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俳優・勝地涼くんのこと。

『銀色の髪のアギト』(2)-4(注・ネタバレしてます)

2007-06-17 01:51:21 | 銀色の髪のアギト
・トゥーラの夢に登場する街がすごく日本(東京)ぽい。トゥーラ日本人?
そして友達(マリア)は手首に羅盤をしている。シュナックの羅盤も右腕だった。トゥーラだけ首に羅盤を付けたキャラ設定になっているのは、首輪-「現代社会の観念による束縛」をイメージしたものだろうか。
まあそれだとシュナックも首にしてなきゃおかしいという話になるか。

・サクル博士のホログラフィーは「プロジェクトの中心メンバーで唯一生き残った私」と言っているので、シュナックは中心メンバーではなかった模様。
まあ現在28歳ということはステイフィールドに入った時点では23歳だったわけですから、ぺーぺーで当然ですが。
ところでシュナックはイストークの場所を知らなかった。イストーク建造計画は知らされていても実際の建造に携わる前にステイフィールドに入ったということだろう。300年後に目覚めてイストークを起動するか否かを選択する役割を負って。
自分の羅盤を失ったためにトゥーラの羅盤をあてにするはめになったが、本来ならトゥーラがいなくても彼一人でイストーク起動は成しえていたのだろう。
彼が羅盤を失ってなければ、とっくに森も中立都市もふっとんでいたのかも。それとも森の逆襲にあって人類社会が根こそぎ滅亡していただろうか。

・「動く火山兵器」って・・・。全体像が出てこないのは、絵にするとギャグにしかならないからだろうな。
そのために最後の戦いの緊迫感がもう二つくらい伝わらなかったような。

・「兵器ってどういうこと?」。世界を元に戻すには現行の世界を部分的にもせよ消滅させる必要があるとわかり、トゥーラは動揺する。
彼女が世界を元に戻そうとする動機のうちには「アギトたちを間違った世界と価値観から解放して正しい世界で生きられるようにしてあげたい」という気持ちが少なからずあった。
おそらくイストーク起動にあたってトゥーラが期待していたのは、森の形はそのまま残して「意志」だけを奪い、それにともないアギトたち強化体も普通の人間に戻ることだった。なのに世界を回復するためにアギトたちが街ごと滅んでしまうのでは犠牲が大きすぎる。
迷うところへ、森の暴走はもともと自分が引き起こした事故が原因だと言うシュナックの告白が重なる。
この「間違った世界」を作リ出したのは、現在自分が取り戻そうとしている「正しい世界」の技術だった。ならばそれは取り戻すに足る「正しい世界」なのか?また新しい「間違った世界」を生み出す種を蒔くだけなんじゃないのか?そもそもこの世界は本当に「間違って」いるのか?
ここでトゥーラの価値観は急激に突き崩された。300年前のような世界を取り戻そうという信念が揺らいでしまったトゥーラには、そのためにアギトたちを犠牲にするなど出来ようはずもない。そこでトゥーラはシュナックと袂を分かつ。
最初見たときは彼女の翻意が唐突に思えたが(「兵器って~」の台詞から「そんなことさせない!」まで2分程度なので)、DVDで見返して、心理的な裏づけがちゃんと描かれているのがわかって納得。

・「もう奴らに邪魔はさせない。そこ(注・中立都市)でこのイストークを作動させる」という時のシュナックの表情には一種の狂気がある。
そもそもイストークの起動場所が中立都市である必要性はとくにないはず。むしろ森そのものを攻撃すればよい(自動的に中立都市にも被害は出るだろうが)。
あえて中立都市を起動地点にしたがるのは、彼の価値観を受け入れなかったヨルダやアガシらへの恨みつらみのゆえではなかったか。
まあたとえシュナックが中立都市にできるかぎり被害を出さず森だけを焼こうとしたとしても、森と契約したヨルダとハジャン、そしてアギトは森ともども消滅してしまいそうなので、やはりトゥーラとしては森への攻撃を認めるわけにはいかなかったろうが。
そういえば、やはり強化体であるシュナックは、自分は無事で済むつもりでいるのだろうか。それとも我が身を犠牲にしても贖罪と人類の未来のために、「狂った」森とそれに迎合し半ば同化して生きる中立都市を「浄化」して逝くつもりだったのだろうか。

・イストーク中心部に駆けつけてくるアギト。ジェシカたちの軍用列車?に同乗する場面はあったものの、本筋にからむのはかなり久しぶりな感じ。
この物語、一応の主人公はアギトだが、トゥーラ登場以降はむしろ彼女視点でストーリーが進んでいる。観客(現代人)が一番感情移入しやすいキャラだからであろう。

・シュナックの動きを封じるため力をフルに解放し樹木化したアギトを見るトゥーラの顔にアガシを見たときのような恐怖はない。
もはや強化体もその「なれのはて」も以前のように「化け物」と見なすことがなくなった、彼女の価値観の変化がわかる。

