「命には限界がある。先延ばしすることでそれ(亡くなること)を望んでいるのではないか」。
国と広島県、広島市は「黒い雨」の援護区域拡大を視野に、最新の科学的知見に基づいて再度検証すると表明しつつ、控訴に踏み切った。弁護団は声明で「国の『政治判断』は苦難に満ちた人生と無念のうちに亡くなった多くの『黒い雨』被爆者の思いを踏みにじるものだ」と抗議した。
厚生労働省は2012年、広島市などの要望を受けて専門家による検討会で区域拡大を検討したが、「科学的根拠がない」と拡大を見送った経緯がある。
弁護団事務局長の竹森雅泰弁護士は「国はずっと要望を蹴ってきた。(科学的知見に基づく再検証について)経緯を考えると『そうですか』とは言えない」と不信感をあらわにした。県と市に対しては「国の圧力が強かったと思う。これまで一生懸命手を携えてきてくれたことについては感謝している」としながら、控訴の判断には「残念としか言いようがない」と無念さをにじませた。
ほかの原告からも落胆のため息がもれた。
「ああ、だめなんじゃ」。原告の一人の沖昌子(よしこ)さん(79)は控訴方針を報道で知り、肩を落とした。「これで終わりじゃなかった。(勝訴は)ぬか喜びやった」
4歳のころ、爆心地から西に約9キロの八幡村(現・広島市佐伯区)で黒い雨と灰を浴び、小学5年で肺結核に。20代でメニエール病を発症。いま、循環器機能障害などを患い、右足は義足で、左ひざには人工関節を埋め込んでいる。杖をつくか、車いすが必要で介助は欠かせない。
控訴審でも闘えるか。不安が膨らみ、引き続き裁判に参加するか悩んでいる。「判決が出るまでに時間がかかれば、体は動かなくなる。みんな後がないんよ」
原告の新庄竹子さん(84)は、爆心地から約18キロ北西の安野村(現・安芸太田町)にあった自宅付近で黒い雨を浴びた。黒く染まった白いシャツのしみは洗濯しても落ちなかった。家の目の前の川が行政区の境界線で、この川を境に援護対象から外れた。「川にはドアも立てられやせんのに、隔てられる。おかしいでしょ」と裁判に参加した。
控訴の報には「悲しうて。何とも言えません」。(比嘉展玖、西晃奈)
(朝日新聞デジタル 2020年08月13日 )
これが「科学的見地」?
もうこれ以上被爆者を苦しめないで!
前のビデオ「あなたは生きているだけいい」という言葉がよみがえる。
何度も「死にたい」と思ったであろう。
これが核兵器なのだ。