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拘束された久保田徹さんが証言したミャンマーの過酷な現実

2022年12月12日 | 事件

 「地獄みたいな」留置場、捏造証拠で有罪…

「東京新聞」2022年12月11日 

 国軍がクーデターを起こしたミャンマーで拘束され、先月帰国した映像作家久保田徹さん(26)が「こちら特報部」のインタビューに応じた。劣悪な留置施設や証拠の捏造ねつぞう、形式だけの裁判について証言。先が見えず、揺れ動いた心中を明かした。だが「ミャンマーの人々の現実を知れば、つらかったと思えない」と語る。視線の先には、国軍の弾圧に苦しみ続ける市民の姿がある。(北川成史)

 くぼた・とおる 横浜市出身。慶応大在学中からミャンマー国軍が迫害するロヒンギャを題材にドキュメンタリーを制作。「Light up Rohingya」は国際平和映像祭のAFP通信賞を受賞。

 

◆大学生7人の死刑判決に吐き気、自分も同じ法廷で…

 「昨日から動揺している」。取材冒頭、久保田さんは漏らした。1日、ミャンマーで反軍政の活動をした大学生7人への死刑判決が報じられたためだ。自身と同じ非公開の軍事法廷だった。「激しい動悸どうきと吐き気がした」

 久保田さんは7月14日、ミャンマーに渡航。昨年2月のクーデター後も、最大都市ヤンゴンで慈善活動を続ける友人のドキュメンタリーを作る目的だった。

 町は表面上平穏。しかし少し探れば、SNSに国軍批判を書き込んだだけで半年拘束された若者らの話が聞こえてくる。今でも必死に抗あらがう姿を捉えようと、ゲリラ的なデモ「フラッシュモブ」の取材を決意した。

◆ライフル突き付けられ車に「まずいことになった」

 デモの情報はSNSで得た。7月30日、ヤンゴンで15人余りが横断幕を掲げ、30秒ほど行進した。久保田さんは20〜30メートル後方から撮影後、通行人を装い、逆方向に歩いた。

 脇道に入った時、後ろから乗用車が近づき、軍人か警察官らしき私服の男2人が飛び出してきて、ライフルを突きつけた。手錠をされ、車に押し込められた。「まずいことになった」

 ただ、車内で男の1人がどこかに電話後、外国人を手荒に扱うなと指示されたのか「ソーリー、ソーリー」と態度を豹変ひょうへんさせた。

 警察署に着き、他に6人が捕まったと分かった。デモを待ち伏せし、片っ端から捕まえた様子だった。うち3人と屋外でデモの横断幕を持たされ、写真を撮られた。

◆「地獄みたいな所」わずか10㎡に20人の留置所

 初日の夜はエアコン付きの署長室で過ごす好待遇を受けた。だが翌日、警察官らはSNSで久保田さんの名前を検索し、イスラム教徒少数民族ロヒンギャに関する作品を発見すると一変。久保田さんを小突き、侮蔑的なしぐさを見せた。

 「地獄みたいな所に行くぞ」。酒臭い警察官に通告され、約2メートル×5メートルの広さに20人以上がひしめく留置場に入れられた。トイレは床に開いた穴と低い囲いがあるだけ。汗や汚物、ほこりの臭いが交じり、寝る時は体が重なり合った。収容者への暴力も目にした。

 取り調べ時に黙秘権の告知はなかった。大使館との連絡を求め、留置場ではハンガーストライキをした。

 横断幕を持ったデモ参加の捏造写真はこの間、SNS上で拡散していた。国軍や警察の情報操作だった。

◆雨水が入りゴキブリ這う独房で心の支えは「ペン」

 8月4日、刑務所に移動。外国人用の独房に入れられた。留置場よりやや広いが、鉄格子から雨水が入り、蛍光灯が夜通しついていた。就寝中、ゴキブリが手を這はった。それでも100〜200人が大部屋で過ごす現地の人よりましだった。同月22日、ようやく大使館と電話で連絡が取れた。

 単調な毎日で、心の支えは密ひそかに持ち込んだペンで紙切れに書く日記だった。

 「今、自分にできることはほとんどない」(8月4日)「俺の悲しみはこの国の人々に比べたらわずかなものだ」(同月17日)「あと何日、こんな夜を過ごすのか」(9月12日)「気持ちを強く持たなければ」(同月22日)。無力感や不安と戦っていた。

