もっちゃんのボケ防止日記

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益子秋の陶器市に行ってきた

2016年11月04日 16時14分57秒 | 日記
 今日も朝から秋晴れ。益子で陶器市をやっていると聞いたので、妻と一緒に出掛けることにした。久しぶりのロングドライブだ。

 東北道を走ったが、途中で事故渋滞に巻き込まれてしまった。高速道で事故を起こされると腹が立つ。高い高速料金を払うのは時間を買うためだ。それなのに、渋滞したらば一般道を走るのと同じになってしまう。事故を起こした人間に、賠償を要求したくなるのは私だけだろうか。

 渋滞を過ぎて、東北道から北関東自動車道に入る。車が少なく、快適に走る。途中、壬生のパーキングエリアで休憩する。車を降りると、雲一つない青空が広がっていた。気温も低くなく、日差しが温かい。

 真岡インターで高速を降りると料金は2,880円。やはり高速料金は高すぎる。もう少し安くならないものかと思う。インターから一般道を走ると真岡鉄道の踏切で渋滞していた。

 家を出てから3時間、やっと益子に着いた。だが、駐車場に入るのに待たされた。普段ならば駐車料金は無料なのに、今日は有料で500円取られてしまった。

 陶器市は11月3日から7日まで行われるが、約20万人の人が来るという。テントが並ぶ陶器市に行くと大勢の人でいっぱいだ。どの店にも焼き物が並べられ、その店その店の特徴が出ている。全部を見て回るには、相当な時間がかかりそうだ。

 お腹が空いたので、お昼にすることにした。妻は家から持ってきたおにぎりを食べ、私は天ぷらそばを食べた。

 食後、妻が通りに出ている店を見て回っている間、私は陶芸メッセに行ってみた。旧濱田邸に行くと登り窯があった。濱田邸は茅葺の大きな農家のような建物だ。中ではお茶の接待をしている。和服姿の女性が数人見える。

ー濱田庄司とはー(インターネットから)

濱田庄司は、近現代の日本を代表する陶芸家の一人です。1894年に東京で生まれ、東京府立一中時代に陶芸家の道を志しました。東京高等工業学校窯業科から京都の陶磁器試験場に入所し、この間に終生の友、河井寛次郎を得ています。 自身の作家活動の軌跡を「京都で道をみつけ、英国で始まり、沖縄で学び、益子で育った」と振り返っているように、大正半ばにバーナード・リーチとともに渡英し、イギリスで陶芸家としての活動をスタートさせます。帰国後は、田舎での生活を望み、1924年に益子に移住しました。この時期には沖縄にも長期滞在し、多くの作品を残しています。1930年に、母屋となる建物(陶芸メッセ・益子に寄贈)を移築し、その後1942年までの間、多くの古民家を邸内に移築し、自身の生活と作陶の場としました。またこの間に、柳宗悦や河井寛次郎らと民芸運動を創始、日本の工芸界に大きな影響を与えました。1955年には、第1回重要無形文化財技術保持者(人間国宝)に富本憲吉らとともに認定され、1968年には、陶芸家として3人目となる文化勲章を受けました。

 濱田庄司の作品は何度も見たことがあるが、とても力強い作風に感動する。彼の作品は高価で手に入れることはできないが、見る機会はこれからもあることだろう。持つ楽しみよりも、見て楽しむ方が良い。

 メッセを後にして、通りで妻と落ち合う。その後も焼き物を見て回ったが、店の多さに辟易してしまった。歩いているとジャンパーがいらないくらいだ。中には、野菜などの農産物や食べ物を売る店も出ていた。

 通りを歩いていると、音楽が聞こえてきた。店の前で、2人の男性が演奏している。



 暗くならないうちに帰ろうということになり、車に戻る。帰りは渋滞もなく、スムーズに走る。高速道路から日光連山を眺め、ドライブを満喫する。