ごまめ~の~いちょかみ・Ⅱ

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文藝別冊・俵万智

2017-09-09 03:04:05 | 本の少し
俵万智:史上最強の三十一文字 (KAWADE夢ムック 文藝別冊)
クリエーター情報なし
河出書房新社

☆☆☆☆

「サラダ記念日」30周年記念と題して、俵万智さんを総ざらい。

短歌をかじりだして、改めて俵万智さんを知れば知るほど、
画期的な文体で短歌界と世の中に衝撃を与えた。

その、親しみ易い短歌、一首一首がいかに従来の短歌とは違うのか、
新たな若者の心を掴み、伝統からの脱皮、歌としての拡がりに貢献している。

私も、穂村弘さん、東直子さん、佐藤真由美さん、枡野浩一さん、林あまりさん、
の歌を、エッセイつながりで読んでいたが、改めて俵万智さんの革命的存在を知る。

本は、好きな、穂村弘さんとの対談ではじまり、色んな方が万智さんの魅力
歌のもつ特徴について、解説されている。


その中で、再録(すばる・1991年7月号)として、小林恭二さんとの対談を掲載されてます。

俳句と短歌を比べながら興味深いことが多く語られている。

例えば
俳人でもある、小林さんは俳句というジャンルは、近代とか江戸時代とか
そういう大きな区切に即してでてきたので、それが終われば根こそぎ無くなるんでは
ないかと危機感を持たれておられ・・・。

やはり、俳句というのはどこかで座を設定しているところがあって、
自分一人で作っても大体独りよがりのものになってしまうことは
事実みたいだ、と。

そして、読む人がいるなら読めばよし、読まなければ私一人のもの、みたいな。
短歌では、主語が書いてなければ、我ですから。
そして、俳句は柔道みたいなもので、相手がいなければできないもの。

俳句では相手を設定しないで書かれたものは自己満足的なものになってしまう。
短歌においての求道心というか、道を極める気持ちというのには、
俳句では自己満足というぐらい、価値観が全然違う。

短歌のほうはよく「一人称の文学」、俳句は「三人称の文学」と言われるらしい。

そして、万智さんは、読んだ人が一瞬拉致されたような感じというのが、
一首のなかにあったらいいなと・・・それを私自身可能にしているのが、
短歌のリズムだと思うと・・・。

その五七五七七のリズムに縛られているというより、支えられているような。
それも器ではなく、プロポーションというか、滑車というか・・・
軽さと重さなど、力のバランスについて語られていく。

小林さんの誘いに、万智さんの真髄があからさまになっていく。

革命児、俵万智さんを知って、現代短歌を知るの、一席でおました。

コメント
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