ちわわ一家の 食べ歩る記・飲み歩る記

美味しい料理と
美味しい酒を求めて
日本を、世界をさまよう
チワワ一家の「食べ歩る記・飲み歩る記」

小諸城址 懐古園

2013-04-24 21:28:49 | 国内旅行
小諸城の跡地は懐古園として
市民に親しまれる公園になっています
入場料300円を支払って中に入ってみることに


懐古園の駐車場前にあった案内図

お堀で囲まれた城跡には
遊園地や動物園までもが併設されています

小諸市動物園のシカ

懐古園の入場で動物園にも入ることができます

ハクチョウとカモ

閉園間際だったのでほとんど見ることが出来ませんでしたが
ここの動物園にはサルやクマ、そしてライオンまでも
飼育されているそうです

今日と明日の2日間は懐古神社例大祭ということで
園内にはたくさんの露店が並んでいました

でも肝心の桜がほぼ散ってしまい
訪れている客はまばら

わずかに残っていた桜


懐古神社

懐古神社は明治の廃藩置県の後に
小諸城の本丸跡に建てられた神社です

旧藩主 牧野公の霊とともに
菅原道真公の霊も祀られています

よって、学業成就・合格祈願の絵馬が奉納されていました

懐古神社社殿は1987年に改築されたものだそうです


社殿にてお詣り後、神社の方から頂いた落雁(らくがん)

このお菓子は神前のお供え物を撤収し
お詣りにきた人々にふるまわれるものだそうです
いろいろな神社にお詣りをしましたが
このような振る舞いを受けるのは初めてでした

懐古園桜まつり会場

このように桜はほぼ散ってしまっていました

残っていたのはこの八重桜

この後もう一度取引先の工場を訪問し
明日から行く海外出張に持ってく部品を受け取りました
工場を出たのは夜の8時、これから
埼玉の自宅まで戻らなければなりません

途中で寄った横川サービスエリア

ここのサービスエリアは峠の釜めしで有名な
おぎのやさんが経営しています

釜めしの販売コーナー

帰りに買おうと思っていた
『峠の釜めし』はすべて売り切れ
楽しみにしていたのに・・・

渥美清 こもろ寅さん会館

2013-04-24 17:15:50 | 国内旅行
小諸には寅さんこと渥美清さんの
記念館がありました


なぜここに寅さんの記念館があるのかというと
1988年の12月に公開された『男はつらいよ』
シリーズ40作目の『寅次郎サラダ記念日』
の舞台になったのがここ小諸だったということが
理由のまず1つ

余談ですが実はこの『寅次郎サラダ記念日』は
封切られた当時のお正月に映画館で見た作品で
その後も何度となく録画したこの映画を見ているので
内容はよく覚えています

寅さんが旅先の小諸で出会ったおばあさんに勧められ
おばあさんの家で1泊することになり
翌日、今回のマドンナ三田佳子さん演じる女医が
おばあさんの家を訪れたことから寅さんの恋が始まる物語

三田佳子さん演じる女医の姪っ子役には三田寛子さん
ダブル三田ということで話題になりました

その姪っ子の趣味が短歌というで、当時ベストセラーだった
俵万智さんの短歌集『サラダ記念日』をモチーフにした短歌が
映画のなかで随所に読まれています

俵万智さんの短歌集では『「この味がいいね」と君が言ったから
七月六日はサラダ記念日』でしたが、
映画では『寅さんが「この味いいね」と言ったから
師走六日はサラダ記念日』となっていました

三田寛子さん演じる女医の姪っ子が用意した夕食の
サラダだけを一口食べて『うん、いい味だ』と言って
旅立ってしまう名シーンの後に読まれた歌です

三田佳子さん演じる女医さんへの恋に寅さん自ら
終止符を打ち、いつものごとく旅立ってゆくシーンでした

映画の最後に読まれた歌は『旅立ってゆくのはいつも男にて、
カッコよすぎる背中見ている』

この映画は名作ですので、まだ見ていない方はぜひ見て下さい 

ちなみにこの映画の同時上映は『釣りバカ日誌』の第1作目です

会館入口に咲く満開の芝桜


話がそれましたが
『寅次郎サラダ記念日』で舞台となった小諸ですが
数あるロケ地の中でなぜ小諸に記念館なのか
調べてみるといろいろな事実(?)が明らかになりました

通常ロケ地は監督・脚本家・スタッフなどが
全国各地を調査したうえで選考されるのですが
ここ小諸を推薦したのは渥美清さん本人だったそうです

ではなぜ渥美清さんが小諸を推薦したのか
それは私生活を封じ、寅さんのイメージを壊さぬようにと
映画関係者ともプライベートな交流を避けていたという渥美清さんが
心を許したとされる『井出勢可(いで せいか)さん』という方が
ここ、小諸にいたから

