まぶしいくらいの春のキラキラとした日、ふと物悲しい気持ちになることがあって「これはなんなのだろう?」と不思議に思うことがよくあるのです。明るければ明るいほど悲しくなって、景色が美しければ美しいほど切なくなるような。
真冬の冷たい日、ラブの不調を発見してから毎日なんとも言えない日々を過ごしていました。気持ちもそわそわ・ふわふわ、普段しないような失敗や怪我、失礼の連続。
一月が過ぎて二月に入り小さな春を見つけるたび、時間の経過が恨めしく、その季節の移り変わりが怖くてたまりませんでした。
春の近付きはどんな人をも明るい気持ちにさせるものだと思っていた私、そうじゃない人もたくさんいるってことを恥ずかしながら今頃知りました。そして「春と物悲しさ」との関係をふと思い出し、あ、この感じ…とやっと結びついた感じ。
3月25日に、可愛くて心のやさしい私たちのラブが旅立っていきました。
ラブと暮らすようになってから十四年間、いつも心のどこかに、いつかやってくるであろう別れの瞬間のことを感じて暮らしていましたが、そういう意識は結構大事で、その時その時を精一杯心をこめて大切に向き合っていれば何も怖いことなどないのだ、ということを改めて感じました。
不安に押し潰されそうな時期もありましたが、やがてお別れが近付いてきた頃には、何も怖くないからね任せてねって私が思ってたから、ラブも怖くなかったはずと自負しています。
ラブ、最後のほうはちょっと色々たいへんになってきて、たくさん手助けが必要になってきたけれど、そのおかげでたくさんいっしょにいれて結構楽しかったよね。
立つ・歩く・食べる・排せつする…だんだん難しくなってきても最後の最後まで生きることに一生懸命だったがんばり屋さんのラブ、すごく可愛かったよ。
最後まで私の愛情を素直にまっすぐに受け止めて、私に寄り添い、どんな状況でも心底信頼してくれたラブ、ありがとう。
目の前にあるいのちは決してラブだけではなく、庭の土の中から次々と出てくるたくさんの小さな芽、庭に飛んでくる鳥… 愛おしいものでいっぱいです。
どちらがタイミング合わせてくれたのか、25日から庭の巣箱にシジュウカラのつがいが今年も入り始めて、寂しさでいっぱいだった私たちを励まし喜ばせてくれました。
春はやっぱり美しい。どんな人にも柔らかくて暖かい陽が注いで、励まされ、凝り固まった心を解いてくれるものなのだな。
いろいろと思い出が多すぎるから、今は泣いたり笑ったり忙しくて夜はぐったり、お陰でクゥクゥ眠れています。
大型犬の介護、その重さがちょっぴり大変だったので体のあちこちが痛いのだけれど、今はその痛みが慰めであり、ずっと消えないで欲しいと願う毎日です。
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画像:
上 晴れた日、昼寝をする在りし日のラブ。
中 旅立つ少し前。最後の一枚。
下 お花持って行ってらっしゃい。
袋の中のドライフードはお友達と分けて食べなさいね。
小さなアルバムは介護中こつこつ作ったもの。
つらい時期のこの作業、なかなかしんどいものがありましたが、
事実を受け入れ、心の慰めになる作業でもありました。