「東京新聞」2022年5月21日
資本主義の限界が盛んに言われている。富がごく一部の人に集まり、教育や雇用の機会が偏って格差は広がるばかり。日本では、成長と分配を両立しようと首相が「新しい資本主義」の実現に音頭を取っている。現代日本経済論が専門の水野和夫・法政大法学部教授は「古いの、新しいのと資本主義にこだわるのは意味がない」という。なぜなら日本はすでに、そこから「イチ抜け」しているからだ、と。
水野さんが着目するのは、日本で四半世紀続くゼロ金利だ。それがどれほど特異な出来事かを、人類史をたどって明らかにしたのが、約七百五十ページの近著『次なる100年 歴史の危機から学ぶこと』(東洋経済新報社)だ。
一九九八年八月、日本の十年国債利回りが0・91%となり、実質ゼロ金利に突入した。「金利が1%を切ることは、過去五千年の世界の金利の歴史で例がなかった。それが一時的ではなく、今も続いていて常態化している」
すっかり定着した感もあるゼロ金利は、資本主義とは相性が悪い。商品やサービスを生み出す資本(設備やお金)が、利潤を得て自己増殖するのが資本主義の仕組み。資本の増殖率を測るのが、利潤率=利子率。ゼロ金利が長期化するということは、資本の増殖が止まるということだ。水野さんは背景に「商品やサービスが行き渡り、すでに供給過剰になっている」ことがあるとみる。<現在が最も豊かで(中略)投資をこれ以上する必要がなく、既存の資本で十分だとなり、資本の自己増殖を目指す資本主義も必要なくなる>(同書)
元証券マンの水野さんは、金利のスペシャリスト。八〇年に八千代証券(現三菱UFJモルガン・スタンレー証券)に入社し調査部に配属。バブル経済もその後の崩壊も経験した。社名は金融業界再編の波を受けて四度も変わったが、三十年間異動はなく、債券利回りと市場動向を観測し続けた。
異変に気付いたのは九〇年代後半。「景気と債券利回りが連動しなくなった。二〇〇一年以降は景気が良くなっても金利が上がらなくなった」。このころから日本の資本主義は終局を迎えていたのだろう。
世界史で一度だけ、今の日本に近い超低金利があった。中世から近代への移行期にあたる一六一九年、イタリア・ジェノヴァでの1・1%だ。「当時の状況を調べると、今とそっくりだったことが分かる」。イタリアにはそのころ、南米などから、大量の金と銀が運び込まれた。だがまだ農業中心の中世社会では農地の拡大ができず、自国内で富の投資先がなかった。一方で、大もうけをたくらむ冒険的な商人が海の外に勝負に出て、遠隔地貿易で稼ぎまくる。シェークスピアが『ヴェニスの商人』で描いた世界だ。
モノとサービスが飽和した現代も、普通にやってはもうけが出ないので、別の方法で富を増やそうとする。労働賃金を抑えて生産コストを下げたり、「電子・金融空間」での取引でバブルの生成と崩壊を繰り返したり…。
三年前、経済同友会の当時の代表幹事が「平成は日本敗北の時代」と発言した。そんなに自虐的になることはない、というのが水野さんの考えだ。「失敗したわけではない。資本主義がうまく回って豊かになり、ゼロ金利になった。つまり資本主義を卒業したのだ」
世界に先駆けてゼロ金利を「達成」した日本と、その後に続いたドイツ、フランスは、資本主義以後の次のステップを各国に示す責務があると主張する。「蓄積した富、すでに手元にあるストックをうまく回していく経済」だ。
日本の企業の内部留保は四百八十兆円、家計の金融資産は二千兆円。この有効活用がカギだ。「企業は手持ちの資金でできる範囲で、設備投資をする。大量生産は必要ないので、労働時間は今よりずっと少なくて済む。『必要なものを必要な時に』という経済は、地球環境に負荷をかけない」
「日独仏は『ゼロ金利クラブ』を結成して発信を」とまで提言する水野さん。「新しい経済」がおぼろげながら見えてきた。 (栗原淳)
菜の花を見るために多くの方が見えている。今年は当園の前を通る車も格段に多い。車を止めてくれる人はほとんどいないのだが。
当園のようす。
スイレンの葉がどんどん出てきた。花ももう少しで見れるだろう。
スイレンの葉がどんどん出てきた。花ももう少しで見れるだろう。
今日はクマゲラが来ていた。写真には撮れなかったが。
植物たち。