公選法で不起訴 「厳正公平」でなくては
「東京新聞」社説 2021年7月8日
実刑判決を受けた元法相の河井克行被告(控訴中)夫妻から現金を受けた広島の地元議員ら百人を検察が不起訴とした。この判断はおかしい。従来の“基準”とは異なり「厳正公平」とは言えない。
選挙は「公平」で成り立っている。それが民主主義の基盤でもある。票をカネで買うのは、その基盤を崩すから公職選挙法は処罰の対象としている。
カネを受け取った側も当然、同法による処罰対象である。法定刑も、買収罪と同じ「三年以下の懲役」などと定めている。それゆえ検察も「厳正公平」に刑事処分をしなければならないはずだ。
しかし、二〇一九年の参院選広島選挙区での買収事件では、河井夫妻は起訴のうえ、有罪判決を受けたが、東京地検はカネを受け取った地元議員ら九十九人は起訴猶予で不起訴、一人は死亡により不起訴とした。
「地裁の判決でも、現金の受領者はいずれも受動的な立場だったと判断された。金額や回数など一定の基準で選別して起訴することは適切でないと判断した」−東京地検の説明だ。
確かに検察は起訴・不起訴の判断に裁量権を持つ。明白な起訴基準はないものの、従来ならば起訴処分だったはずの者らまで今回は「不起訴」なのである。何しろ百万円、三百万円もの大金を受け取ったケースまで罪に問われないことには納得しがたい。
しかも公選法を熟知している議員らであるうえ、法を守らねばならない立場にある。「日本型司法取引」は一八年に導入されたが、特定の財政経済犯罪や薬物銃器犯罪などに限られ、公選法は対象外なのである。
検察の判断には異議を唱える。これでは「厳正公平」の鉄則が崩れてしまう。市民団体が不起訴を不服として、検察審査会に審査を申し立てるのは当然である。
「地方議員らには現金を受け取らざるを得ない面もあった。巻き込まれた人たちまで起訴すべきではない」という事情を仮に酌んだとしても、全員一律に不起訴は到底、許されないことだ。
これでは検察の意に沿う協力をした者は罪を免れると世間は受け取るだろう。それ自体が司法の姿をゆがめる。正しい証言をしたか疑わしくなるからだ。今後、全国の選挙で起こる買収事件の捜査実務を崩壊させうると危惧する。
「司法」の国民からの乖離はますます続いている。
週間天気予報を見ても晴れもなければ雨もない。こんな事があっただろうか?今日も今にも降り出しそうな感じにはなるのだが1.2分ほどの霧雨で終わってしまう。このままで「回復」されたら困るのだ。
赤いバラも咲きそう。