・夜。月の下で平心が寓話を語る。ジェスチャー声色満載の楽しいお話。戯曲には「平心の(生まれてはじめての)説法」とト書きがある。
小さいとはいえ寺の住持になろうという人がこれまで説法の経験が全くないものなのか?と思いたくなるところですが、終盤明かされる彼の正体の前振りということでしょうね。
・妻のおねだりに負けて小袖を得るため行きずりの女性を殺し遁世した男が殺した相手の夫と知らず出会い、懺悔して彼の手にかかろうとするが許しを与えられる話。
中世の説話集にでもありそうな、と思ったら参考文献に上げられてる『沙石集』中の「悪を縁として発心したる事」という説話に基づいているそう(※26)。わかりやすい言葉で、心情描写が多く足されているものの内容はほぼ一緒です(※27)。
説法に引き込まれている女性陣と対照的に無表情に足を組んでいる武蔵。自分と小次郎に当て擦ってるような内容が気に入らないんでしょうねえ。
・まいが伸びあがって平心のほうを見てから乙女に「小次郎どののお姿が見えませんね」とひそひそ話。
「明日に備えて、源氏山をひと回りしてくると、おっしゃっておいででしたが」と乙女が答えると、武蔵が「この武蔵がなにか罠でも仕掛けているのではないかと、心配になったのでしょう。疑り深い奴なんですよ」と続ける。
この言葉に女二人は呆れたような嘆くような顔をする。武蔵も小次郎も戦う気持ちが全然抜けてないのが明らかですからね。
・説法は男が熱心に行をおこなってる僧と親しくなるところへ差しかかる。そこへ小次郎が客席からなぜか狐の面をつけて登場。乙女が驚いたからか慌てて面を取り、その様子に乙女が吹き出す。
六年にわたって敵を追い求めてきた復讐者のはずなんですが、妙に可愛げというか稚気があるんですよね小次郎。乙女がなんとなく気安くなるのもわかろうものです。
「佐助稲荷へ明日の勝ちを祈ってきた。宵祭りでにぎやかだったぞ」という台詞も神頼みに行くのはいいとして、祭りの雰囲気にちょっと浮かれてしまったのが表れています。お面買ってきちゃうくらいだもんなあ。
・「とうとう神さまにすがったか」と武蔵に皮肉を言われて「うるさい!」と声を荒らげる小次郎を(喧嘩を売るようなことを言った武蔵もセットで)宗矩が「説法中説法中」と強い口調で叱る。なんか授業中に騒いでる男子生徒みたいで二人ともちょっと可愛いんだが。
小次郎は堂の端へ行き、一礼してから上がって座禅を組む。こういうところは基本礼儀正しい人です。
・許す心も許しを請う心も念仏が育てた、というオチを受けて沢庵や宗矩がなんまんだぶと唱える。すると俄かにまいが泣き崩れて「越前三国湊の越前国分寺。そこがわたくしの生まれ在所でございます」と言い出し唐突な故郷語りが始まる。
感情入りすぎて物狂いのような有様に左右から乙女と沢庵が支えようとする。顔が土気色なのに驚き、さては禅病かと慌てる一同に「気は確かでございます。わが子のことをみなさまに聞いていただきたいだけでございます」と泣きながら言う。
この一連の長い昔話を退屈させず持たせる台詞の緩急、思い入れたっぷりの身振り、本気で正気を疑いたくなるような狂おしさなど、白石さんの演技力あってこそ成り立つ場面だと思います。
・自身の出生について語るまい。母は都から来た能楽師にもてあそばれて自分を孕んだと苦笑しつつ穏やかに話す。
一同まいを見つめながら話を聞いているが、小次郎だけは「もてあそばれた」のくだりで向こうをむく。自分も孤児であるゆえに、父親の顔を知らないという話につまされるところがあったのか。武蔵も俯いて痛ましげな表情になっています。
・子供の頃の舞台での人気ぶりを楽しげに語るまいに皆も楽しげに笑う。しかし楽しかったのはほんの一時、都の戦が越前にも攻め上ってきて興行どころでなくなり荷物をまとめて皆退去したというくだりで武蔵が俄かに立ち上がり下へ降りる。
そのまま小次郎の前、石灯籠のそばまで歩いて来たのを小次郎が緊張した面持ちで見ている。小次郎も立ち上がって下へ降り宗矩の方へ一礼してから、そのまま武蔵と反対方向に歩いていき竹林の前で止まって竹を見上げる。