私生活を一切表に出さない渥美清さんでしたが
仕事の合間に親友の井出さんを尋ね、小諸にだけは何度も訪れていたそうです
小諸をまるで故郷のように愛していたとか

寅さん会館の入り口


では『井出勢可』さんとはどういう人物なのか調べてみました
井出さんは小諸在住の電気工事会社の社長
映画『男はつらいよ』で寅さんのテキヤ仲間である『ポンシュウ』役を演じた
関敬六さんと、もともと知り合いでした
井出さんが経営する電気工事会社のイベントに
関敬六さんを呼んだことがきっかけだたそうです

寅さんのファンだった井出さんが、関敬六さんからの紹介を受けて
渥美清さんとの付き合いが始まったのは1973年

3人は昭和3年生まれの同い年、3人で食事をしたり
井出さんが『男はつらいよ』の全国各地のロケ現場に通ううちに
渥美清さんから『小諸のお父さん』と呼ばれるほど親しくなり
渥美清さんが自ら井出さんのいる小諸に足を運ぶまでになったそうです

寅さん会館建物入口の看板


信州蕎麦が好きだった渥美清さんは、よく井出さんと小諸城址の近くの
お蕎麦屋に顔を出していたそうです
ある日、いつものようにそのお蕎麦屋さんで食事をしていた時に
渥美清さんが井出さんに対して激しく怒鳴ったことがあったそうです
それは井出さんが脳性まひの障害のある一人息子に対し
将来の不安と愚痴をポロリと口にしてしまった時のことだったそうです

わが子を残して自分が逝く日が来るかもしれないという井出さんの不安は
しょせん渥美清さんにはわかってもらえない
そう感じた井出さんは渥美清さんとの交流ももはやこれまでと覚悟をしたそうです

寅さん会館の全景


ところがその数か月後に渥美清さんの方から井出さんに連絡があり
井出さんは松竹の大船撮影所を訪ねることになりました
その時渥美清さんから井出さんに差し出されたものは
映画『男はつらいよ』にまつわる数々の品でした
寅さんの衣装や、台本、映画賞のトロフィーなど
渥美清さんの生涯の宝物ともいえる貴重な品々は
なんとトラック2台分にも及んだのだそうです

その時渥美清さんの口から出た言葉は
『これで、寅さん記念館を作ってくれ
寅さん記念館を作って井出さんの息子を館長にすれば
たとえ父親がいなくなっても一生困らない』

渥美清さんが井出さんを怒鳴ってから、井出さんの為に何ができるのか
ずっと考えていたのでしょう

そして1996年6月10日、渥美清さんから譲り受けた品と
井出さん自ら集めていた関係資料や秘蔵写真など貴重な収蔵品を展示する
『渥美清こもろ寅さん会館』を井出さんの私費を投じて
小諸にオープンさせることになったのです

渥美清さんは当時癌におかされ闘病していたさなかに
病床から小諸を訪ね寅さん会館のオープンを祝いに駆けつけたそうです
渥美清さんはその2か月後の1996年8月4日にこの世を去りました

寅さん会館の中庭に立つ寅さん像


その後『渥美清こもろ寅さん会館』は渥美清さんの願い通り、
井出さんの息子さんも寅さん会館で働き順調に運営されていました
しかし一昨年の2011年4月、館長を務めていた井出さんが脳梗塞で倒れ
一時は回復をしたものの翌年2012年10月24日に肺炎のため
84歳でこの世を去りました

井出さんの奥さんが館長を引き継ぎましたが、
入場者は1997年の12万4千人をピークに減少を続け、
昨年は7610人と厳しい経営であったことから
2012年12月から冬期休業という名目で
実質的な閉館状態となっていました

冬期休業を伝える看板

残念ながら今も再開のめどが立っていない状況のようです
現在は貴重な展示品を散逸させないため小諸市に
会館と展示品を寄付することで会館存続を模索中とのこと

寅さん会館の建物の壁に掲げられた
寅さんの大きな写真

閉館されたのは昨年ですが
この写真の風化が映画『男はつらいよ』の風化も
物語っているようで見ていて痛々しいです

私自身も『男はつらいよ』の熱烈なファンでありながら
この寅さん会館の存在を知りつつも
今まで行ってみようと思わなかったことを
今更ながらに悔やんでいます
なんとか寅さん会館が再開してくれることを
切に願っております
また、再び閉館の危機に陥らないような
経営のアイデアが浮かびますように

※本ブログの渥美清さんにまつわる内容は
 インターネットで調べた情報を取りまとめたもので
 真偽の程は確認されておりませんので
 あらかじめご了承願います

小諸市 旧北国街道小諸宿

2013-04-24 16:44:41 | 国内旅行
小諸市を通る北国街道(ほっこくかいどう)は
加賀百万石の参勤交代の道でもあり
佐渡の金を江戸に運ぶ道でもありました
小諸は城下町であることに加え、宿場町としても栄え、
江戸時代中期には東信濃随一の経済圏を形成していました

