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「根性大国ニッポン」の狂気

2018年07月26日 | 社会・経済

 

子供の熱中症死を続出させる「根性大国ニッポン」の狂気

 

  DIAMOND online 2018.7.26

 窪田順生:ノンフィクションライター

   災害級猛暑の中で、熱中症にかかる子どもが続出している。こんな事態になってなお、なぜ日本人は根性論から抜け出せないのか。旧日本軍に蔓延していた「狂った考え」が、今なお日本社会全体を覆っているからではないだろうか。(ノンフィクションライター 窪田順生)

「亡き女子マネへ…」
美談にされた酷い事件

   根性論が蔓延していた旧日本軍の演習では、「日射病で死者七名」(当時の表現)なんてのは当たり前。そして戦後70年以上経つ今も、この狂った考え方は日本社会に深く根付いたままだ(写真はイメージです)

 気が狂いそうになるような連日の暑さのなかで、本当に気が狂ってしまったのではないかと心配するような、「子どもへの虐待」が続発している。

 7月17日、愛知県豊田市の小学校ではすさまじい炎天下で高温注意情報が出ているなか、エアコンのない校舎で過ごしていた1年生112人に、さらに1キロ離れた公園まで歩かせて、昆虫採集や花摘みをさせるという暴挙に出た。

 行きの道中から疲れを訴えていた男の子は、唇が真っ青になって意識を失い、そのまま帰らぬ人となった。熱中症のなかでも、重い症状にあたる「熱射病」だった。

 甲子園の地方予選でも、炎天下で母校の応援に駆り出される子どもたちがバタバタと倒れている。あまりに犠牲者が出て感覚が麻痺してしまったのか、いつもは何かと「子どもを守れ」と世間にご高説を垂れる「正義の大新聞」までおかしなことを言い始めた。

 新潟の私立加茂暁星高校が地方予選準決勝で敗れたことを、「練習直後に倒れ…亡き女子マネジャーへ、捧げる2本塁打」(朝日新聞デジタル2018年7月22日)と報じたのだ。

 タイトルだけ聞くと、漫画「タッチ」を思わせるような甲子園感動秘話を連想するかもしれないが、正確には、この女子マネージャーは、「練習後に約3.5キロ離れた学校に戻るため、選手とともにランニングをさせられて倒れた」のである。

 しかも、遺族によると、倒れた時に心室細動を発症していたが、野球部の監督は「呼吸は弱いけれどある」(朝日新聞デジタル2017年7月25日)とAEDを使わず、救急車が来るのを待っていたという。数日後、女子マネージャーは低酸素脳症で亡くなった。

戦前の「軍国美談」にソックリ
異様な「甲子園美談」報道

 どう考えても「いやあ、甲子園って本当にいいものですね」で済まされるような話ではないにもかかわらず、甲子園の主催社として高野連に「忖度」でもしたのか、8月5日の開幕へ向けて全国の「甲子園大好きおじさん」を煽るコンテンツにすり替えられてしまっているのだ。

 太平洋戦争時、赤紙が来た夫が戦闘に集中できるようにと、自ら命を絶った妻を「日本女性の鏡」だと褒めちぎった戦前マスコミの「軍国美談」を彷彿とさせる、異常な「甲子園美談」報道といえる。

 今年の暑さは異常だ。そんな言葉が日本全国にあふれているが、異常だ異常だと騒ぐわりに、大人よりも暑さに弱い子どもたちに対して、なんら特別なケアをしようとはしない。むしろ、「教育」や「鍛錬」の名のもと、積極的に殺人的な暑さのなかへ放り込む。

 当然、犠牲者が出るが、大人たちは責任追及もせず、反省も促さない。普段は「子どもを守れ」とエラそうなことを言っている人たちも、「避けられなかった悲劇」みたいに妙に歯切れが悪くなるのだ。社会全体で無言の圧力をかけて、「亡くなった子どもはたまたま暑さに弱かった」という方向へ持っていく。

 なんてことを言うと、「亡くなった子どもたちは気の毒だが、だからといって、あまり極端に過保護にするのもいかがなものか」みたいな反論をする人たちが必ず出てくる。

「昔の部活はもっと過酷だった。炎天下で、1人や2人ぶっ倒れるこどなど珍しくもなかった」「昔はクーラーなんてなかったから、もっと暑かった。そういうなかで遊んだり、スポーツをしたりすることで、強い子どもになる」――。

