Matricaria

2010-11-30 | from m/b

大好きなマトリカリア。
今年は種を秋蒔きしました。来年からこぼれ種で増えてくれるのを期待して今年は少し過保護に育てています。

これからの厳しい季節を外で頑張る小さな苗達に、少し早いですけれど、


クリスマスのプレゼントですよ。燈台ツツジさんから。
この赤いブランケット、あたたかいし、冬の乾燥からも守ってくれます。



あ、ラブからは守れませんが…
でも、とても苦い葉なので、おそらく自分で身を守れるはずです。



きみたちにもあげますよ。暑かった夏を乗り越え、よくがんばっています。
葉の星型とよく似合うね。
綺麗なクリスマスカラーを、ありがとう。

Lab

2010-11-28 | from m/b
2010-11/27
きっとだれかの帰りを待ってるのね、
日が暮れて冷えてきたのに、じっとしててなかなかかわいいねぇ、
あれどこの子だ ?

 u・.・u* 「あたしですよ!」


fennel

2010-11-27 | from m/b

2010-11/26
あと一日あと一日、って力を振り絞って頑張る庭の植物たち。

ある日、冷え込む朝がきたりするとすぐお別れなので、少し部屋へ連れてきました。
フェンネルとわれもこうとユーカリ。



冬野菜

2010-11-25 | from m/b
2010-11/25
歩いて戻ってくる途中、Tおばさんが畑で作業しているのを遠くに見つけると、ちょっと引き返して違うルートから帰る私。畑で会ってしまうと、「ちょうどよかった!これ持ってかえり!」とお野菜をくださるのです。いや、お野菜はいくらでもほしいですよ。でもなんだか悪くてね。

先日も夕方の帰り道、作業中であっち向いてらしたので、サササと通り過ぎようとしたところ素早く私の姿を見付けてくれて「!…だれでっ ?」っておばちゃん、私ですよ、この間うちでいっしょにお茶飲んだでしょ。日が暮れて見えなかったのかしら;

「ちょうどよかった!これ持ってかえり!」ってやっぱり。ちょうどよかったようなよくなかったような。
すみませんねぇ、遠慮なくいただきまーす。ほんとはすごく嬉し♪お野菜、何より。
今回は日野菜をたくさん!葉はぬか漬けに、根の部分は色を生かしたピクルスに…ほんのりピンクのさくら漬になる予定。

野の花

2010-11-22 | from m/b
2010-11/22
周りが枯れゆくなか、この花のところだけいつまでも、なんと明るく元気にワァワァ言っているのだろう、たのしい花だなといつも思う。
まだ陽射しの暑い十月に見に行った、甥っ子の運動会を思い出すような、素朴な黄色の集まり。

花言葉はやっぱり「賑やか」ですって!

---
布小物のお店(当ブログ管理人HP) >>

薄いところと分厚いところ。

2010-11-19 | from m/b
2010-11/19
適当な配合で混ぜてこねてちぎって押して焼いただけの、家用ジンジャークッキー。丸めたり成型とか禁止。ただギュッと一回押すだけ。
瓶に入れておいて、虫押さえにキッチンで適当に立って食べる用。

もちろん人様へ差し上げることなどできないようなものなのだけれど、昔、家へ遊びに来た叔母にどんなお菓子を勧めても「いいの、いいの」と遠慮してたのに、このクッキーだけは食べ続けてくれたようで、滞在中の三日間、見るたびに少しずつ減っていっており、「ぁ、食べてくれてる」って嬉しくて、帰ったあとに見ると瓶の底に残り一枚…なんだか可笑しかった。

気取らないものは人を優しく受け入れるのね。

011

2010-11-17 | from m/b

世の中の漠然としたものや、根拠や出所が見えてこないものに対して、いまいちピンとこず柔軟さに欠ける私。
そんな私は先日、aura-somaを勉強したという友人から、綺麗な桃色のオイルと水が二層になった瓶をいただいた。私のために選んでくれた11番です。
  
んんん。面白いものを頂いてしまったナァ。私に使いこなすことができるかしら? …とか思うのだけれど、友人はそんな私の性格を分かりながら、何かのメッセージを込めて贈ってくれたのだもの。ここは深く考えずに「感じて」みようじゃないか!
  
