正月は箱根駅伝が感動を与えてくれます。
柏原選手の4年連続第5区区間賞など東洋大学はすごい走りでした。往路、復路、総合と新記録を樹立しました。
「マラソン(長距離走)は人生の縮図である」というのは高校の体育の先生の口癖でした。入江先生と言いました。しかし、高校に入って運動をほぼしなくなったぼくは、クラスでは2,3位だったものの1000人くらい参加する全校の大会では、100位以内をめざすのがやっとでした。
中学校の時は、野球で鍛えましたから、3年生になるにつれて持久力がつき、学年でトップを競うようになりました。
駅伝は3年生学内のクラス対抗では区間賞を取り、ようやく3年生になって土浦市の中学校対抗駅伝大会に出ました。
「前沢、去年《清》が走った6区走れ」それが監督からの命令でした。清さんは現土浦市長中川清氏です。小中高の1年先輩でした。キヨちゃんと呼んでましたが、すごいランナーでした。中川ヒューム管という会社の社長のひとり息子ですが、根性が違うのです。
校内のマラソン大会ではスタート直後、キヨちゃんが苦しそうに吐いているではありませんか。きょうはさすがに走るのやめるんだろうと思ったら、また走り出しました。終わったらキヨちゃんが1位でした。
前の年の駅伝では6区でキヨちゃんがごぼう抜きをして、わが土浦2中が優勝したのです。監督はぼくを中川清と重ねるクセがあって、短距離のハードルもさせられました。
6区は長い登り坂から始まります。キヨちゃんはまず勢いをつけて走り、前のランナーに追いつき、次々と抜いていったのでしょう。ぼくは前のランナーがもう坂の上を走ってるのを見て、慎重に走り出しました。
「まず前のランナーに追いつき、あとはその勢いで走る」のが駅伝の鉄則であることを最近知りました。
ぼくはようやくゴール寸前で前のランナーに迫り、ほぼ同時にゴールしました。チームは4位。区間賞も少差で2位でした。中川清にはなれませんでした。
「おとなし過ぎてファイトがない」と憧れの体育教師真知子先生からも、ずっと言われ続けました。駅伝には苦い思い出しかありません。
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