小次郎が下に降りたのは、武蔵が席を外したのに触発されてじっとしてるのが落ち着かなくなったんでしょうが(ちゃんと一礼するあたりが彼の礼儀正しさ)、武蔵が人が話してる最中に座を外したのは何だろう。おばさんの長話になんて付き合ってられないよ、と内心思ったとしてもそれをあからさまに出すほど子供じゃないだろうし、後でまいに質問をしてるくらいでちゃんと話に耳を澄ましてるし。
演出的にはほぼ一人語り状態が続く場面なので、観客を飽きさせない工夫としてメインの人気役者二人に動きをつけるのはわかるんですが。
・まいは旅先でいろんな名前で活躍した話をする。「行く先々で名前を変えられたのですね」と突然武蔵が質問する。後から思えばやや疑いの表情。この時点でもう何か怪しいものを鋭敏に感じてたんでしょうか。
・「・・・で、お子さんの話は」とじれたように宗矩が話の腰を折る。宗矩は少し前にも同様のツッコみを入れていて、一種観客の気持ちを代弁してくれています。
ここでやっと、まいが16の頃に「越前国分寺にさる高貴な御方がおみえになりました」とそれらしい話になってくれる。高貴な方と聞いたとき、小次郎が興味ありげに振り返るのですが、あからさまに食いつくのでなく、でも興味があるとわかる微妙な表情が上手いです。
・その人は戦乱を逃れて都から逃れてきたのだと、鴨川が死人で溢れたという伝聞を語るまい。再び小次郎は刀の練習を始め、武蔵も少ない動きながら型を工夫してるらしい。
そういえばお堂から下りて自主稽古のような動きを始めたのも、まいの話が戦乱に及んだときだった。戦の話になると自分たちが責められてる気にでもなるのか。あるいはそのたび稽古をしてるところからして逆に戦の話に血が騒いでいるのか。
・都の戦乱についての伝聞を「寝物語」に聞いたというのに沢庵らが食いつく。「いま、寝物語というように聞こえたが」と代表して質問するのが坊主の沢庵というのが面白いというか生臭というか。
・「国分寺へお見えになる高貴な方々を、ねんごろにお慰めいたしますのも、女猿楽の舞い手の大事なおつとめなのです」とまいはあっさり「高貴な方」との関係を認め、一年後男の子を授かった、その高貴なお方はその子には蝉丸と名付けよと言ったことを話し、国分寺の住持に子供を預けて旅に出てしまったことを苦悩して泣く。
少し後に天皇の血筋だと明かされる赤ん坊の名が蝉丸なのは、能の「蝉丸」などで有名な、盲目の歌人・蝉丸が醍醐天皇の皇子だったとの伝承を踏まえてのことでしょうね。
・鎌倉から越前へ蝉丸を引き取ると書状を送ったが、その返事が、と返書を胸から取り出して沢庵に渡す。前の住持の大往生と子供の行方不明を知らせる内容を口々に読む一同。
武蔵と小次郎は我関せずと刀の稽古に戻っているので返書を自分の目で読んでいないが、果たして本当に返書にはこの通りの内容が書いてあったのかどうか。武蔵と小次郎以外は全員グルなわけだし。
・高貴な方とはどの程度高貴なのかと皆が口々に公家の家名をあげるのを一つ一つ否定するまい。ついに武蔵と小次郎まで「算術の小槻ですか」「暦の土御門でしょう」と話に参加する。何だかんだいって興味津々なのね。
・ここでまいが体を起こし妙な迫力で小次郎を見据えつつ「お父上は、もっと高貴な御方ですよ」。明らかに高貴な方=小次郎の父というニュアンス。この時点で次の展開を予想した人も結構いたことだろう。
・ついに「蝉丸どのの御父君は次仁親王さまにございます」と大仰に宣言。「親王といえば帝のご兄弟ということになるが」と驚きおののく面々。つまり蝉丸は今の帝のいとこちがいに当たるのだそう。
驚きにのけぞり倒れかかる沢庵。別にまいの隠し子が何者だろうと沢庵の身に何の関わりもないだろうに。大徳寺が帝の勅命によって開かれたことを誇る場面があったが、それだけに天皇の血筋というのは彼にとって絶対的権威ということなのか。
・いつのまにか下に下りたまいは刀の稽古に戻っていた小次郎を示して、こちらにおいでの佐々木小次郎どのが(ここで小次郎がさすがに手をとめ驚きの目でまいを見る)そのいとこちがいだと宣言する。
皆が驚くのと対照的に小次郎は無表情になってしまう。驚きが大きすぎて受け止められないのがよくわかる表情です。
・さらに小次郎の皇位継承順位は現在十八位だと大仰な声で宣言するに至って、小次郎は「そんなばかな」と冷静ながら怒りをこめた声で反論する。
