工藤律子(ジャーナリスト)
imidas 2021/07/14
ジャーナリストの工藤律子さんが、人の暮らしと環境を軸に 「つながり」と「協力」に基づく新しい経済活動に取り組む現場を求めて、日本各地を訪ね歩く。
閉塞感のある社会で、生きたいように生きる――「創造集団440Hz(以下、440Hz)」のウェブサイトのトップに掲げられている言葉だ。そこには既存の社会のあり様に疑問を抱き、自分らしい働き方を追求する者たちの覚悟が見える。440Hzは、現在、株式会社の形態をとっているが、利潤よりも人を、競争ではなく協力を大切にした職場を築いている。
現在、440Hzで活動しているメンバー。左から朝倉景樹さん、長井岳さん、石本恵美さん、信田風馬さん。撮影:篠田有史
不登校からの気づき
メンバーは全員、フリースクール「東京シューレ」が、1999年に立ち上げた「シューレ大学」の出身だ。東京シューレは、不登校がまだ「登校拒否」と呼ばれ、不登校の子どもがひどく差別されていた時代からずっと、子どもたちが自分らしくいられる学びの場を提供してきた。そのシューレのスタッフが、18歳をすぎてからも自分らしい生き方をみつける学びを続けたいと望む若者とともに創ったのが、シューレ大学だ。
「そんなシューレ大にいた若者3人が、自分らしく、互いを尊重しながら、社会とつながるための起業をしたいと、440Hzを創ったんです」
440Hzのアドバイザーである教育社会学者の朝倉景樹さん(55)は、そう語る。朝倉さんは、30年近く東京シューレのスタッフを務めた後、2020年10月からシューレ大学の発展型である「TDU雫穿(てきせん)大学Tekisen Democratic University(以下、TDU)」の代表となった。TDUは、440Hzと協力しながら活動している。
440Hzは、2010年9月、映像・デザイン制作会社として産声を上げた。社名は、国籍や人種に関係なく、生まれたての赤ん坊の産声は440Hzだという話をもとに、「生まれたての赤ん坊がお腹の底から泣く時のような根源的なところから仕事をし、表現をして生きていきたい」という思いで付けられた。4人のメンバー(うち、1人は現在休職中)が運営に携わる。
代表取締役で映像制作担当の石本恵美さん(40)は、中二で不登校になり、東京シューレに4年通った。
映像制作を担当する石本恵美さん。撮影:篠田有史
「そこで初めて学校に行かないという生き方もあるんだと知り、気持ちが楽になりました。それでもまだ、自分には『価値がない』と思い込んでいて、自信が持ちきれませんでした」
そんな時、朝倉さんに声をかけられ、シューレ大の設立準備に参加することに。設立・運営に必要な予算、それに見合った学費、カリキュラムなどを、学生仲間やスタッフ全員で話し合って決める過程に関わった。
「主体的に、人と生きる楽しさを知りました。大学では、映像表現とも出会い、映像を通して社会と関わり、社会を良くしていきたいと思うようになったんです」
その思いを叶えるために、仲間と440Hzで働く。
企画・ウェブ担当の長井岳さん。撮影:篠田有史
「僕の場合は、シューレ大のイベントで、ソーラーカーを作るという人の話を聞いたのが始まりです」
そう話すのは、企画とウェブ担当の長井岳さん(44)だ。彼も中学時代、長髪だった友人のために丸刈りを強制する校則に反対したところ、誰にも味方になってもらえず孤立し、不登校に。「不登校になるのは弱い人間だ」と思いつめ、強くなるために働こうと、水道工事の仕事に就いた。ところが、労働現場にも学校と同じように「上が決めた仕組み」があることに気づき、しだいに追い詰められていく。その息苦しさは、地元福島から上京して夜間大学に通う間のアルバイトで感じた「枠に合わせないと排除される」という不安とともに増し、とうとう大学を中退してしまう。
「『不登校』をまずしっかりと考えなければ、自分の問題を乗り越えられない。そう気づいて、いろいろな不登校関係のイベントに参加するうちに、シューレ大と出会ったんです」
シューレ大のイベントでソーラーカーを製作していると語る不登校経験者の話を聞いて、不登校に対するイメージが変わった。
「不登校をした人でも、そんなすごいことができるんだ。そう驚くと同時に、一緒にソーラーカーを作りたいと思ったんです」
