学生時代、新潟と茨城を往復するのに主として二つのルートを使うようになりました。入学してしばらくは土浦から常磐線で上野に出て、上越線に乗り換え、高崎、長岡を経て新潟への経路しか使いませんでした。
新津から磐越西線に入り、会津若松を通り、郡山からは水郡線で水戸に出て常磐線に乗り換える路線を通るようになったのは会津若松近くの友人宅を訪れるようになったからです。
新潟市松波町にあった教会で知り合った友人は19歳で視力を失ったそうです。多発性硬化症という病気でした。
とても気持ちの良い人ですぐに仲良くなり、彼が新潟に来たときはぼくが居候していた教会に泊まり、ぼくもしばしば磐越西線に乗り、若松駅の隣りの広田駅に降り、彼の家に泊めてもらったのでした。
よく恋愛論議に花を咲かせ、心の目で人を見ていることに感心したものです。言葉や声で人の心を読む達人だったのでしょう。
ぼくが高学年になった頃、精神に変調をきたします。参議院選挙に出るからよろしくといった電話も来るようになりました。新潟と福島の大学病院にも入院しました。見舞いに行って驚いたのは病院によって診断が違うのです。ある病院では躁うつ病、あるところでは統合失調症。精神科の難しさを知るようになりました。
ぼくが研修医になってからは会津地方は遠くなり、とうとう音信不通になってしまいました。
磐越西線に乗って列車は広田駅に止まります。彼の家はどこだったのだろう。お母さんはもう、彼自身は…と自分の友情の足りなさに胸が詰まりました。
新津から磐越西線に入り、会津若松を通り、郡山からは水郡線で水戸に出て常磐線に乗り換える路線を通るようになったのは会津若松近くの友人宅を訪れるようになったからです。
新潟市松波町にあった教会で知り合った友人は19歳で視力を失ったそうです。多発性硬化症という病気でした。
とても気持ちの良い人ですぐに仲良くなり、彼が新潟に来たときはぼくが居候していた教会に泊まり、ぼくもしばしば磐越西線に乗り、若松駅の隣りの広田駅に降り、彼の家に泊めてもらったのでした。
よく恋愛論議に花を咲かせ、心の目で人を見ていることに感心したものです。言葉や声で人の心を読む達人だったのでしょう。
ぼくが高学年になった頃、精神に変調をきたします。参議院選挙に出るからよろしくといった電話も来るようになりました。新潟と福島の大学病院にも入院しました。見舞いに行って驚いたのは病院によって診断が違うのです。ある病院では躁うつ病、あるところでは統合失調症。精神科の難しさを知るようになりました。
ぼくが研修医になってからは会津地方は遠くなり、とうとう音信不通になってしまいました。
磐越西線に乗って列車は広田駅に止まります。彼の家はどこだったのだろう。お母さんはもう、彼自身は…と自分の友情の足りなさに胸が詰まりました。