 こういう「認識の決定的なズレ」を耳にするたび、デジャブというか、これと似たやりとりが延々と無限ループしているような話があったなよな、と考えていたのだが、最近ようやくそれが何かを思い出した。

米兵に多くの死者を出した
「バターン死の行進」

 太平洋戦争中の「バターン死の行進」である。

 フィリピン進行作戦をおこなっていた旧日本軍が、投降した米軍兵士たちをバターンからオードネルというところまでおよそ100キロ、歩かせた行軍のことである。

 その過程や捕虜収容所で、米軍兵士に多くの死亡者が出たことから、旧日本軍の「捕虜虐待」として戦後に裁かれ、責任者だった本間雅晴中将は処刑されている。

 おいおい、現代日本の熱中症死と、70年以上前の戦争中の出来事を一緒にするなよと思うかもしれないが、実は両者の正当性を巡る論争というのは、驚くほど似ている。というか、丸かぶりだ。

 この「バターン死の行進」は、アメリカ人からすれば今も許せぬ非道な「虐待」だが、日本の愛国心溢れる方たちからすれば、「米軍捕虜のわがまま」「戦争に勝った後に日本を不当に貶めるための言いがかり」ということになっている。

 要は「虐待」ではないというのである。

 その根拠となっているのは、旧日本軍が歩かせた「100キロ」というのが、1日換算では20キロで、そんなに過酷ではないということだ。米軍捕虜は武装解除しているので手ぶらである。屈強な米兵が十分な休憩を与えられながら歩いたというのなら、実態としては「ウォーキング」程度のものであるにもかかわらず、大袈裟に被害者ぶっているというのだ。事実、「同じルートを同じ時期に歩いてみたけど、まったく余裕だった」みたいなことをおっしゃる方もたくさんいる。

 両者の主張の是非はともかく、筆者が強く感じるのは、昨今の熱中症議論とほぼ同じ無限ループに入っている点だ。

虐待の意図はなくても
実際に人が死んでいるのが現実

 たとえば、冒頭で紹介した豊田市のケースでは、熱射病で命を奪われた子ども側の視点に立てば、「あんな暑いなかで1キロも歩かせるなんて虐待だ」となる。しかし、これを「虐待ではない」と主張する人は、「同じことをして平気な子どももいるんだから、その子がたまたま身体が弱かっただけ」となる。

「バターン死の行進」についていまだに歴史的評価が分かれているのと同じで、子どもの熱中症死をめぐる認識のズレも、その溝を埋めることは難しく、どうしても堂々巡りになってしまうのだ。

 ただ、白黒をつけることはできないものの、両者の構造が同じなのであれば、なぜこういう悲劇が起きてしまうのかという根本的な原因を探ることはできる。

 実際にフィリピン・ルソン島で砲兵隊本部の少尉として敗戦・捕虜生活を送った経験のある評論家の山本七平氏は、「一下級将校の見た帝国陸軍」(文春文庫)のなかで、「バターン死の行進」についてこのように述べている。

《収容所で「バターン」「バターン」と米兵から言われたときのわれわれの心境は、複雑であった。というのは、本間中将としては、別に、捕虜を差別したわけでも故意に残虐に扱ったわけもなく、日本軍なみ、というよりむしろ日本的基準では温情をもって待遇したからである》(P.98)

 このあたりの認識の悲劇的なまでのすれ違いは、子どもの熱中症死にもピッタリ当てはまる。豊田市の1年生を受け持った担任も、女子マネージャーにランニングをさせた監督も、子どもたちを故意的に残虐に扱おうなどと微塵も思っていなかったはずだ。むしろ、彼らの基準では温情をもって待遇していたはずだ。

 たとえば、報道によると、亡くなった女子マネージャーは監督から「マイペースで走って戻るように」(朝日新聞デジタル2017年7月25日)と言われたという。この監督なりの気遣いをみせているのだ。

 しかし、結果として子どもは死んだ。温情をもって待遇した米軍捕虜がバタバタ倒れたように。

日本の大人が信じ込んでいる
“クレイジーな基準”

「そんなのは防ぎようがないだろ」と思う方も多いかもしれないが、筆者の考えはちょっと違う。そんな言葉が出てしまうこと自体、「防ぐつもりがない」のではないか。つまり、そもそも「温情」のベースとなる「基準」が、狂っているとしか思えないのだ。