シューレ大に入ってソーラーカー製作に挑み、仲間と鈴鹿耐久レースにも出場。その過程で「いろいろな人の思いを乗せたものを作る楽しさ」を知り、演劇にも取り組む。「特別な人間にしかできない」と思い込んでいたことは、誰にでも挑戦できることだと気づいたからだ。
「その頃からずっと(大学の講座「生き方創造」で始めた)『自分研究』を続けています。自分の中にある学歴コンプレックスはどこから生まれたのか、ということから考え始め、次第に世間の枠組みではなく自分の中の声を大切にできるようになってきました」
働くのが辛いと感じていたのも、枠にはまった働き方しか思い浮かべなかったからではないか。そう考え、別の働き方を調べていくうちに、労働者が皆で出資、経営し、働く「協同労働」を知る。
「『自分研究』と『シューレ大で出会った仲間』、そして協同労働に見られるような自分から始まる働き方との出会いが、今の生き方を可能にしてくれました」
ともに考え、ともに働く
440Hzのオフィスは、都内の小さなビルのワンフロアある。入って左手は、長方形に長机と椅子が置かれたミーティングスペース。右手には、「よくここでご飯を作っている」というキッチンと、作業スペースがある。一番奥には、もう一部屋、ミーティングルームが確保されている。
作業スペースでは、石本さんが映像編集に取り組んでいた。440Hzが制作してきた映像作品シリーズは、世界の教育、放射能、平和といった社会的テーマを扱っている。どれも、メンバーがシューレ大で培ってきた問題意識に端を発するものだ。自らの体験を通じて湧いた学校制度・文化への疑問、東日本大震災で痛感した放射能に関する正しい知識の必要性、2003年のイラク戦争と人質になった日本人への「自己責任論」から感じた疑問などが、制作意欲をかきたてた。
「取り上げたい企画は、各自がプレゼンテーションを行い、皆で話し合って決めていきます」
と、石本さん。シリーズ作品は、主に大学図書館に販売している。ほかにインターネット・ケーブルテレビの番組制作なども行う。コロナ禍では、オンライン会議のサポートの仕事も増えた。
同じスペースの奥では、デザインとウェブ担当の信田風馬さん(39)が、パソコンで仕事をしている。ウェブサイトやチラシ、パンフレット、カレンダー、名刺などのデザインを手がける。
デザイン・ウェブ担当の信田風馬さん。撮影:篠田有史
「僕の名刺も、440Hzでつくったんです」
と、長井さん。その名刺には、レンガ色の紙に白抜きで出身県福島の地図が描かれている。「透かしてみてください」と言われて光にかざすと、地図の真ん中右寄りに、人の形が浮かび上がった。「その辺りが僕の出身地なんです」。
取材の日、午前中は広いミーティングスペースで、スタッフと朝倉さんがスケジュール会議をしていた。長井さんが進行役となり、グーグルカレンダーを使って、全員が日程表を共有しながら話を進める。大学のゼミのような雰囲気の中、各自が自由に発言し、進行中の業務の確認や今後の予定を話し合っていく。長井さんが「パンフレットの仕事が進まない……」と漏らすと、朝倉さんが「長井くんのやることを、皆で明日の夜にでも整理してみたら?」と提案、さっそく予定に入れられる。自己責任ではなく、支えあいが重視されている。
この日の会議では、TDUの学生の状況や授業内容についても話し合われた。440Hzのメンバーは、TDUの学生の相談役的存在で、講師もしており、講座や行事の企画にも関わっているからだ。
原点「生き方創造」
後日、440Hzメンバーの今に深く関わっているという講座「生き方創造」を、TDUで見学した。朝倉さんと学生15人(3人はオンライン参加)が、ロの字に置かれたテーブルを囲む。床に座ったり這いつくばったりして参加する人も。この日は2人が発表を行い、参加者と意見交換をした。
「私にとっての幸福は何か」という発表では、TDUで得ている生きる実感と、将来そこを離れた後の自分に対する不安、さらに「親の(学費)投資」に報いる形で生きていくためにレベルアップしなければと思うことなどが、語られた。共感する声や、「幸福は、自分がどう生きたのかをもとに考えるのが近道では」といった意見が出る。
もう一人の「2つのわたし、ひと」という発表では、家族に否定されていた過去の自分に影響され、必要以上に他人の目を気にする今の自分の苦しみが、伝えられた。「価値のない人間とされている過去の自分を、今の自分が肯定的に捉え直してみては」といった提案がされる。
