里の家ファーム

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もはや戦前!

2017年01月12日 | 社会・経済

特定国民へのヘイト、マスコミへの統制、軍事費の増大、「共謀罪=治安維持法」、「反日=非国民」

おそろしい時代になった。


 

安倍首相が「共謀罪」法案強行を表明!“テロ対策”は建前、市民運動やジャーナリストも簡単に逮捕できる社会へ

                      リテラ 2017.01.07

  ついに安倍政権が“戦時体制”づくりのために、あの危険極まりない法案を復活させる。今月5日、安倍首相は組織犯罪処罰法改正案、つまり「共謀罪」法案を20日に召集される通常国会に提出すると明言した。

 しかも、今回の共謀罪法案提出を“東京五輪開催を控えてのテロ対策”であると強調。安倍首相は「テロ準備罪」というお得意の言い換えで法案を提出するとし、菅義偉官房長官も「テロを含む組織犯罪を未然に防ぐことを国民の皆さんも望んでいる」などと述べている。

 たしかに「テロ準備罪」と言われれば、「まあ、テロ対策は必要だし……」と考える人も多いだろう。だが、それは建前に過ぎず、安倍政権が目論む本質は、「治安維持法の復活」でしかない。

 共謀罪の危険性については、本サイトでは2015年のパリ同時多発テロ事件後に日弁連で刑事法制委員会事務局長をつとめる山下幸夫弁護士への取材を元にして詳細にわたってお伝えしているのでぜひ読んでいただきたいが【http://lite-ra.com/2015/11/post-1708.html】、そもそも共謀罪は、2003年、04年、05年と過去3回も法案が提出されながらも、そのたびに数々の問題点が指摘され廃案となってきた経緯がある。それもそのはずで、共謀罪とは「2名以上の人物が犯罪について話し合い、合意しただけで摘発される」というもの。つまり、犯罪を実行せずとも逮捕されてしまうというとんでもないシロモノなのだ。

 くわえて、その「合意」というのも、ただ目配せしただけでも捜査当局や裁判所から“暗黙の共謀”と解釈されうるということが、過去に廃案となった法案の国会審議から判明している。さらに、共謀罪が適用されるであろう犯罪はなんと700近くに及び、“テロ”とは無関係のものがほとんどだ。

 つまり、警察の恣意的な捜査によって、犯罪の事実がなくてもあれこれこじつけて逮捕できてしまう、それが共謀罪なのだ。

そして、もっとも恐ろしいのは、この共謀罪が成立すれば、テロとは何の関係もない「市民運動」をもターゲットにできる、ということだ。

 たとえば、先月12月に発売された『「共謀罪」なんていらない?!』(山下幸夫・編/合同出版)のなかで、監視社会にかんする著作で知られるジャーナリストの斎藤貴男氏は、9・11同時多発テロ後にアメリカにおいて制定された「愛国者法」によって〈当局に反政府的と決めつけられた人間がテロリストとして扱われ、特にイスラム系住民が片っ端から逮捕されていった〉現実を述べた上で、こう綴っている。

〈共謀罪が導入されれば、日本でもさまざまな市民運動──反戦運動や労働運動、環境保護運動、消費者運動など、体制や枠組みに抵抗するような動きをする人間には、いつでも共謀罪が適用されて逮捕されるおそれが高まる。適用されるかされないかの線引きは当局側に委ねられるのだから、それは自然の成り行きだ〉

〈筆者のようなジャーナリストが、「政治家や官僚のスキャンダルを追う取材チームを組んだ場合」「労働者の人権を無視する経営者を糾弾しようと、労働組合が決起した場合」、共謀罪が発動され得る契機は多様だろう〉

「そんなまさか」と思う人もいるかもしれないが、これは十分に考えられる話だ。菅官房長官は6日の記者会見で「一般の方々が対象になることはあり得ない」などと言ったが、安保法制に反対する国会前デモなどではその「一般」の人々を警察が平気で写真や映像をカメラで撮り続けていた。さらに、特定秘密保護法案に反対するデモが起こった際には、当時の自民党幹事長である石破茂は〈単なる絶叫戦術は、テロ行為とその本質においてあまり変わらない〉とブログに記している。警察がデモ参加者の一般市民をこじつけによって共謀罪で逮捕する──そんなことが起こっても、なんら不思議ではないのだ。なにせ共謀罪は、警察当局の判断によっていくらでも適用できてしまうのだから。

 共謀罪とは何を取り締まるものなのか。それは、斎藤氏の言葉が言い表している。

〈共謀罪とは要するに、「権力に隷従したがらない者を徹底して排除する」、あるいは「排除される危険を見せつけて萎縮させる」仕組みなのである〉

 共謀罪が適用されれば反対運動は萎縮し、しかも社会には「デモはテロのようなもの」という認識が広がり、さらには「政治的な問題には口を出さないほうがいい」という空気がいま以上に醸成される。それはいつしか「政権に楯突くことはあってはならない」というところまで行き着くだろう。思想信条を弾圧によって取り締まり、戦時体制化をより進める……共謀罪が「現代の治安維持法」と呼ばれる所以だ。

だからこそ、斎藤氏は共謀罪に警鐘を鳴らす。

〈おそらくは共謀罪も、実際に通ってしまったら、確実に戦時体制の一翼を担う道を歩むことになる。その存在は所与のものとなり、その中で育った世代にとっては、「あって当たり前。言論の自由って、何ソレ?」という時代にされかねない〉

〈学校現場における日の丸・君が代の強制や、公立施設からの反戦イベントの排除、安倍政権に批判的な報道機関への圧力など、この間に進行している言論統制の数々を考え合わせれば、待ち構えている風景は目に見えているのではないか。どこを向いても監視の目に見張られて、誰にも心を開けない社会が、このままなら間違いなくやってくる〉

 すでに安倍政権は、「子供たちを戦場に送るな」と主張する教師をも〈中立性を逸脱した教育〉と呼び、ネット上で“密告”を呼びかけるなど監視対象にした。普通なら、こうした戦前に巻き戻ったかのような常軌を逸した権力の濫用は大きな批判を受け、政権をも揺るがす大問題へと発展していたはずだが、そんな展開はまったく起こらなかった。もうこの国は、安倍政権に飼い慣らされはじめているのだ。

 そして、満を持していま、国民を権力に従順であることを強要する共謀罪を、東京五輪をダシにして成立させようとしている。安倍首相は強行採決してしまえばいいと考えているだろうが、そんなことを許してしまえば、一体どんな社会になってしまうのか。マスコミに期待できない現状を踏まえれば、一人ひとりがその危険性を訴え、世論を高めるほかないだろう。これ以上、安倍政権に慣らされてしまってはいけない。

(水井多賀子)