「地域住民が、その生活の基盤の中で、自らの健康を維持増進させ、生活の向上を計っていくために必要な保健医療の技術を組織的に提供し、その生活を支持していく一連の活動のプロセスである」
これは田中恒男が定義づけたものである。その前提として次の言葉がある。
「包括医療を前提とした医療の体系を、国民の生活の場を原点として考えることが地域医療である」
前者の詳しい言葉は包括医療の言葉がない。「組織的に」という言葉の中に包括性の意味を込めたのであろうか。
弓倉藤楠は「地域医療とは、医学の社会的適用であり、地域における人々の生活を原点として、その地域における医療の展開をはかることである」としているが、その前提といて、医療は包括性であること、それを展開する地域社会は住民の生活の原点がおかれている社会、すなわち人間と社会との接触面の場、人間を取り巻く生活環境であることをあげている。
行政用語としても「地域医療」が用いられている。地域医療計画、地域保健医療計画であったりする。都道府県レベルで三次医療圏、二次医療圏ごとに策定することが求められている。臨床で用いられる場合と比較して広域である。
また、福祉では市町村ごとに地域福祉実践計画などが義務付けられることに比べると市町村地域医療計画を策定することはほとんどない。群市医師会などで地域医療計画づくりが事業としてなされてもよいと思われるが、それらの事業はほとんど聞くことはない。
欧米で使われている概念にはCommunity Health、あるいはCommunity Medicineがある。これらは社会医学の1分野で、予防医学や公衆衛生学から出てきた概念、方法、取り組みである。
米国でCommunity Medicineが最初に使われたのは医学教育で、ケンタッキー大学の1分野の新しい名称としてである。しかし、全米に広まることはなかった。1960年代後半に医療の専門細分化に対する反省として家庭医療が専門分野として登場した際に、内科学との調整がうまくできず、公衆衛生学の一部として受け入れられた経緯もある。現在もDepartment of Community and Family Medicine のような名称を用いている大学もある。
1960年代に社会事業や連邦政府の法律でCommunity Medicineがよく使われるようになった。地方の医療計画あるいは包括的保健計画への基金の場合にCommunity Medicineという語を用いた。一方、多くの病院もCommunity Medicine部門を設置した。その部門は外来診療、救急医療、個人の健康記録、アウトリーチ(通常行われているサービスの限度を超えて差し伸べられる活動)、サテライトクリニックなどのさまざまなサービスの指導・調整部門としての役割を果たすようになった。現在日本の病院に広く設置されるようになった地域連携室などは当時の米国病院のCommunity Medicine部門活動の一部を担っていると考えてよいだろう。
英国でCommunity Medicineは医療管理と一部疫学を含む医学の1分野として確立されるようになった。それは公衆衛生学へつなげる役割を果たした。Community Medicineの専門家は伝統的に育てられてきたMedical Officer of Health(MOH)に取って代わるようになった。彼らは医療計画や医療管理を担当し、かつ地区保健委員会やコミュニティグループに対して健康状態やコミュニティサービスの状況に関する助言をする役割を果たした。
研究でも実務であっても、Community Medicineの中心はコミュニティの健康状態を決定するのはコミュニティ自身であるという前提条件である。それらは社会的、文化的、生物学的、自然の、あるいは造成したコミュニティの問題が中心であるということである。それぞれのコミュニティでこれらの問題が相互作用を及ぼして病気を起こしたり、健康の増進につながったりしていることを理解することが地域保健活動のいちばん基本となるものである。これらの理由でCommunity Medicineは地域住民の行動や生活環境に関心を持ち、密接な関係の中で育つ。単に保健サービス組織内に留まるものではないのである。
Community Medicineは身近なコミュニティの健康状態を改善する組織の活動のあり方のひとつである。それらの組織は医学部、病院、保健部門を指す。医療サービスとしてはコミュニティに起こっている健康問題を同定し、その解決を図ることである。用いられるアプローチの方法は疫学を用いること、コミュニティのリーダーシップ役を果たすために必要なソーシャルスキルを用いることである。