その言い方や顔つきが父親そっくりだとまいは感涙にむせぶが、小次郎はそっぽをむいて取り合おうとしない。体をべたべた触りながら旅に連れていかなかったことを詫びるまいに当惑し、ついに手を払いのけて「そんなばかな」ともう一度言って距離をとる。
このくだりはやわやわと押していくまいと反発しながら実質防戦一方の小次郎の攻防が、白石さんの静かながら不気味な迫力を感じさせる演技と強がりつつも脅えたような勝地くんの演技が相俟って、ぐっと引き込まれます。
・「そんなことは絶対におかしい!」と言いつのる小次郎を、後ろからゆったり近づいた武蔵が肩をつかんで後ろへ乱暴に引き寄せると、代わって前に出て「お気は確かか!いったいどうなさったのか!」とまいを一喝する。
小次郎が当惑しきっていて、実質完全に押されているのを見て助けに入った格好ですが、あなたは小次郎の保護者ですか(笑)。
・まいは座った目で武蔵を睨みあげ、小次郎はやんごとなき身分なのだから決闘などしてはいけないと居丈高に言う。小次郎の出自を明かした後に真っ先に決闘するなと言い出すあたり、皇位継承十八位を持ち出したのが何のためなのか語るに落ちた感がなくもない。
武蔵もこの時点でまいの、まいのみならずまわり中全員の目的が自分たちの決闘を止めることにあると気づいたのかも。
・まいの剣幕に呆れ顔の小次郎が少し前に出るがそれ以上は近づかない。なんかすでにもうまいに呑まれてしまってるような感じです。
一方の武蔵も、もし17位までの方々に何かあれば武蔵どのは帝と刃を交えているのと同じになるのですよと大げさなジェスチャーで語るまいに、呆れた顔で額に手をやっている。
17人もの皇位継承者が全員バタバタ死ぬとはさすがに思えないので、小次郎に帝位が回ってくる可能性はゼロに等しいですが、そう切り捨てられないだけの権威がやはり天皇の血にはあるということですね。
・いきなり宗矩が、理屈からいけばその通り、帝に剣を向けるならおまえは賊軍の中の賊軍、史上最悪の大悪人だと興奮して罵倒する。
先には沢庵の、三種の神器の行方によって正義の行方が決まるなど滑稽─天皇を担ぎ出しその権威を借りた者が正義となるのはおかしいという言葉に賛同していた宗矩が、舌の根も乾かぬうちに小次郎は親王のご落胤だから剣を向ければ武蔵は極悪人だと言い立てる。さっきも今も小次郎は小次郎なのに、天皇の血筋だとなったとたん彼の命の値打ちが一気に何十倍にも膨れ上がってしまった。
たしかにこれは滑稽であり、二人の決闘を止めようとしていたまいと乙女が乙女の父の死の顛末が知れたとたん仇討ちには走ったのと同様の見事な変わり身の早さ。
小次郎の出自など関係なく、「天才佐々木小次郎の剣が上か、それがしの努力の剣が上か、この決着はつけなければならぬ」と相変わらず戦う気まんまんの武蔵の方が、目の前の佐々木小次郎という人間をまっすぐに見つめその能力を最大限に評価している点で、真の意味で小次郎を大切にしている。思わず小次郎に〈いい友達を持ったねえ〉と声をかけたくなってしまった(笑)。
・十八位の証拠があるのかと口々に詰め寄る武蔵と小次郎。「思い付きのデタラメを云うでないぞ」と言いながら、小次郎は手を伸ばして近寄ってくるまいから後ずさりして「おぬしからも云ってやってくれ」と武蔵の後ろに隠れて武蔵の背をまいの方へ押し出す。武蔵はあなたの保護者ですか(笑)。
まいは目の前に押されてきた武蔵を横に払う。押されたり払われたり物のように扱われる武蔵が気の毒だ。
・「このおばさんは、なにか企んでいる」と太い声でゆっくりと語る小次郎。「おばさん」のところで客席から笑いが。
「この女」と言わず「おばさん」という言い回しが品がいいような失礼なような。確かに29歳の小次郎から見ればまいはおばさんなんだろうけど。
・まいは笑顔で恥じらいながら、お腹に子供ができたと打ち明けたときお父さまも「なにを企んでいる」とおっしゃいましたと幸せそう。
それ喜ぶところか?いくら身分が高かろうが、やることやっときながら最低な男じゃないか。さっきから小次郎が何か言うたびに「お父さまと生写し」と喜ぶ、反復による笑いが生きた場面。
