学校

2011-04-09 | from m/b

『来れると思ったら 来れる。来れないと思ったら 来れない ! ! 』

って力強く言われてしまったんですよ; 先日の電話で。甥っ子六歳に。

どきりとしましたよ。なんだか私の心の奥底の弱い部分を見透かされたようで。
  
新幹線乗って家に遊びにおいでよって言ってくれてたんですが、「ん~、そだね。行こうかな。暖かくなったしねぇ」とかごにょごにょ言いながら、(んー、遠いしナ)とか思って、ちっとも決めずに躊躇してたんですよ。

 

 

数日前には、こんなこともありました。
一人で買い物など行ったことのなかった甥っ子がある日の午後、「今日はぼくがおやつのプリンをかってくる、セブンに」と言い出したのです。いわゆる「はじめてのおつかい」です。
ちょうど姉との電話中の出来事だったので、その、セブンイレブンへ300円持って、行って帰ってくるまでを電話を通してどきどきしながら私も見ていたのです。
迷い、思いとどまり、再び迷い、決心し…というのを、きっとここ数日小さな心の中で繰り返していたのだろうな、と思うと、なんとも愛おしくて。

やったことのないことをやってみる。自信をつけてみたい。前に進みたい… そんな小さな甥っ子に影響されたのか、昨日までつぼみだった桜が急に開花するみたいに、ある朝、急に私は「最寄の駅から電車に乗って出かけてみる」ということに挑戦することにしたのです。(普通の電車がね、苦手でして…)

出発してみると、そこから色々な場面で選択を迫られる私。やっぱり引き返そうか? から始まり、どこまで向かうのか? 各停にするか? まで、いちいち、です。
昔読んだ本の岡本太郎の言葉が浮かびます。人は一日の中でも無意識に安全な道と危険な道の選択を何度も何度も迫られて生きている。

…今日はとことん危険な道を選んでみようじゃないか!

 

 

 

優しく受け入れてくれる気がして、今日は母校である神戸女学院に行くことにしました。
どきどきしながら、なんとか辿り着いたのは震災から16年経った兵庫県西宮市。

駅から学校までの住宅地を歩くのは感慨深いもの。地震で崩れたあとに新しく建った当時の家々は、表面的には、もうしっかりそこに根付いて生活感がありました。

満開の桜咲く急な坂道を登ったら、まず音楽館があります。
重厚なドアを開けたら、あの頃のまま、薄暗くてひんやりとした空気。練習に励む楽器のこもったような音。変わらない懐かしい匂いに、きゅんとなる。
  
ウィリアム・メレル・ヴォーリズの建てたこの代表的作品。
当たり前にまっすぐとかでなく、へこみや不思議な空間が点在し、建物に語りかけられているような、想像する楽しさを常に与えられているようで本当に面白い。
誰もいなくなった夕方の建物の中で練習しているときなど、休憩に…とうろうろする時間が大好きでした。まだまだ全部を知り尽くせないまま卒業した感じです。
「あれ? こんなところにドアあったっけ?」とか「この細い階段上ったら何があるんだろう」 「わぁ!こことあそこは繋がってたのね」とか「この壁の後ろ側ってどんな風になってるのかな」「こんな暗くて狭いところに小さなドア!」と開けると、不思議な形のこぢんまりとした部屋があったり。

「私だけの、私だけが知っている(のではないか)」そういう隠し部屋のような場所がたくさんあったのです。
明日もまた何か発見があるかもしれない、今度はあの部屋で練習してみよう…そういういくらでも見つけられる終わりのない魅力に触れるのは、日々の楽しみのひとつでした。




「自分の判断で、自分の手でドアノブを押し回したものだけに扉の向こうに踏み込む権利が生じる。どの扉の前に立つべきなのか。それについての一覧的な情報は開示されない。それは自分で選ばなければならない」
ヴォーリズの、この仕掛け原理について「学びの比喩」と呼び、このような話をよくされている内田樹さんの印象的な言葉。

在学中の小さな私が、うろうろと迷いながら、ある時は期待感を持ちながら、何かを探して建物内を歩き回っていた頃が思い出されます。
扉を開けなければ、扉の向こうに何があるかは分からない、のですよね。
在学中には気付かなかったことの多いこと。でも、その気付かないような未熟で真っ白な時代だったからこそ、得るものも多かったのかもしれません。あらためて有難みを感じました。

さて、今日は学食でお昼を食べよう。 

 

 

 

 

階段でふと、自分が今日、数年ぶりに電車に乗ってここまで来、ここに立てていることの幸せを思う。
いつも勇気をくれる友人へ感謝を込めてメールを送ってみる。

苦しいとき、できる事がひとつひとつ減ってゆく恐怖がありました。
今、できることがひとつずつ増える喜びがあります。怖いけれど挑戦してみようと少し思える時期がやってきたことに感謝です。



  



ソールチャペル。
オルガン練習中のところ、お邪魔します。そっと…

私がここに入るとき、不思議なことに今まで誰かと出会ったことがありません。
いつだって一対一で優しく受け入れてくれる場所。

今日も椅子に座って手を合わせ、ここ何年間の色々を報告をしてみる。
思えば、この温かみあふれる校舎は常にどこか心の奥底にあり、ここで過ごした四年間は私の心の支えとなっているのかもしれないなと思い、ヴォーリズ美学、その偉大さをあらためて感じるのでした。



建物はどこも光が神々しく、美しいのです。
光と建物の調和。

ヴォーリズは「校舎が生徒への精神経験に及ぼす影響」を信じ、美しい心を育むための品格ある建築を目指し、設計したそうです。

 







こちらは日本で一番美しいとされる、図書館本館。
天井は、可愛らしい色でアラベスク模様が施されており、その軽やかさと、他の重厚感溢れるつくりとのバランスが絶妙。 



ぐるりと階段を上ると、  


 

そこは吹き抜けになっていて、その天井を間近に見ることができます。白いカーテンの存在も、くすぐられます。
素敵な椅子も置かれているので、疲れたら読書をするふりをして、柔らかな光に包まれながら瞑想をしたり、昼寝をするのもいいでしょう。
もしかしたら、それが正しい味わい方・使い方なのかもしれません。
そういう場所って、とっても大事。


帰り、ちゃんと帰れるかな? やっぱり少し不安を抱えつつ、学校とはお別れ。
いつまでも美しく、私の心のよりどころのひとつであってくださいね。


(私の母校のお話に、長々とお付き合いくださりありがとうございました) 

 

 

 ◇

 

(おまけ)
駅前のスプーンカフェが健在で嬉しくなる。
帰り道、友達としょっちゅう立ち寄った店です。
以前は名前がスプーンハウスだったし、看板も変わったなぁ。

ここを見てくださっている方で、「わーん!なつかしすぎるー!」って思ったひと、いらっしゃいます?  

 



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