・強制停止されたイストークは自動的に自爆システムが機能してしまう。
中盤でトゥーラがつぶやいていたように、サクル博士はなぜか自分でイストークを起動させようとしなかった。そしてステイフィールドから目覚めた「選良」たちにイストークを起動させるかどうか選択を委ねた。
おそらく緑化プロジェクト時の(シュナックがやらかした)事故の激烈な被害で、人が自然をコントロールしようとすることの困難と傲慢さを思い知った彼は、イストークを作りこそしたが実際にリスクを冒してその劇薬を用いるかどうかは、イストークなしでどの程度凶暴化した自然と折り合えるものか300年ほど試してみたうえで、その時代に目覚めた人間の判断に委ねた、というところだろうか。
本当なら300年ただ寝ていた連中ではなく数世代かけて自然と折り合ってきた当事者たちが判断するのが妥当だと思うのだが、そうしなかったのは非文明化してるであろう彼らにイストークを扱えまいと踏んだものか。
まあ実際の起動者は過去の人間であっても、イストークに辿りつくまでにこの時代の人間と没交渉ということはまずないわけで、彼らとのコミュニケーションの結果も判断に生かされるのを前提にしてるんでしょうね。
またイストークには強制停止すると「機密保持のため」自爆するシステムが組み込まれていた。
一度起動しておきながら数十分のちに停止するというのは、起動派と反対派が激しく対立していて、イストークのシステム操作権を奪いあっている状況がまず想定される。
一時的に反対派が優勢になっただけかもしれないのに、恒久的にイストークを使用不能にしちゃっていいのか?自爆すれば回りに被害が出るし。
起動停止をもって「300年後に生きる人間はイストークを拒否した」と判断することにしたのだろうが・・・傍迷惑なお人だ。

・自爆しかけているイストークによる(中立都市への)被害を食い止めるため、軍を指揮するジェシカ。
ここからするとジェシカ自身もラグナという国家も中立都市に害意はもってないようだ。まあ中立都市にはラグナ人も少なからず出入りしているわけだし。
シュナックは個人的に中立都市に含むところがあったが、ラグナ全体としては基本的に「あそこはあそこで好きにすればいい」という不干渉主義だったんでは。
そういやラグナは何のためにイストークを手に入れようとしてたのだろう。シュナックがジェシカたちをシャットアウトしてイストーク起動を行おうとしたことからすれば、シュナック同様に「中立都市もろとも森を焼き払う」のが目的ではなさそう。
トゥーラが願ってたように平和的に森の力を奪うため?それともその破壊力を承知のうえで敵国に対する兵器として利用するため?「軍事国家」ラグナとしては後者っぽい気が。まあシュナックがイストークをどういうものとして説明してたかによるわけですが。

・「私きっとあなたの街好きになれるよ。あなたが住んでる街だもの。あなたが命がけで守った街だもの。」 トゥーラ自身もアギトの戦いの動機が自分そのものでなく中立都市にあることを理解していたようだ。
そして中盤でアギトがトゥーラに言った「この街のことをよく知ればきっと好きになる」という台詞に対する理想的な返答がここで出てくる。
トゥーラが再度アギトたちの価値観を受け入れて生きる決心をした(イストークを止めてしまった以上、もはや受け入れるしかないともいえる)のを示すシーン。

・アギトの木にすがって「私をひとりにしないで」と泣くトゥーラ。目覚めたさいの第一声?も「私をひとりにしないで!」だった。
トゥーラが人一倍孤独に弱い質らしいこと、それだけに一人300年後の世界に放り込まれたことがどれほどの苦痛だったのかがわかる。
ノベライズでは研究一途の父親に放っておかれて寂しい子供時代を送った事情が書かれていました。

・森に同化して別人のように穏やかになったシュナック。
研究者時代は成果を出すことに、現在は地球の生態系を狂わせたことに対する贖罪意識に追い立てられて、なまじ能力があるだけにその「暴走」が周囲に及ぼす被害も大きかった彼は、自身を駆り立て続けた「我」を離れる(奪われる)ことで精神の安寧を得たわけだ。

・謎の双子が融合して一人になり、またアギトも木になった実から再び産まれる形で無事生き返る。
これはおそらく、森がイストークの永久停止を「人間は恒久的に森を破壊する意志はない」という表明だと解釈し(森にとって脅威になりうる存在だったシュナックも森に同化してしまったし)、それによって森と人との関係がより友好的な段階に入ったことを意味する。
だからアギトは力を集中させた時一瞬樹木化しかかったもののすぐに治まり、力を完全にコントロールできるようになったのだろう。

・「僕たちはこれから森と人とを結ぶんだ。一緒に街に戻ろう」というアギトの台詞。
アギト自身は確かに「森と人とを結ぶ」ために蘇らされたのだが、アギトは「僕たち」と、トゥーラも同志にカウントしている。
二人は運命共同体という・・・一種無意識のプロポーズかな。

