私の母は大正8年生まれです。
関東大震災は茨城県で経験しました。
年齢や場所の関係でそれほど憶えていないといいます。
揺れかたもたいしたことはなかった、と言ってます。
しかし、夜になり暗くなって大人(両親)と一緒に東京方面の空を見たら真っ赤だったことははっきり憶えている、と言っていました。
ブログ仲間の「ふすま(衾)メモ」さんのブログからするとこの八雲近辺では倒壊したり、火災にあった家屋は一軒もなかったようです。
そのブログから抜粋です。
>震災当時母は現目黒十一中下の呑川で兄たちと川遊びをしていた。と、急に川面が波立ち沢山の小さな飛沫を飛ばし、地面が揺れて立っていられなくなり、大声を出し泣き叫びながら兄にしがみついた。と同時に山の上からスイカがゴロゴロ音を立てながら転がり落ちてきた。と言う。<
大正14年ころには「山の上からスイカがゴロゴロ音を立てながら転がり落ちてきた。」などという表現は今では想像も出来ないことですが、八雲ものどかな田園地帯であったことが分かります。
今でも八雲地区は東京都の災害安全度はAAA(トリプルA)ですから、都内でも比較的安心して住めるところではありますが、大正14年ころよりは危険だと思いますので、避難訓練は大事だと思います。
関東大震災は茨城県で経験しました。
年齢や場所の関係でそれほど憶えていないといいます。
揺れかたもたいしたことはなかった、と言ってます。
しかし、夜になり暗くなって大人(両親)と一緒に東京方面の空を見たら真っ赤だったことははっきり憶えている、と言っていました。
ブログ仲間の「ふすま(衾)メモ」さんのブログからするとこの八雲近辺では倒壊したり、火災にあった家屋は一軒もなかったようです。
そのブログから抜粋です。
>震災当時母は現目黒十一中下の呑川で兄たちと川遊びをしていた。と、急に川面が波立ち沢山の小さな飛沫を飛ばし、地面が揺れて立っていられなくなり、大声を出し泣き叫びながら兄にしがみついた。と同時に山の上からスイカがゴロゴロ音を立てながら転がり落ちてきた。と言う。<
大正14年ころには「山の上からスイカがゴロゴロ音を立てながら転がり落ちてきた。」などという表現は今では想像も出来ないことですが、八雲ものどかな田園地帯であったことが分かります。
今でも八雲地区は東京都の災害安全度はAAA(トリプルA)ですから、都内でも比較的安心して住めるところではありますが、大正14年ころよりは危険だと思いますので、避難訓練は大事だと思います。