少女のような恥じらい笑顔と親王の声真似のときの仁王のような顔のコントラストが、見事な顔芸っぷりです。
・小次郎は一昨日からいるのになぜ今頃彼を息子だと言い出したかとツッコむ武蔵にまいは走り寄り、くるりと小次郎の方を振り返って、最初に会ったときからもしやと一挙一動に胸ときめかしていた、さっき平心から小次郎が欠けた手鏡をお守りにしているという話を聞いて確証を得た、自分も欠けた手鏡を肌身離さず持っている、と何か布のようなものを胸から取り出す。
皇位継承第十八位ネタを出すのがこの日になった本当の理由は、小次郎の手鏡のことがわかってから急遽まいの分の鏡をつくるのに今までかかったということでしょう。
・さすがにはっとして自分の胸元を押さえる小次郎に、まいは自分の鏡を取り出すと「さあ、鏡をお出しなさい」と迫る。雷に打たれたように鏡を取り出す小次郎。
「蝉丸お渡し!」と命じるまい。「小次郎渡すな」と叫ぶ武蔵。三者の攻防が緊迫感を生む、この場のクライマックスですが、ついついまいの言いなりになってしまうあたり小次郎はまるでヘビににらまれたカエル状態。
それだけ迫力が半端ないからですが、日本でも一、二を競う剣客、それも復讐一途で修行を重ねてきたはずの男に迫力勝ちするってすごい。
・小次郎は守り袋から手鏡を出し驚きの目で見つめると、鏡を持ったまま呆然ととりつかれたようにまいに近寄る。まいは鏡をかざしながらなんまんだぶを唱え宗矩らも後ろでいっせいに念仏を唱える。
なんだか親子再会の場が宗教的儀式の会場になってしまったかのよう。そもそもなぜここで「なんまんだぶ」なのだ。
小次郎の手から取った鏡をまいは自分の鏡と合わせる。ぴたりとあった瞬間みな口を開けて絶句。ここまで来たら合わないということはないと思うんだが、やっぱり驚くのね。
・小次郎は目を見開いたまま数歩後ろによろめく。武蔵はどこか痛ましげな顔でじっと黙っている。
つまり武蔵はまいの話が嘘であること、小次郎がまんまと術中に嵌まってしまったことをすでに確信してるわけですね。先に「小次郎渡すな」と叫んだのもそれでしょう。
・泣き笑いのような声をあげるまいの後ろでまた皆が念仏。「合いましたよ小次郎どの」と得意げににんまり笑うまい。体を傾げて立ち尽くしたままの小次郎。
「蝉丸やー、母さんと呼んでおくれー!」と叫ぶまいは小次郎の胸に取りすがり、武蔵も呆然と見つめている。まいに構わず手を延ばしたまま数歩前によろめき出た小次郎は「第・・・十八位」と呟き、そのままばったり倒れる。
・・・これひどくないか?三歳の時に別れた、死んだはずの母親に実に二十六年ぶりにめぐりあったというのに、真っ先に出てくる言葉が「お母さん!」じゃなくて「第十八位」とは。名誉欲の強い小次郎にとって瞼の母の存在など、突然降って涌いたご落胤話に比べればごくごく軽いものに過ぎないのがよくわかる(実際小次郎が母のことに言及するのは大分先である)。
まいたちの側も武蔵との決闘を阻止する目的の狂言なのだから、普通なら皇位継承権など持ち出さずとも生き別れの母を名乗って〈どうか親子水入らずの日々をお恵みください〉と言うだけで済んだはずなのだ(実際小次郎が倒れたあと、武蔵にこういった内容の台詞を言っている)。
それをご落胤話まで捏造したのは、要は名誉に弱い小次郎には母子の情より高貴な家柄の方が効くと思ったからだろう。そもそも小次郎の方を標的にしたのだって彼の出自がはっきりしないために偽の母子話を捏造しやすいというばかりではなく、剣を究めることで自らの人間性を研ぎ澄まそうとしている、現世的利得に関心の薄い求道者武蔵に比べて俗っ気の多い小次郎の方が付け入りやすかったからだろうし。
いわば自業自得とはいえ舐められてるなあ小次郎。
・倒れた小次郎を宗矩と平心がとっさに抱きとめ、平心が小次郎を背負って寺へ運びお堂に寝かせる。
この子をここへ導いてくれたのはあなたです、とまいは武蔵に礼を述べ、二十六年ぶりの親子水入らずの時間を恵んでくれと泣き落としする。名誉欲の薄い武蔵に対しては、皇位継承十八位を振りかざすよりも母子の情で押したほうが有効と見たのでしょう。
「ご苦労をなさいましたな」と武蔵も一応同情的な声を出しつつ、彼女のこれまでの長い旅を芸名を次々列挙することで示す。芸名が芸名なので、武蔵が真面目な、同情的な声音で語るほどにおかしみが出る。これも上手い緩急。