最近調べたことをまとめてみました。まだまだ整理されておりません。
これは田中恒男が定義づけたものである。その前提として次の言葉がある。
「包括医療を前提とした医療の体系を、国民の生活の場を原点として考えることが地域医療である」
前者の詳しい言葉は包括医療の言葉がない。「組織的に」という言葉の中に包括性の意味を込めたのであろうか。
弓倉藤楠は「地域医療とは、医学の社会的適用であり、地域における人々の生活を原点として、その地域における医療の展開をはかることである」としているが、その前提といて、医療は包括性であること、それを展開する地域社会は住民の生活の原点がおかれている社会、すなわち人間と社会との接触面の場、人間を取り巻く生活環境であることをあげている。
行政用語としても「地域医療」が用いられている。地域医療計画、地域保健医療計画であったりする。都道府県レベルで三次医療圏、二次医療圏ごとに策定することが求められている。臨床で用いられる場合と比較して広域である。
また、福祉では市町村ごとに地域福祉実践計画などが義務付けられることに比べると市町村地域医療計画を策定することはほとんどない。群市医師会などで地域医療計画づくりが事業としてなされてもよいと思われるが、それらの事業はほとんど聞くことはない。
欧米で使われている概念にはCommunity Health、あるいはCommunity Medicineがある。これらは社会医学の1分野で、予防医学や公衆衛生学から出てきた概念、方法、取り組みである。
米国でCommunity Medicineが最初に使われたのは医学教育で、ケンタッキー大学の1分野の新しい名称としてである。しかし、全米に広まることはなかった。1960年代後半に医療の専門細分化に対する反省として家庭医療が専門分野として登場した際に、内科学との調整がうまくできず、公衆衛生学の一部として受け入れられた経緯もある。現在もDepartment of Community and Family Medicine のような名称を用いている大学もある。
1960年代に社会事業や連邦政府の法律でCommunity Medicineがよく使われるようになった。地方の医療計画あるいは包括的保健計画への基金の場合にCommunity Medicineという語を用いた。一方、多くの病院もCommunity Medicine部門を設置した。その部門は外来診療、救急医療、個人の健康記録、アウトリーチ(通常行われているサービスの限度を超えて差し伸べられる活動)、サテライトクリニックなどのさまざまなサービスの指導・調整部門としての役割を果たすようになった。現在日本の病院に広く設置されるようになった地域連携室などは当時の米国病院のCommunity Medicine部門活動の一部を担っていると考えてよいだろう。
英国でCommunity Medicineは医療管理と一部疫学を含む医学の1分野として確立されるようになった。それは公衆衛生学へつなげる役割を果たした。Community Medicineの専門家は伝統的に育てられてきたMedical Officer of Health(MOH)に取って代わるようになった。彼らは医療計画や医療管理を担当し、かつ地区保健委員会やコミュニティグループに対して健康状態やコミュニティサービスの状況に関する助言をする役割を果たした。
研究でも実務であっても、Community Medicineの中心はコミュニティの健康状態を決定するのはコミュニティ自身であるという前提条件である。それらは社会的、文化的、生物学的、自然の、あるいは造成したコミュニティの問題が中心であるということである。それぞれのコミュニティでこれらの問題が相互作用を及ぼして病気を起こしたり、健康の増進につながったりしていることを理解することが地域保健活動のいちばん基本となるものである。これらの理由でCommunity Medicineは地域住民の行動や生活環境に関心を持ち、密接な関係の中で育つ。単に保健サービス組織内に留まるものではないのである。
Community Medicineは身近なコミュニティの健康状態を改善する組織の活動のあり方のひとつである。それらの組織は医学部、病院、保健部門を指す。医療サービスとしてはコミュニティに起こっている健康問題を同定し、その解決を図ることである。用いられるアプローチの方法は疫学を用いること、コミュニティのリーダーシップ役を果たすために必要なソーシャルスキルを用いることである。
最近調べたことをまとめてみました。まだまだ整理されておりません。