うろキョロ散歩

楽しくお散歩をするのが唯一の趣味。
お散歩の徒然に観たこと感じたことなどなどを書き込んでいこうかな、

我が父母たちが死をとして残したもの

2007年08月15日 | 亀の甲より年の功
私の父は20年くらいに前になくなりました。

軍隊では海軍の下士官でしたが、陸戦隊といってアメリカ軍でいうところの海兵隊に当たるようなところだったらしい。
戦争当初は中国に配属されていたが、昭和19年ごろからは南方に移動させられ、ジャングルの中で敵のゲリラと戦闘にいたったことなどをよく聞かされました。
敗戦時にはラバウルにいて捕虜となり、引き上げ後もマラリアに悩まされ続けたことなどを母がよく語っていました。

なぜ父が太平洋戦争に参加しなければならなかったのか。そして父がこの戦争を通して私達に残したものはなんだったのか、考えてみました。
私は思想的には決して右翼ではありません。自分ではどちらかというと中立よりは多少左に傾いていると思います。そんな私ですが、太平洋戦争がアジア・東南アジア・インド亜大陸・アフリカ大陸に与えた影響について考えて見たいと思います。

我が父母たちが死をとして戦って残したもの
太平洋戦争で日本国が果たしたものはなんだったのだろうか?

日本の歴代首脳は海外に行ってはかつての日本国が行った戦争に対して謝罪ばかりを繰り返している。
こんなことで本当に日本国としていいのだろうか?という疑問をず~と感じている。

確かに韓半島の人々と中国大陸の人たちに対しては謝罪してもしきれないほどの犯罪的行為をしてきたことは事実であります。この2地域の人たちには出来うる限りの謝罪をするべきであると思う。

しかし、その他の地域に対してはちょっと事情が違うと思う。

東南アジアとかインド大陸・アフリカ大陸の人たちには、白人による植民地支配を終焉させる切っ掛けや軍事訓練を施し戦後の独立に多少は貢献したのではないだろうか。
アジア人やアフリカ人と同じ有色人種である日本人が、白人種をやっつけたことにより白人種による長い植民地支配や人権無視の奴隷制を廃止に追い込む勇気を、彼らに与えたのは事実だと思う。
「有色人種は白人種に対して絶対的に敵わないのだ」という思い込みを払拭したのが、太平洋戦争で日本人が「有色民族でも白人種と対等だ」ということを示したことにより、アジア・アフリカの各国が太平洋戦争後に独立できた原因だと思う。
有色人種の日本国は白人種に戦争では負けたけれど、その後に白人種は植民地を失い、有色人種の独立国が誕生したのである。

このことは日本人としてもっと世界に誇っていいことだと思う。
日本の指導者たちはこのことをもっともっと世界に知らしめる宣伝をすべきである。

今、愛国心ということが声高に叫ばれているが、右翼に人々のいう愛国心はとっても偏狭な考えです。極左の連中の考えはもっと狭まった範囲からしか愛国心を見ていないと思います。
・私は日本という国が好きです。
・私は日本人が好きです。
・私はこの国で生涯を終えたいと思っています。
・私は日本という国に誇りを持っていたいです。
・だから少しでも住みよい、暮らしやすい国にしたいです。
私はこの気持ちが愛国心ではないか思っています。

半世紀前に自分の命を犠牲にして散っていった人たちも同じ考え、同じ気持ちだったのではないでしょうか。国を愛し、家族を愛し、この人たちの平和を祈りながら戦い死んでいったのではないでしょうか。

国家の指導者たちは自分の懐を肥やすことのみに汲々とするのでなく、もっと大局的な考えをもって行動してほしいです。