そして「わたくしの願いを聞き入れてくださいますね」と泣きながら胸にとりすがるまいを「ご苦労がむくわれて、ほんとうによかった」と願いを聞くかどうかについてはそれとなくはぐらかす。武蔵がまいに静かな戦いを仕掛けているのがわかる場面です。
・この会話の最後に「ねえ、小次郎どのの、かあさん」と武蔵が呼びかける。このときわざわざちょっと間を置いて「かあさん」と呼びかけるので、武蔵が自分の母親に呼びかけたみたいに響く。
観客の多くが感じたでしょうが、これは藤原くんが人生初の舞台『身毒丸』で白石さんの息子役だったのを反映しての遊びじゃないですかね。井上さんは役者にあて書きする人で、『ムサシ』もあて書きだそうですし。
・「ありがとうございます」と声を振るわせて泣くまい。そこへいきなり小次郎ががばと起き上がって「第十八位!」と叫ぶ。目も口も見開いたまま。どれだけ名誉に弱いんだか。
その表情といきなりの「第十八位」で客席に笑いが起こるのを見届けたかのように、またばったりと倒れる。その思い切りいい倒れ方は、効果音ともあいまって本当に頭打ったんじゃないかと心配になってしまいました。
・「昔から寝付きの悪い子なんですよ。ちょっと寝かしつけてまいります」とまいは小次郎のもとへ。それを感情をじっとおさえてるような顔で見送る武蔵。
コントラバスの音とまいの歌う子守歌をバックに暗転したのちに、寺の室内に寝ている小次郎とそばに付き添うまいの姿。子守歌を歌いながら小次郎の顔を手拭いで拭いてやる。
これらの愛情深い態度を(誰か見てるでもないのに)示している様子は本当に小次郎の母のようにも見えてくる。もしかすればこのまい(を演じる幽霊)にも生き別れた子供がいたりしたのかも。
・乙女が現れ、静かにしかし大股に近付いて段下からまいさま、と呼ぶ。「そろそろ、丑三時です。みなさんもお揃いですよ」と声をひそめつつ言う。「武蔵どのは?」と問われたまいはジェスチャーでそこで寝ていると示すまい。
段を降りてきたまいに「いよいよ総仕上げですね」と乙女が言うのに、まいは無言で答える。さっきまでの〈蝉丸の母〉の顔から本来の顔に戻ったように雰囲気も変わっています。
この「総仕上げ」本来は何をするつもりだったのだろう?たまたま武蔵に結界を壊されて人間に化けていられなくなったためにああいう形で決闘を止めに入ることになったけれど、本当は何か別の計画があったらしいのがこの台詞からわかります。
もし無事に「総仕上げ」を実行できていたら、それでも二人に刀を捨てさせることができていただろうか。
・笛の音をバックに二人は距離を保ったまま舞台下手にすっすっと歩いていく。光にはっと立ちすくむ乙女にまいが早足になって近づき体に触れる。
「どうしました」「遠くで稲光が」脅えた顔の乙女。「生きていた頃から、雷が嫌いなんです」と空を睨んで言う乙女の背中をまいがさする。
ここで初めて彼らが幽霊であることを示す明らかな伏線が登場。いよいよクライマックスが近いのがわかります。
※26-「平心の説法は鎌倉時代の説話集『沙石集』巻第十本ノ七「悪を縁として発心したる事」に基づく。 『沙石集』は『ムサシ』の「主要参考文献」に挙がっている。」(坂本麻実子『井上ひさしと能の関係 -『ムサシ』の演能から読み解く-』(https://toyama.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=938&item_no=1&page_id=32&block_id=36)
※27-無住『沙石集 10巻』(西村九郎衛門、1897年)。国会図書館のデジタルライブラリー(http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/992811、546p)で閲覧可能。
小さいとはいえ寺の住持になろうという人がこれまで説法の経験が全くないものなのか?と思いたくなるところですが、終盤明かされる彼の正体の前振りということでしょうね。