◆弁護士なし、証拠捏造の法廷で有罪判決

 久保田さんは3つの罪で起訴されたが、詳しい内容は知らされなかった。

 10月5日、刑務所敷地内の裁判所で、扇動と電子通信法違反の罪を審理する軍事法廷が開かれた。弁護士の同席を要求したが、軍事法廷を理由に拒まれた。

 前に立った軍人3人のうち、中央の人間が大声で何かを読み上げた。通訳は2、3分の話をごく簡単に訳すのみ。横断幕を作り、デモに参加したほか、人々を惑わす映像をネットに投稿したと認定されたという。前者は捏造写真を証拠とし、後者はロヒンギャ関連の作品を指すと思われた。

 「付け加えることはあるか」と軍人に問われた。大使館から、解放のためには判決が出るのが第一と聞いていたため、「ない」と答えると、すぐに禁錮7年を言い渡された。わずか1回、5、6分の審理だった。10月12日には観光ビザでの入国を巡る入国管理法違反罪の判決もあり、量刑は合計で禁錮10年となった。

◆刑務所内に紐、首つる姿が頭に浮かぶ

 有罪判決後も早期の解放はなく、刑の重みが心にのしかかった。「楽観的な気分と絶望的な気分が波のように交互に現れる。一度悪いほうに考えがいくと、なだれのように最悪のイメージばかりが浮かぶ」。10月26日の日記にそう綴つづった。刑務所内で紐ひもを見掛け、首をつる姿も想像した。

 恩赦の報は突然だった。11月17日朝、看守数人が来て「解放だ」と告げた。せかされ、数分で荷物をまとめて独房を出た。

 他の恩赦対象者と刑務所の講堂に集められた。テレビカメラが入っていた。記念撮影のように、出国前の空港で当局者や大使と並ぶ構図も撮られた。映像は国営テレビで流れた。久保田さんは冷静に振り返る。「明らかにプロパガンダだ」

◆昨年拘束された北角さん「悪化してる」

 クーデター後、拘束された日本人ジャーナリストは2人目だ。昨年拘束された北角裕樹さん(47)は、映像を購入し、偽ニュースを流したという罪をでっち上げられた。解放まで1カ月弱だったが、久保田さんは3カ月以上。北角さんは「状況は悪化している」と懸念を交えて指摘する。「国軍は恩赦で国際的にアピールできる外国人を解放したが、敵に回るのを恐れて自国民の政治犯はほとんど含んでいない」

 北角さんの映像の購入元とされたのは、日本育ちの映像作家モンティンダンさん(38)。拘束後に拷問され、有罪判決を受けて収監されている。久保田さんが大使館と電話する際、ミャンマー語に訳して記録する役割を課せられていた。

 人権団体によると、被拘束者は未いまだ1万3000人超。国際社会の批判を顧みず、政治犯らの死刑判決も相次ぐ。久保田さんは強調する。「ミャンマー人の友人は『国自体が監獄だ』と言う。今回の解放で国軍が軟化したと考えてはいけない」

 拘束中、帰国してもミャンマーの実態を伝えるよう政治犯らに頼まれ、「正義と人権、民主主義のため、皆さんの協力を」と書かれたメッセージを託された。

◆「自由の重み感じて、ミャンマーに目を向けて」

 久保田さんは「デモの現場に行った判断は甘かった」と自戒を込める一方、観光ビザでの入国だとしても、ミャンマーの人々の窮状に迫ろうとしたのは間違いではないと考える。報道ビザの取得は困難で、入手しても監視が付き、取材先に危険を及ぼす恐れがある。

 「私の体験を通じてミャンマーに目を向けてほしい」と願う。「日本は民主主義国で発言の自由がある。ミャンマー人が命懸けで求めている権利が保障されている重みを自覚すべきだ」

 日本政府には、国軍により強い姿勢をとり、ミャンマーからの難民受け入れの態勢を整備するよう望む。

 自身は再渡航できなくても、ミャンマーを題材にした作品を発信し、市民を支援していく決意だ。「自由のないミャンマーの人々に代わって、声を上げる義務があると思う」

◆デスクメモ

 日本では、防衛省が世論を誘導する工作の研究に着手したという。気付かないうちに、異論が封じられることになりかねない。久保田さんの体験に言論の自由のもろさ、尊さを見た。中国では、言論封殺に対してデモ参加者が白紙を掲げる。遠い国の話と無関心ではいられない。(祐)


日本国の「国軍」への対応が問われている。

ところで、今年の漢字が発表された。「戦」である。
わたしの感じでは「壊」が妥当だろう。

今日の雪景色

江部乙