とても愛らしいカラーだし、何よりその友人の気持ちが嬉しくて、昨晩などそのボトルをベッドまで持ってきて、少し体に塗り、その不思議なエネルギーを感じたような感じないような気分に浸りながら、ちょっとわくわくしながら眠ってみたのです。



こういうのを奇跡とよんでいいのかどうか分かりませんが、私にとっては奇跡だ!と思えるほどびっくりしたことが早速に起きたのです。

夕食中、二度ほど電話が鳴ったのだけれど、出たら相手がすぐに切ってしまうという、少々気味が悪いことがありました。
そして夕食も片付けも済んだ頃に三回目の電話がかかり出てみると、それは三年前までピアノを習いにきてくれていたA君という生徒さん。どうやらものすごく緊張しながらかけてきたようで…。

私とほとんど歳の変わらないような生徒で、私が学校を卒業した頃から縁あって習いに来ていて、それはそれはそれは困難だらけのレッスンでした。
毎回色々な方法で歩み寄ってトントンと叩いてみるのだけれど、周囲の人・モノすべて敵といった感じで心も口も頑なに固く閉ざしている。私にも悩みは大いにあり、年齢が近いということもあってか他人事とは思えず、どうにかならないものかとこちらも心を開いて、ものすごく頑張った思い出のある生徒です。

「こんにちは」の一言が言えないような不器用でシャイでいつでもブスっとしているA君は、動物にも接したことがないようで、「犬、撫でてみる?」と言うとラブの頭を毛並みと逆方向に一度だけサラっと撫でてくれました…。めったに喋らないA君、たまに喋るとぎょっとするようなとんでもなく悪い一言だったりと、なかなか魅力が人には理解されにくいタイプでしたが、どこか深いところにキラリと何かを秘めているような期待と好感も実はあり、どうにかそのとんがった部分が丸くならないものかなと、こちらも一生懸命でした。

そうそう、ある時、研修だったか何かで京都へ行ったのでと言って、可愛らしい和紙の貼られた手の中におさまるほどの小さな日本茶葉の缶をお土産に買ってきてくれ、愛想なく手渡してくれたことがあり、もう、びっくりやら嬉しいやらで、しばらく缶を大事に置いていたものです。

でも、レッスン中もし私が気を失って倒れたとしても何事もないように放っておかれるのだろうな(どうすべきかの術を知らない)…とまぁ例えは変ですが、そんな不器用な感じのするA君。
そんな彼はどこへ行ってもうまくいかず悩み、次第に心身共に疲れきりいつも何かに対して憤怒し、ある日、大人とは思えない態度でレッスン室から無言のまま大足で帰って行ったのです。




それっきり会うことも言葉を交わすこともなく年賀状の返事もなく、その後も色々と悩み苦労があり今ももがいているのではないか?と時々思い出しては気になっていました。

そんなA君が昨日、三年ぶりに電話をかけてきてくれたのです。聞けばレッスンを辞めた直後、一念発起し職場を変え都会へ出て一人暮らしを始めたとのこと。
一人では何かを決めるのが苦手で、コピー機やCDデッキさえ操作できないような彼がです。相当なエネルギーが要ったはず。当時の心情は察するに余りあります。
あの最後のレッスンの時みたいに、周囲に対してああでもしないと前へ踏み出せなかったのだろう。