・妻のおねだりに負けて小袖を得るため行きずりの女性を殺し遁世した男が殺した相手の夫と知らず出会い、懺悔して彼の手にかかろうとするが許しを与えられる話。
中世の説話集にでもありそうな、と思ったら参考文献に上げられてる『沙石集』中の「悪を縁として発心したる事」という説話に基づいているそう(※26)。わかりやすい言葉で、心情描写が多く足されているものの内容はほぼ一緒です(※27)。
説法に引き込まれている女性陣と対照的に無表情に足を組んでいる武蔵。自分と小次郎に当て擦ってるような内容が気に入らないんでしょうねえ。
・まいが伸びあがって平心のほうを見てから乙女に「小次郎どののお姿が見えませんね」とひそひそ話。
「明日に備えて、源氏山をひと回りしてくると、おっしゃっておいででしたが」と乙女が答えると、武蔵が「この武蔵がなにか罠でも仕掛けているのではないかと、心配になったのでしょう。疑り深い奴なんですよ」と続ける。
この言葉に女二人は呆れたような嘆くような顔をする。武蔵も小次郎も戦う気持ちが全然抜けてないのが明らかですからね。
・説法は男が熱心に行をおこなってる僧と親しくなるところへ差しかかる。そこへ小次郎が客席からなぜか狐の面をつけて登場。乙女が驚いたからか慌てて面を取り、その様子に乙女が吹き出す。
六年にわたって敵を追い求めてきた復讐者のはずなんですが、妙に可愛げというか稚気があるんですよね小次郎。乙女がなんとなく気安くなるのもわかろうものです。
「佐助稲荷へ明日の勝ちを祈ってきた。宵祭りでにぎやかだったぞ」という台詞も神頼みに行くのはいいとして、祭りの雰囲気にちょっと浮かれてしまったのが表れています。お面買ってきちゃうくらいだもんなあ。
・「とうとう神さまにすがったか」と武蔵に皮肉を言われて「うるさい!」と声を荒らげる小次郎を(喧嘩を売るようなことを言った武蔵もセットで)宗矩が「説法中説法中」と強い口調で叱る。なんか授業中に騒いでる男子生徒みたいで二人ともちょっと可愛いんだが。
小次郎は堂の端へ行き、一礼してから上がって座禅を組む。こういうところは基本礼儀正しい人です。
・許す心も許しを請う心も念仏が育てた、というオチを受けて沢庵や宗矩がなんまんだぶと唱える。すると俄かにまいが泣き崩れて「越前三国湊の越前国分寺。そこがわたくしの生まれ在所でございます」と言い出し唐突な故郷語りが始まる。
感情入りすぎて物狂いのような有様に左右から乙女と沢庵が支えようとする。顔が土気色なのに驚き、さては禅病かと慌てる一同に「気は確かでございます。わが子のことをみなさまに聞いていただきたいだけでございます」と泣きながら言う。
この一連の長い昔話を退屈させず持たせる台詞の緩急、思い入れたっぷりの身振り、本気で正気を疑いたくなるような狂おしさなど、白石さんの演技力あってこそ成り立つ場面だと思います。
・自身の出生について語るまい。母は都から来た能楽師にもてあそばれて自分を孕んだと苦笑しつつ穏やかに話す。
一同まいを見つめながら話を聞いているが、小次郎だけは「もてあそばれた」のくだりで向こうをむく。自分も孤児であるゆえに、父親の顔を知らないという話につまされるところがあったのか。武蔵も俯いて痛ましげな表情になっています。
・子供の頃の舞台での人気ぶりを楽しげに語るまいに皆も楽しげに笑う。しかし楽しかったのはほんの一時、都の戦が越前にも攻め上ってきて興行どころでなくなり荷物をまとめて皆退去したというくだりで武蔵が俄かに立ち上がり下へ降りる。
そのまま小次郎の前、石灯籠のそばまで歩いて来たのを小次郎が緊張した面持ちで見ている。小次郎も立ち上がって下へ降り宗矩の方へ一礼してから、そのまま武蔵と反対方向に歩いていき竹林の前で止まって竹を見上げる。
小次郎が下に降りたのは、武蔵が席を外したのに触発されてじっとしてるのが落ち着かなくなったんでしょうが(ちゃんと一礼するあたりが彼の礼儀正しさ)、武蔵が人が話してる最中に座を外したのは何だろう。おばさんの長話になんて付き合ってられないよ、と内心思ったとしてもそれをあからさまに出すほど子供じゃないだろうし、後でまいに質問をしてるくらいでちゃんと話に耳を澄ましてるし。
演出的にはほぼ一人語り状態が続く場面なので、観客を飽きさせない工夫としてメインの人気役者二人に動きをつけるのはわかるんですが。