この旧北国街道であった小諸市本町の街並みは
国土交通省の『街なみ環境整備事業』の適用を受けて
歴史的な建築物がそのまま保存されています

こちらの大塚酒店は大塚酒造の小売店として建てられたもの
現在はこの建物を利用したラーメン屋さんが経営を続けています


大塚酒店

酒屋さんだったらしく
大きなお酒の看板が並べられています

こちらは同じく大塚酒造の本店

江戸時代からある建物だそうです

こちらが大塚酒造

この通りの裏手にある造り酒屋
門の上には杉玉がつるされていました

大塚本店の向かいにある、『ほんまち町屋館』があります

ここはかつての味噌醤油醸造元の建物を利用した
地区コミュニティー施設として活用されています
こちらの建物は大正時代の建築だそうです

そば七

江戸後期に建てられた建物を
現在はお蕎麦屋さんが修復し店舗として利用されています

お蕎麦屋さんの先にも古い建物が並んでいました

左は大和屋紙店
明治初期に建てられた建物で
創業当時から現在まで紙を専門に取り扱う老舗です
右のお店は古美術店

夢や古美術店

大和屋紙店と軒を並べる古美術店
古美術店らしく数々の骨董品で
壁が埋め尽くされております
こちらの建物は江戸中期のもの

古布・着物 花の器 優

古美術店の一部は古着屋さん

大塚味噌醤油店

大塚酒造との関連は分かりませんが
こちらは明治20年の味噌と醤油の醸造所

本町の街並み


こちらの街並みはアニメのポスターとして
この街のあちらこちらで掲示されていました

最初写真だと思っていたのですが
どうも実物と合わないと思ったら
実はイラストだったことに気づきました
このアニメは小諸の街を舞台にした人気アニメらしく
ロケ地めぐりをするファンが多くここを訪れるようです


この街並みは取引先の工場から小諸駅に向かう途中
たまたま通って雰囲気がいいと思い
車を駅前に置いて歩いてきてみました

駅前周辺は昭和時代の雰囲気が漂い、
この周辺は江戸時代から大正時代の雰囲気を
感じることができます
保存事業をどんどん進めて観光客を誘致すれば
今よりももっと人が集まるのではと感じました

今回の仕事がなければ来ない所だったと思いますが
来てみてとてもいい所だというのが実感です

長野県小諸市 小諸駅周辺

2013-04-24 15:16:05 | 国内旅行
昨日まで出張で福島県の郡山にいたのですが
昨夜埼玉に戻り、今日は長野に来ています
ここは長野県の小諸市
埼玉から高速を使って車で2時間ほどの距離です
今日はこちらにある取引先の金型屋さんから
今日出来る予定の部品を受け取り
明日からその部品を持って海外出張に向かう為です

先に取引先の工場に向かいましたが
当初間に合わないと諦めていた部品が
今日中に仕上がりそうとのことで
一旦取引先を出て時間まで待つことにしました
3時間ほど待つことになりそうなので
とりあえず小諸の駅前まで来てみました


小諸駅の連絡橋から西方向の景色


小諸駅の連絡橋から東方向の景色


小諸駅から駅前広場を見た景色

駅前のロータリーの周りにはホテルやレストラン
お土産屋さんなどが立ち並んでいます

小諸駅駅舎

小諸駅前はかつてはJRでしたが
長野新幹線の開通に伴い
しなの鉄道という第三セクター方式の鉄道会社に
経営が引き継がれました

駅前ロータリーの右側にある
小諸ロイヤルホテル

とても古くて味のあるホテルです
ビジネスでも観光でも利用できるよう
ベッドの部屋と和室の部屋が用意されています

駅前から少し奥に入ったところにある
レストランさかい

レストランは営業しているのかどうか不明
1階のお土産屋さんは営業していました

その向かいにある鈴木商店さんの前にあった
ロッテのガムの自動販売機

最近こういう自動販売機はなかなか見かけません

さらに歩くと繭問屋の「小林金吾商店」

とても古そうな建物です

本陣主屋

小諸市は旧北国街道(ほっこくかいどう)沿いにある宿場町
江戸時代には参勤交代の大名などがこの本陣主屋に
宿泊していたそうです

小諸城大手門

小諸市は城を持つ城下町でもありました
この大手門は小諸城の表玄関にあたり
1612年に築城された時代のものだそうです
明治維新の後、この門は民有化され
料亭として使われていた時代もあったそうです

1993年に国の重要文化財に指定され
その後平成の大修理を行い2008年に
かつての豪壮な大手門として復原されました

やきとり登㐂和

大手門を出た先にあった焼き鳥屋さん
お昼の時間から営業しているようでした

その先にある飲食店街

どうやらこの街は
あるところから時が止まっているように感じます