午後9時半すぎ、米軍普天間飛行場の移設に反対する現職の稲嶺進氏(68)が選挙事務所に姿を現すと、詰めかけた支持者約400人から大歓声や指笛、「ススム」コールが沸き起こった。稲嶺氏は両手を振って声援に応え、「市民の良識を示していただいた」と喜びを語った。涙を浮かべて見守る支持者もいた。
稲嶺氏はその後、移設予定地の辺野古の後援会支部を訪問。約4千票差がついた理由を報道陣に問われ、「自民党本部が党県連や県選出の国会議員をひれ伏させた。このような恫喝(どうかつ)、圧力に、県民の反発が強く表れた」と述べた。
仲井真弘多知事が昨年12月、国が出していた辺野古の埋め立て申請を承認した際、稲嶺氏は「(承認は)ゆめゆめ思わなかった」とこぼした。環境悪化を懸念し、埋め立てに反対する意見書も提出していた。側近は「市長は最後まで知事を信じていた」と語る。承認について、稲嶺氏への知事の説明は、数十秒の電話で終わった。
1997年にあった移設への賛否を問う市民投票では反対が賛成を上回った。だが、当時の市長は受け入れを表明して辞任。条件付き容認の後継者が市長に就き、稲嶺氏は市総務部長として支えた。市教育長を経て09年3月に市長選に出ると決めた段階でも、まだ賛否は明言していなかった。
その後、辺野古で反対の座り込みをするテント村を訪ねた。住民らの苦悩を聴き、「辺野古の海に基地はいりません」と誓約文を書いた。基地に強く反対する革新勢力も取り込み、10年1月の市長選で容認派現職を破って初当選。今回も自民を離れた元県議会議長や、市民運動家ら幅広い層が支援した。
自民党県連や仲井真知事も県外移設を公約にしていた。だが一昨年、一貫して移設を推進してきた自民党に政権が交代。政府・自民党本部の強い意向を受け、昨秋以降、県連も知事もドミノ倒しのように容認に転じた。
そんな状況下、「もう一度、名護発のオール沖縄をつくろう。それができるのは名護市民だけだ」と声を振り絞った稲嶺氏に、有権者は市政を託した。防衛省は近く移設に向けた調査を始める方針だ。稲嶺氏は「先頭になって立ちはだかる」つもりだという。
朝日新聞デジタル版