・笑いながら山肌を駆け下りる二人。トゥーラが肩につっぷしてきたとき、アギトはちょっと心配そうな、「泣いてるのかな?」という表情をする。
やや間があってトゥーラが明るく笑い出したとき、アギトはほっとしたように面映げな笑顔で目を閉じ、それからやはり笑い出す。
思うにトゥーラは最初本当に泣きかけてたんではないでしょうか。彼女にとってイストークの自爆は、自身が選んだとはいえ、「故郷」との決別と「異郷」で一生を送ることを意味しているのだから。
けれど「私きっとあなたの街好きになれるよ」という台詞にも表れているように、前向きに生きてゆこうと決めた彼女は泣く代わりに笑うことを選んだ。アギトの笑顔は、トゥーラの笑い声に彼女の「生きる」意志を感じ取ったからだろう。
笑い声のユニゾンに、価値観の違いゆえに先には対立した二人の心が一つになったことが爽快感とともに示されている。

・戻ってきたアギトとトゥーラを見つけたカインはアギトの名前を呼びかける。「嫁さんにする」とまで言っていたトゥーラに声をかけないのはなんだろう。
一方ミンカはアギトとトゥーラを見て顔を曇らせ、兄に促されても弱弱しく笑って小さく手を振るのみ。
「らしくないな。アギトとトゥーラが二人で帰ってきたのにやきもち焼いてるのかな」と思ったら、トゥーラが笑顔で手を振ると、ホッとしたように笑って大きく手を振り返す。どうもトゥーラに罪悪感を覚えるところがあって、彼女が手を振ってくれた(笑って許してくれた)ことに安堵したようだ。
罪悪感を抱く理由として考えられるのは、彼女が不用意にラグナの人間にトゥーラの話をして、シュナックとトゥーラの出会いを促してしまったことくらい。
トゥーラはあくまで自由意志でついていったのだが、「自分のせいでシュナックに騙されて連れ去られた」とでも思ってたらしい。
ヨルダのような街の中心人物を除けば、一般人は皆トゥーラのラグナ行きをシュナックが一方的に悪いと思ってるのかも。あるいはいなくなったこと自体知らなかったか?

・ずっと水不足に悩まされてきた中立都市に雨が降る。
シュナックのもとに走り、イストークを起動しようとすることで中立都市をいろんな意味で危険にさらしたトゥーラだが、彼女とアギトがイストークを止めた=完全破壊したことによって街と森との関係は以前より良好になり、結果森の管理下にあった水が人々に開放される。
ある意味トゥーラは街の功労者とも言える。結果論だけど。

・トゥーラが羅盤を谷底へ捨てる。先の笑い声に続いて、アギトたちと価値観をともにして生きる決心をより強く見せた場面。
「異なる価値観の衝突と和解」が作品のテーマと書いたが、和解は全面的にトゥーラがアギトたちに歩み寄る形でなされている。
この世界ではトゥーラは圧倒的少数派(国周辺の森を焼いたラグナにしても「正しい世界」を復活させようなどと思ってるようではない。そもそも「正しい世界」がどんなものか知らない)だし、トゥーラの父たちのプロジェクトで疲弊しきった世界を苦心惨憺してここまでの環境に整えたのは、この世界の人たちの代々の先祖である。
望んだわけじゃないとはいえ、その間ただのうのうと寝ていただけのトゥーラの「世界とはかくあるべき」より、彼らの「かくあるべき」が優先されるのが正しいのだろうけど、せめてアギトにはいつか彼女の当時の気持ちをちゃんと理解してあげられるようになってほしい
(一度木に取り込まれて戻ってきたさい「わかったんだ。ぼくらはみんな、繋がっている」と言っているので、ともに木に飲み込まれたシュナックや、トゥーラの気持ちもいくらかはわかるようになっただろうか?)。
その時本当の「異なる価値観の和解」がなされるんじゃないか。容易に解決される問題ではないだけに、全面的なハッピーエンドにはせず、未来への課題を残すという形をとって物語は幕を閉じます。

 

今回DVDを見返して思ったのですが、この作品に「やはり自然は大切にしなくてはいけない!」という感想を持ったとしたら、それは鑑賞法として間違ってるんじゃないか。それもまた一つの価値観というにすぎないから(矛盾を承知であえてこういう書き方をします)。
「○○するのが正しい」と思ってしまったら、それに反する価値観を持つ人間が現れたとき、意見を受け入れられないどころか、相手が何を主張しているのかさえ理解できなくなってしまう。時には相手の「間違った」考えを力づくでも変えさせようとすらしてしまう。過去の文明を復活させようとするトゥーラの価値観をシュナックに洗脳された結果としか見られなかったアギトのように。自ら強化体になることを選んだアギトの自由意志を「間違った世界」に洗脳されたがゆえの悲劇としか理解できず、「正しい世界」を与えてやろうとしたトゥーラのように。
相手の主張するところが自分の考えとは全くかすらないとしても、そういう価値観も存在するのだということ、その人にはその人なりの思いがあるのだということを、理解できないまでも尊重する気持ちは持っていたい。そうすれば「和解」は無理だとしてもせめて不干渉並立は可能にできるかもしれない。実際軍事国家ラグナはそのあり方を悔い改めたりしていないし、工業都市トリアシティはこの先も大気を汚しながら工業製品を作り続けるのだろう。それも一つの価値観としてこの作品は否定せずに受け入れている。
「○○するのが自分にとっては正しいけれど、人にはそうじゃないかもしれない」。この当たり前のことを忘れないでいたいと思いました。

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