小諸には寅さんこと渥美清さんの
記念館がありました
なぜここに寅さんの記念館があるのかというと
1988年の12月に公開された『男はつらいよ』
シリーズ40作目の『寅次郎サラダ記念日』
の舞台になったのがここ小諸だったということが
理由のまず1つ
余談ですが実はこの『寅次郎サラダ記念日』は
封切られた当時のお正月に映画館で見た作品で
その後も何度となく録画したこの映画を見ているので
内容はよく覚えています
寅さんが旅先の小諸で出会ったおばあさんに勧められ
おばあさんの家で1泊することになり
翌日、今回のマドンナ三田佳子さん演じる女医が
おばあさんの家を訪れたことから寅さんの恋が始まる物語
三田佳子さん演じる女医の姪っ子役には三田寛子さん
ダブル三田ということで話題になりました
その姪っ子の趣味が短歌というで、当時ベストセラーだった
俵万智さんの短歌集『サラダ記念日』をモチーフにした短歌が
映画のなかで随所に読まれています
俵万智さんの短歌集では『「この味がいいね」と君が言ったから
七月六日はサラダ記念日』でしたが、
映画では『寅さんが「この味いいね」と言ったから
師走六日はサラダ記念日』となっていました
三田寛子さん演じる女医の姪っ子が用意した夕食の
サラダだけを一口食べて『うん、いい味だ』と言って
旅立ってしまう名シーンの後に読まれた歌です
三田佳子さん演じる女医さんへの恋に寅さん自ら
終止符を打ち、いつものごとく旅立ってゆくシーンでした
映画の最後に読まれた歌は『旅立ってゆくのはいつも男にて、
カッコよすぎる背中見ている』
この映画は名作ですので、まだ見ていない方はぜひ見て下さい
ちなみにこの映画の同時上映は『釣りバカ日誌』の第1作目です
会館入口に咲く満開の芝桜
話がそれましたが
『寅次郎サラダ記念日』で舞台となった小諸ですが
数あるロケ地の中でなぜ小諸に記念館なのか
調べてみるといろいろな事実(?)が明らかになりました
通常ロケ地は監督・脚本家・スタッフなどが
全国各地を調査したうえで選考されるのですが
ここ小諸を推薦したのは渥美清さん本人だったそうです
ではなぜ渥美清さんが小諸を推薦したのか
それは私生活を封じ、寅さんのイメージを壊さぬようにと
映画関係者ともプライベートな交流を避けていたという渥美清さんが
心を許したとされる『井出勢可(いで せいか)さん』という方が
ここ、小諸にいたから
私生活を一切表に出さない渥美清さんでしたが
仕事の合間に親友の井出さんを尋ね、小諸にだけは何度も訪れていたそうです
小諸をまるで故郷のように愛していたとか
寅さん会館の入り口
では『井出勢可』さんとはどういう人物なのか調べてみました
井出さんは小諸在住の電気工事会社の社長
映画『男はつらいよ』で寅さんのテキヤ仲間である『ポンシュウ』役を演じた
関敬六さんと、もともと知り合いでした
井出さんが経営する電気工事会社のイベントに
関敬六さんを呼んだことがきっかけだたそうです
寅さんのファンだった井出さんが、関敬六さんからの紹介を受けて
渥美清さんとの付き合いが始まったのは1973年
3人は昭和3年生まれの同い年、3人で食事をしたり
井出さんが『男はつらいよ』の全国各地のロケ現場に通ううちに
渥美清さんから『小諸のお父さん』と呼ばれるほど親しくなり
渥美清さんが自ら井出さんのいる小諸に足を運ぶまでになったそうです
寅さん会館建物入口の看板
信州蕎麦が好きだった渥美清さんは、よく井出さんと小諸城址の近くの
お蕎麦屋に顔を出していたそうです
ある日、いつものようにそのお蕎麦屋さんで食事をしていた時に
渥美清さんが井出さんに対して激しく怒鳴ったことがあったそうです
それは井出さんが脳性まひの障害のある一人息子に対し
将来の不安と愚痴をポロリと口にしてしまった時のことだったそうです
わが子を残して自分が逝く日が来るかもしれないという井出さんの不安は
しょせん渥美清さんにはわかってもらえない
そう感じた井出さんは渥美清さんとの交流ももはやこれまでと覚悟をしたそうです
寅さん会館の全景
ところがその数か月後に渥美清さんの方から井出さんに連絡があり
井出さんは松竹の大船撮影所を訪ねることになりました
その時渥美清さんから井出さんに差し出されたものは
映画『男はつらいよ』にまつわる数々の品でした
寅さんの衣装や、台本、映画賞のトロフィーなど
渥美清さんの生涯の宝物ともいえる貴重な品々は
なんとトラック2台分にも及んだのだそうです
その時渥美清さんの口から出た言葉は
『これで、寅さん記念館を作ってくれ
寅さん記念館を作って井出さんの息子を館長にすれば
たとえ父親がいなくなっても一生困らない』
渥美清さんが井出さんを怒鳴ってから、井出さんの為に何ができるのか
ずっと考えていたのでしょう
そして1996年6月10日、渥美清さんから譲り受けた品と
井出さん自ら集めていた関係資料や秘蔵写真など貴重な収蔵品を展示する
『渥美清こもろ寅さん会館』を井出さんの私費を投じて
小諸にオープンさせることになったのです
渥美清さんは当時癌におかされ闘病していたさなかに
病床から小諸を訪ね寅さん会館のオープンを祝いに駆けつけたそうです
渥美清さんはその2か月後の1996年8月4日にこの世を去りました
寅さん会館の中庭に立つ寅さん像
その後『渥美清こもろ寅さん会館』は渥美清さんの願い通り、
井出さんの息子さんも寅さん会館で働き順調に運営されていました
しかし一昨年の2011年4月、館長を務めていた井出さんが脳梗塞で倒れ
一時は回復をしたものの翌年2012年10月24日に肺炎のため
84歳でこの世を去りました
井出さんの奥さんが館長を引き継ぎましたが、
入場者は1997年の12万4千人をピークに減少を続け、
昨年は7610人と厳しい経営であったことから
2012年12月から冬期休業という名目で
実質的な閉館状態となっていました
冬期休業を伝える看板
残念ながら今も再開のめどが立っていない状況のようです
現在は貴重な展示品を散逸させないため小諸市に
会館と展示品を寄付することで会館存続を模索中とのこと
寅さん会館の建物の壁に掲げられた
寅さんの大きな写真
閉館されたのは昨年ですが
この写真の風化が映画『男はつらいよ』の風化も
物語っているようで見ていて痛々しいです
私自身も『男はつらいよ』の熱烈なファンでありながら
この寅さん会館の存在を知りつつも
今まで行ってみようと思わなかったことを
今更ながらに悔やんでいます
なんとか寅さん会館が再開してくれることを
切に願っております
また、再び閉館の危機に陥らないような
経営のアイデアが浮かびますように
※本ブログの渥美清さんにまつわる内容は
インターネットで調べた情報を取りまとめたもので
真偽の程は確認されておりませんので
あらかじめご了承願います