講座の様子からは、440Hzの原点が見えた気がした。他者との対話を通して、自分の不安や苦しみのもとを探り、理解していくことで、自己否定から抜け出し、「自分から始まる生き方」をみつけてきたメンバー。彼らもかつて、この日の学生たちのように、仲間に自らをさらけ出し、理解され、理解しようとするなかで、自分の生きる道を探していたのだろう。その結果、仲間と学び、支えあいながら、働き、生きることのできる場を、自分たちで生み出した。
出会いとつながりの先に
440Hzは現在、新たな事業として、不登校の子を持つワーカーズコープの職員とその子どもをサポートする「リゾームスクール(家庭など自分の選んだ場所で学んでいくプロジェクト)」を行っている。朝倉さんと石本さんが、不登校の子どもやその親が学校とどのように関わればいいのか、家庭学習はどう進められるのかなどの相談に乗り、子どもの自由な学びを支えるのだ。
取材日の午後も、二人はミーティングルームで1時間ほど、相談に来た母親と話をしていた。
「いらしているのは、ワーカーズコープの方々なんです」
と、朝倉さん。440Hzは、数年前から「日本労働者協同組合(ワーカーズコープ)連合会(以下、連合会)」の人たちと連携しており、つい最近、連合会の会員にもなった。440Hzにとって、ワーカーズコープとの出会いは、新たな扉を開くものだった。約5年前、生きづらさを抱える若者支援組織の大会で声をかけられ、交流を深めるうちに連携することになったという。
「ワーカーズコープでは、働く人が主体的に自分の仕事を仲間と協同しながら創っています。その『働く』という部分を『学ぶ』に置き換えると、私たちが身につけた学びのあり方と一致するんです。そういう意味で協同できる面が多いと思います」
石本さんはそう考える。
冒頭で述べたように、440Hzは現在、株式会社の形をとっている。東京シューレに通った若者の働く場として、親たちが株主となって作られた会社の枠組みを引き継いだためだ。しかし、より多くの株を持つ者がより大きな発言力を持ち、利益を上げて配当金を出すという株式会社の形態は、本来、440Hzに合わない。「労働者協同組合」の方が、親和性があるのだ。
「ワーカーズコープにおいても、それぞれの事業はいろいろな悩みや当事者主体ならではの葛藤を抱えながら、運営されているように感じます。僕たちと似ている」
と、長井さん。石本さんも、
「同じ会議に出たり、一緒に仕事をしたりするなかで、互いのことがよりよくわかってきました」
と話す。
6月中旬、連合会の定期全国総会の会場には、440Hzの3人の姿があった。オンライン併用で行われる総会の運営サポートを任され、石本さんがカメラ、長井さんが演出、信田さんがテロップと音声を担当している。隣に座った連合会本部スタッフと言葉を交わしながらパソコンに向かう信田さん、高い位置に据え付けたカメラを台に乗って操作する石本さん、連合会の人たちと気さくに撮影の段取りを確認し合う長井さん。
会議終了後、連合会本部のスタッフに、「440Hzが作ったオープニングビデオ、とてもよかったです」と声をかけられた石本さんから、笑みがこぼれた。
「こうした出会いとつながりから生まれた仕事が増えています。仕事が多くなって、仲間が増やせるといいなと思います」
とはいえ、440Hzメンバーの収入は平均収入と比べるとかなり少なく、そのわりに労働時間が長い。それでも彼らはこう胸を張る。
「私たちは、働くことと生活することが一緒になっているんです。お金につながらなくても大事な仕事もある。何より人生の時間の使い方を自分自身で決めているので、楽しいんです」
日本労働者協同組合連合会の定期全国総会会場。信田さん(中央奥)が音声とテロップ、石本さん(手前右)が映像撮影、長井さん(手前左)が段取りを確認する。撮影:篠田有史
株式会社 創造集団440Hz
設立年:2010年
人数:4人
事業内容:映像制作、デザイン、講座・講演・ワークショップなど
モットー:自分らしく、互いを尊重して働く
朝8時ころの気温。
すでに最高気温40℃・・・?
今日も収穫と水やりで終わる。まだ沼の水があるのでいいが、水位はどんどん下がっている。井戸水もまだ出ている。
ハウス内。
ミニトマト通路左バジル、右スベリヒユ。