・まいは旅先でいろんな名前で活躍した話をする。「行く先々で名前を変えられたのですね」と突然武蔵が質問する。後から思えばやや疑いの表情。この時点でもう何か怪しいものを鋭敏に感じてたんでしょうか。
・「・・・で、お子さんの話は」とじれたように宗矩が話の腰を折る。宗矩は少し前にも同様のツッコみを入れていて、一種観客の気持ちを代弁してくれています。
ここでやっと、まいが16の頃に「越前国分寺にさる高貴な御方がおみえになりました」とそれらしい話になってくれる。高貴な方と聞いたとき、小次郎が興味ありげに振り返るのですが、あからさまに食いつくのでなく、でも興味があるとわかる微妙な表情が上手いです。
・その人は戦乱を逃れて都から逃れてきたのだと、鴨川が死人で溢れたという伝聞を語るまい。再び小次郎は刀の練習を始め、武蔵も少ない動きながら型を工夫してるらしい。
そういえばお堂から下りて自主稽古のような動きを始めたのも、まいの話が戦乱に及んだときだった。戦の話になると自分たちが責められてる気にでもなるのか。あるいはそのたび稽古をしてるところからして逆に戦の話に血が騒いでいるのか。
・都の戦乱についての伝聞を「寝物語」に聞いたというのに沢庵らが食いつく。「いま、寝物語というように聞こえたが」と代表して質問するのが坊主の沢庵というのが面白いというか生臭というか。
・「国分寺へお見えになる高貴な方々を、ねんごろにお慰めいたしますのも、女猿楽の舞い手の大事なおつとめなのです」とまいはあっさり「高貴な方」との関係を認め、一年後男の子を授かった、その高貴なお方はその子には蝉丸と名付けよと言ったことを話し、国分寺の住持に子供を預けて旅に出てしまったことを苦悩して泣く。
少し後に天皇の血筋だと明かされる赤ん坊の名が蝉丸なのは、能の「蝉丸」などで有名な、盲目の歌人・蝉丸が醍醐天皇の皇子だったとの伝承を踏まえてのことでしょうね。
・鎌倉から越前へ蝉丸を引き取ると書状を送ったが、その返事が、と返書を胸から取り出して沢庵に渡す。前の住持の大往生と子供の行方不明を知らせる内容を口々に読む一同。
武蔵と小次郎は我関せずと刀の稽古に戻っているので返書を自分の目で読んでいないが、果たして本当に返書にはこの通りの内容が書いてあったのかどうか。武蔵と小次郎以外は全員グルなわけだし。
・高貴な方とはどの程度高貴なのかと皆が口々に公家の家名をあげるのを一つ一つ否定するまい。ついに武蔵と小次郎まで「算術の小槻ですか」「暦の土御門でしょう」と話に参加する。何だかんだいって興味津々なのね。
・ここでまいが体を起こし妙な迫力で小次郎を見据えつつ「お父上は、もっと高貴な御方ですよ」。明らかに高貴な方=小次郎の父というニュアンス。この時点で次の展開を予想した人も結構いたことだろう。
・ついに「蝉丸どのの御父君は次仁親王さまにございます」と大仰に宣言。「親王といえば帝のご兄弟ということになるが」と驚きおののく面々。つまり蝉丸は今の帝のいとこちがいに当たるのだそう。
驚きにのけぞり倒れかかる沢庵。別にまいの隠し子が何者だろうと沢庵の身に何の関わりもないだろうに。大徳寺が帝の勅命によって開かれたことを誇る場面があったが、それだけに天皇の血筋というのは彼にとって絶対的権威ということなのか。
・いつのまにか下に下りたまいは刀の稽古に戻っていた小次郎を示して、こちらにおいでの佐々木小次郎どのが(ここで小次郎がさすがに手をとめ驚きの目でまいを見る)そのいとこちがいだと宣言する。
皆が驚くのと対照的に小次郎は無表情になってしまう。驚きが大きすぎて受け止められないのがよくわかる表情です。
・さらに小次郎の皇位継承順位は現在十八位だと大仰な声で宣言するに至って、小次郎は「そんなばかな」と冷静ながら怒りをこめた声で反論する。
その言い方や顔つきが父親そっくりだとまいは感涙にむせぶが、小次郎はそっぽをむいて取り合おうとしない。体をべたべた触りながら旅に連れていかなかったことを詫びるまいに当惑し、ついに手を払いのけて「そんなばかな」ともう一度言って距離をとる。
