里の家ファーム

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雨宮処凛 小林多喜二没後87年に寄せて

2020年02月19日 | 社会・経済

「しんぶん赤旗」2020年2月18日


「蟹工船ブーム」から12年 搾取は、より巧妙に
 蟹工船が書かれて80年がたった2008年、「蟹工船ブーム」なるものが訪れた。航海法や工場法の適用も受けず、脱法的にやりたい放題できるその構図が、当時問題になっていた日雇い派遣のシステムや、派遣法が適用されない「偽装請負」に似ていると話題になったからだ。


トランクルーム
 また、寮費だけでなく布団や日用品のレンタル代などを差っ引かれる製造業派遣との類似性を指摘する声もあった。もっとも共通するのは、労働者がホームレスになろうが餓死しようが、「丸ビルにいる重役には、どうでもいい事だった」という点だろう。
 そんなブームから今年で12年。「貧困」が当たり前のものとなったこの国では、「搾取」はより巧妙となっている。「好きな時間に働ける」がウリのウーバーイーツでは配達中に交通事故でけがをしても、個人事業主なので労災の対象外。08年には「ネットカフェ難民」の存在が衝撃をもって受け止められたが、18年の東京都の調査によると、住居がなくネットカフェに寝泊まりする層は都内だけで1日あたり4000人に上る。また、今やネットカフェより安い月2、3万のトランクルームで寝泊まりする者もいる。冷暖房がないのでネットカフェより過酷だ。


財政破綻の脅し
 働く人々の実質賃金は下がり続け、氷河期に社会に出たロスジェネ(失われた世代)は40代となり、消費税は上がって生活は苦しくなり、貯蓄ゼロ世帯は増え続けている。「老後に2000万円必要」と言われ、高齢化が日本の財政を悪化させていると報じられ、「このままでは財政破綻」と日々脅される。
 そんな中、16年には障害者19人が殺害される事件が起きた。1月に始まった裁判を私はこれまで6回傍聴してきたが、元施設職員の植松被告は、介護殺人や無理心中、高齢化問題を解決するためには障害者を殺すしかない、障害者に使う金を他に使えば戦争をなくせる、障害者はお金と時間を奪っているなどと述べ、「なぜ自分の姉を殺したのか」と問うた遺族に「殺した方が社会の役に立つと思ったからです」と答えた。
 驚くべき主張だが、そのような言い分は私たちの日常に潜んでいるものでもある。


多喜二が見たら
 日本は借金だらけで社会保障はこのままでは破綻するから「命の選別」が必要ではないか。誰でも生かすような悠長なことは言ってられないから生産性で決めるべきではないのか、等々。手を替え品を替え、これまで「財政危機」とセットで語られてきた。10年前だったら、口にするのもはばかられた言葉だろう。しかし今、「命は大切」という正論を口にする者が嘲笑されるような空気は確実に、ある。
 蟹工船がブームになる前から、私たちは「障害や病気があれば公的に守られるけど、障害者でもなく病名もないなら自己責任で競争に勝ち続けてください。負けたら野垂れ死で」という無理ゲー(攻略が無理なゲーム)を強いられ続けている。月収20万前後で働く植松被告は、公的に「守られる」障害者がうらやましかったのではないだろうか。
 末期だと思う。こんな状況を多喜二が見たら、どんな小説を書くだろう。没後87年、そんなことを思っている。


 小林多喜二 1903年生まれ。小説「一九二八年三月十五日」「蟹工船」「党生活者」など。33年2月20日に特高に捕らわれ拷問のため死去


 あまみや・かりん 作家、活動家。1975年生まれ。著書『生きさせろ! 難民化する若者たち』(JCJ賞)、『非正規・単身・アラフォー女性』『ロスジェネのすべて』ほか


きょうの潮流
2020年2月17日
 歴史の片隅に埋められた人物を掘り起こす。ゆるぎない信念と情熱をかたむけた発掘は、今を生きる人びとや社会に新たな光を差し込みます▼もうすぐ、小林多喜二の命日がめぐってきます。しかしその9日前、権力によって同じように命を奪われた活動家がいたことは彼ほどに知られていません。北海道・新十津川出身の西田信春(のぶはる)です▼北の大地に育まれ、物静かでやさしく、周りから好かれていた少年時代。ボート部の活動に熱中し、熱烈な恋を夢想しながら、社会科学にめざめていった東大時代。戦前の嵐のなかで社会運動にとびこみ、共産党員として活動した時代▼やがて九州の党を立て直すために赴きますが、1933年2月11日、特高によって福岡署で虐殺されました。30歳の若さで。「消息不明」で隠された死の真相が判明したのは戦後になってからでした。多喜二らと同じ時代を駆け抜けたその青年の骨格が浮かび上がる評伝が今月刊行されました▼『西田信春―甦(よみがえ)る死』(学習の友社)。同郷の元高校教諭で著者の上杉朋史(ともし)さんは自身の祖先探しのなかで存在を知ります。闘病生活の執筆で書き上げた直後に亡くなりました。「今の政治状況が西田の時代ときわめて相似的に映ることへの危機意識」。それが原動力でした▼「まじめに生きてゆくには、この道を歩むより以外に道はなかった…」。獄中にいたこともある西田は母への手紙にそう記しています。社会を変えるために命をかけた人間の、よみがえる生がそこにあります。


首相の反共デマ 野党抗議
衆院議運委理 答弁の撤回・謝罪要求
  2020年2月18日
 衆院議院運営委員会の理事会が17日に開かれました。13日の衆院本会議で安倍晋三首相が日本共産党について「暴力革命の方針」をとっているなどと事実無根のデマ答弁をした問題で、野党側は首相の答弁に抗議し、謝罪・撤回、議事録からの削除を一致して求めました。
 日本共産党の塩川鉄也議員は、安倍首相の答弁は事実に基づかない答弁だと抗議。「わが党が暴力主義的破壊活動の方針を持ったことは一度もない」と述べ、公党への誹謗(ひぼう)中傷は許されないと厳しく抗議しました。
 立憲民主党の手塚仁雄議員は「安倍首相の答弁の謝罪・撤回、議事録の削除」は野党が一致して求めていることだと述べ、政府側にきちんと伝えるよう求めました。
 自民党の理事は、安倍首相の答弁は過去の質問主意書への答弁と同じと述べつつ、野党から抗議があったことは持ち帰りたいと述べました。


 今日は「しんぶん赤旗」から、関連する3つの記事を紹介しました。
20日は多喜二が殺された日です。「暴力革命」などと言ったこともない、議会で多数を握ることを目標にして活動している公党に対しナンセンスな攻撃である。国会においても、共産党議員でない野党議員の質問に対しても「共産党・共産党」とヤジを入れる不届きもの。
「治安維持法」という悪法のもとに、裁判にもかけられず、即刻拷問されて死んだ小林多喜二ら。犠牲になったのは共産党員だけではなかった。拷問による死者は膨大な数になる。
いまだ「治安維持法」国家賠償請求は認められていない。
こんな政権がいまだ使う「反共攻撃」の常とう手段。
窮地に追い込まれると必ず出てくる。分断するために。