 それを示唆するのは、かつて自身も「米兵への虐待」の当事者として、この問題に向き合った山本七平氏の以下のような記述である。

《日本軍の行軍は、こんな生やさしいものでなく、「六キロ行軍」(小休止を含めて一時間六キロの割合)ともなれば、途中で一割や二割がぶっ倒れるのはあたりまえであった。そしてこれは単に行軍だけではなくほかの面でも同じで、前述したように豊橋でも、教官たちは平然として言った、「卒業までに、お前たちの一割や二割が倒れることは、はじめから計算に入っトル」と。》(同書P.98)

 一方、太平洋戦争時、既にアメリカは車社会だった。普段から長時間歩く習慣のないアメリカ人たち、しかもジャングルで戦闘を繰り広げて体力が落ちている彼らに、「犠牲者折り込み済み」のハードな行軍を基準として少しばかり優しくしても、「虐待」としか受け取られないというわけだ。

 このすれ違いは、熱中症死を引き起こす大人たちにも見られる。彼らがこれまで受けてきた教育は、「暑い日は外に出ない」なんて生やさしいものではない。「炎天下のなかで体を鍛える」ためには、「1割や2割が倒れるのも想定内」というものだ。

 こういうクレイジなー基準を持つ大人がいくら温情をかけても、子ども側からすれば「虐待」以外の何物でもないのだ。

 保護者からの受けも良く、子どもたちからも人望のある「いい先生」が、熱中症や「しごき」で次々と子どもの命を奪うのは、彼らの人間性に問題があるからではなく、彼らが正しいと信じ込んでいる「日本的基準」が狂っているからなのである。

甲子園だけじゃない!
日本企業にも息づく狂気

 この狂気はどこからくるのか。そのヒントは、やはり「死の行進」を生み出した日本軍にある。実は旧日本軍の演習でも、今の高校野球の練習を彷彿とさせるかのように、暑さでバタバタと人が倒れていた。

 85年前の夏には、富士山の裾野演習をおこなっていたところ「赤坂第一聯隊 殆ど日射病で倒る 死亡七名 重軽患者百数十名」(読売新聞1933年7月3日)なんてことがちょこちょこ起きている。

 なぜこういうことになるのか。そこには、戦後アメリカ軍が日本の敗因を分析したレポートの中にもある「精神主義の誇張」がある。「重傷も癒す精神力 戦場の将兵は科学を超越する」(読売新聞1940年12月28日)なんて記事からもわかるように、「精神力」を鍛えれば、どんなに体をいじめても問題なし、という考えにとらわれていたのである。

 これが教育現場に持ち込まれ、今だに綿々と息づいているのが、部活動であり、甲子園である。「動じぬ精神力・打ち勝つ野球… 打倒私立へ、都立の意地」(朝日新聞デジタル×ABCテレビ 2017年7月8日)なんて見出しからもわかるように、スポーツ科学が発達した今もなお、高校球児たちは、旧日本軍的な「精神力があれば何でも乗り切れる」という「根性指導」を強いられている。

 そして、もうお気づきだろうが、この「1人や2人ぶっ倒れるのは想定内」という根性論は、教育を終えた子どもたちが身を投じる企業社会にも当てはまる。強い組織を作るためには、「1人や2人ぶっ倒れるのは想定内」という厳しい鍛錬のなかで、強い組織人をつくることが求められる。

 そこから脱落して、心を病んだり、自殺をしたりする人は「たまたま弱かった」で片付けられる。つまり、部活で子どもの熱中症死が何度も繰り返されるのと、ブラック企業で若手社員の自殺が後を絶たない問題は、根っこがまったく同じであり、それは「バターン死の行進」にも通じる、「犠牲者を前提とした組織運営」という狂った基準があるのだ。

 今年も甲子園が開幕する。猛暑のなかで肩を酷使しながら速球を投げるピッチャーや、意識朦朧としながら白球を追いかける野手を、同じく暑さでフラフラな子どもたちが喉を枯らして応援をする。子どもたちが苦しみ悶えて、がっくりと膝をつく姿を見て大人たちは、「なんて美しい姿だ」と感動をする。

「異常な暑さ」という言葉をテレビや新聞で耳にタコができるほどよく聞くが、もしかしたら異常なのは暑さではなく、我々の社会の方ではないのか。

 


 暴風雨の日にこんなことをするだろうか?むしろ暴風雨よりも危険だという認識があるのだろうか?楽しいはずの夏休みだ。命を落とすようなことになってはいけない。



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