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令和4年度 山直大学公開講座 歴史講座 ~摩湯山古墳と泉光寺~
令和4年度 山直大学公開講座 歴史講座
~摩湯山古墳と泉光寺~
~巨大なお墓が物語るもの~
2022年9月9日(金)午後1:30~3:00
山直地区公民館
講師:山岡邦章氏 (岸和田市 郷土文化課)
半分は嘘かもしれません、実際には見てないことをいう考古学者。
講釈師、見てきたような嘘を言いに近いひと言で始まった、山岡邦章さんの山直大学講座~巨大なお墓が物語るもの~とは何ぞや。
「摩湯山古墳」と「泉光寺」
日本の歴史の中で、大きなお墓が権力の象徴であった時代は、大きく2時期しかない。それは「古墳時代」と「江戸時代」です。その権力の示威と継承の舞台装置として残る大きなお墓。泉州でそれらが揃うのは岸和田だけという事実、岸和田が重要な場所であったという、そして古墳時代はこの山直、三田、多治米などが中心、その後栄えた浜のお城の周りよりずっと歴史があるという、ちょっとヨイショも含んだ講座。
「権力の示威・継承の装置」
権力の示威とは、これだけの規模のものを造りだす権力を持っているのだぞと、対外的に示すもので、「古墳」「寺院」「宮殿」「城」「軍事力」「武器」「イベント」など様々なもので示されます。
現代でも、お隣の国では統一なんとかとかいう宗教団体が、「宮殿」のような総本山を造っていますし、わが国でも「国葬」と言って国民の弔意の総意であるとしての「イベント」を実行しようとしています。いずれにしても、現存の一握りの人による「権力の示威」のための象徴にしか見えません。
まあ、権力者は自分を大きく見せたいのか、どうしても権力を誇示したがります・・歴史は繰り返されてるのではと・・・色々と考えさせられる講座でおましたな。
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②、摩湯山古墳と泉光寺
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③、摩湯山古墳周辺旧地形図
東が丘の住宅開発前で昭和30年頃か。
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④、摩湯山古墳について
古墳時代前期後葉(4世紀後半ごろ)に位置づけられる前方後円墳としては、大阪府下最大級の規模の古墳である。
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⑤、泉光寺 岡部家累代の墓所
泉光寺には、岸和田藩主岡部家累代の墓として11基(五代墓を除く)が現存。通常では見られない、城主と家臣の墓が同じエリアに存在している。これは江戸時代の封建制度の中では考えにくいことである。
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⑥、権力の示威、継承の装置
これって、現在でも通じること、興味わきますな。
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⑦、山直大学
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