夏の祇園祭りの神輿とは違うようです
どこかの町のお神輿が、桶川まで遠征に来てくれたのでしょう

中山道の露店

夏の祇園祭りほどの規模ではありませんが
中山道の通り沿いにはいくつかの露店が出ていました
とてもインパクトのあるお店ですね

インド料理 サッカールの露店

桶川駅東口にあるインド料理のお店
『サッカール』さんも中山道沿いにお店を出していました
いろんなイベントなどで露店を出しているのを良く見ますが
オリジナルのテントで出店していたのは、今日見るのが初めてです
サッカールの名前の入った赤いテントがかっこいいですね

『サッカール』さんで買ったタンドリーチキンとサモサ

『サッカール』さんの露店を見かけると
買わざるをえないのがこの二品
家に持ち帰ってビールとともに美味しくいただきました

桶川の秋のお祭りもとても楽しかったです