この地を去るときに挨拶を…と思っていたのだがバタバタして何も言わずに出てきてしまった、あんなに世話になったのに悪いことをした…とその無礼を謝ってくれるA君。
「いつでも味方ですよ」という気持ちで私なりに心から言った言葉や行動をいつも無表情のまま悉く流され、さみしいものだなと勝手に思い、時には自己嫌悪に陥ったりしましたが、なんだかやっと心が繋がった気がし、声を聞くことができ本当に嬉しかったです。十年近く接していてA君の口から初めて自然な「ほんと、ありがとうございました」を聞き、その、何か大きな重たいものが落っこちたような爽やかさ軽やかさに感動しました。こちらこそ「どうもありがとう」です。

実家を出て一人暮らしを始めたことも驚きですが、自ら何かを話したことなどなかった人がこうして電話をかけてきてくれたことも大変な勇気だったと思うのです。
勇気を出して底力を発揮し行動をした人というのは急激に成長し、こんなにも生き生きとするものなのだなあ。「忙しくて大変です」と言いつつ声が別人のように明るかった!

この嬉しい出来事、aura-somaの力が引き寄せた?

gazebo

2010-11-15 | from m/b
2010-11/14
その湖の途中まで突き出たところにある展望デッキ。
小さな四阿になっています。水の上で少し休憩を。

住んでいる近くに、いくつかこういう自分にとってのオアシスがあり、また新しい場所を探し歩くのってとても面白い。
歩いていて、素敵な場所を見つけられそうな気配がするときのわくわく感がいいのですよね。

この椅子、今度は誰と座りにこよう?

bottna

2010-11-13 | from m/b

2010-11/12
これまでの何年分かを取り戻すかのように夏以降色々な友人と会う機会があり、そんな友人たちのお陰で出不精が少しずつ改善されつつある今日この頃。

あぁ、今までの私の無礼を許し、いつもそっと見守ってくれていたのだなと改めてその存在に感謝し、深い思いやりが身に沁みる。
 
今日は父の百か日。
私がわりと穏やかな気持ちで過ごせているのは、父が見守ってくれているからかな。
とても父を近くに感じ自分でも意外なくらい心穏やかでいられるのです。亡くなって、もっと距離が近付いた?

人と人の関係って、生きていても亡くなってからでも変わりなく続くのだという当たり前のことを、毎日体感しています。
触れることができず、堪らなく寂しくなることが無いわけではありませんが、暗い気持ちになるようなものではありません。
虫がランプに飛んでくれば「パパさん、明るいところに来たかったのかな」と思うし、庭に咲く満開のセージの花に蜂が飛んでくると、「あ、私たちといっしょに花を見にきてる」と思ったりして、いつでも身近です。


画像のは、お気に入りの湖。木々のなかを通って一周し終わる頃には身も心も軽くなるような、ちょうどよい距離。


紅茶

2010-11-07 | from m/b
2010-11/7
チョコレートっておいしいから、もっとたくさん食べられたらどんなに楽しいかな、とか思うのだけれど、受け付けにくい体質なのか少しかじる程度しか食べられない。ちょこっと、です。
チョコや紅茶などの嗜好品はですね、少し意識してフェアトレードのものを。

あと、最近は日本産の紅茶葉も増えてきて、こういうのは迫力のある華やかな味ではないですしミルクティには向かないと感じますが、「茶葉って最初は緑の葉っぱだったのだな」と思い出させてくれるようなみずみずしい青い香りのある茶葉で大好きです。ティーポットに残ったホカホカの茶葉まで香って楽しみます。

先日「へぇ、県内でできた紅茶だって」と店で見つけて買って帰り、生産者のところをよく見ると、歩いて二分ほどのご近所さんで驚きました。
あそこのお家の人、紅茶作ってたんだ…

Tithonia

2010-11-04 | from m/b
2010-11/4
なんだか疲れ果てていた初夏のころ、「久しぶりに今年はあの花が見たいなあ。あの元気な花」と思いつき、ちょっと蒔くには遅いかなと思いながら、急いで種を買ってきて蒔いたもの。秋になってやっと咲き始めた鮮やかな緋色。

この花は下から見上げて、空といっしょに見るのが一番魅力的。
昔、夏になると父がよく植えていたメキシコひまわりです。

パパー、見えてる?