このくだりはやわやわと押していくまいと反発しながら実質防戦一方の小次郎の攻防が、白石さんの静かながら不気味な迫力を感じさせる演技と強がりつつも脅えたような勝地くんの演技が相俟って、ぐっと引き込まれます。
・「そんなことは絶対におかしい!」と言いつのる小次郎を、後ろからゆったり近づいた武蔵が肩をつかんで後ろへ乱暴に引き寄せると、代わって前に出て「お気は確かか!いったいどうなさったのか!」とまいを一喝する。
小次郎が当惑しきっていて、実質完全に押されているのを見て助けに入った格好ですが、あなたは小次郎の保護者ですか(笑)。
・まいは座った目で武蔵を睨みあげ、小次郎はやんごとなき身分なのだから決闘などしてはいけないと居丈高に言う。小次郎の出自を明かした後に真っ先に決闘するなと言い出すあたり、皇位継承十八位を持ち出したのが何のためなのか語るに落ちた感がなくもない。
武蔵もこの時点でまいの、まいのみならずまわり中全員の目的が自分たちの決闘を止めることにあると気づいたのかも。
・まいの剣幕に呆れ顔の小次郎が少し前に出るがそれ以上は近づかない。なんかすでにもうまいに呑まれてしまってるような感じです。
一方の武蔵も、もし17位までの方々に何かあれば武蔵どのは帝と刃を交えているのと同じになるのですよと大げさなジェスチャーで語るまいに、呆れた顔で額に手をやっている。
17人もの皇位継承者が全員バタバタ死ぬとはさすがに思えないので、小次郎に帝位が回ってくる可能性はゼロに等しいですが、そう切り捨てられないだけの権威がやはり天皇の血にはあるということですね。
・いきなり宗矩が、理屈からいけばその通り、帝に剣を向けるならおまえは賊軍の中の賊軍、史上最悪の大悪人だと興奮して罵倒する。
先には沢庵の、三種の神器の行方によって正義の行方が決まるなど滑稽─天皇を担ぎ出しその権威を借りた者が正義となるのはおかしいという言葉に賛同していた宗矩が、舌の根も乾かぬうちに小次郎は親王のご落胤だから剣を向ければ武蔵は極悪人だと言い立てる。さっきも今も小次郎は小次郎なのに、天皇の血筋だとなったとたん彼の命の値打ちが一気に何十倍にも膨れ上がってしまった。
たしかにこれは滑稽であり、二人の決闘を止めようとしていたまいと乙女が乙女の父の死の顛末が知れたとたん仇討ちには走ったのと同様の見事な変わり身の早さ。
小次郎の出自など関係なく、「天才佐々木小次郎の剣が上か、それがしの努力の剣が上か、この決着はつけなければならぬ」と相変わらず戦う気まんまんの武蔵の方が、目の前の佐々木小次郎という人間をまっすぐに見つめその能力を最大限に評価している点で、真の意味で小次郎を大切にしている。思わず小次郎に〈いい友達を持ったねえ〉と声をかけたくなってしまった(笑)。
・十八位の証拠があるのかと口々に詰め寄る武蔵と小次郎。「思い付きのデタラメを云うでないぞ」と言いながら、小次郎は手を伸ばして近寄ってくるまいから後ずさりして「おぬしからも云ってやってくれ」と武蔵の後ろに隠れて武蔵の背をまいの方へ押し出す。武蔵はあなたの保護者ですか(笑)。
まいは目の前に押されてきた武蔵を横に払う。押されたり払われたり物のように扱われる武蔵が気の毒だ。
・「このおばさんは、なにか企んでいる」と太い声でゆっくりと語る小次郎。「おばさん」のところで客席から笑いが。
「この女」と言わず「おばさん」という言い回しが品がいいような失礼なような。確かに29歳の小次郎から見ればまいはおばさんなんだろうけど。
・まいは笑顔で恥じらいながら、お腹に子供ができたと打ち明けたときお父さまも「なにを企んでいる」とおっしゃいましたと幸せそう。
それ喜ぶところか?いくら身分が高かろうが、やることやっときながら最低な男じゃないか。さっきから小次郎が何か言うたびに「お父さまと生写し」と喜ぶ、反復による笑いが生きた場面。
少女のような恥じらい笑顔と親王の声真似のときの仁王のような顔のコントラストが、見事な顔芸っぷりです。
・小次郎は一昨日からいるのになぜ今頃彼を息子だと言い出したかとツッコむ武蔵にまいは走り寄り、くるりと小次郎の方を振り返って、最初に会ったときからもしやと一挙一動に胸ときめかしていた、さっき平心から小次郎が欠けた手鏡をお守りにしているという話を聞いて確証を得た、自分も欠けた手鏡を肌身離さず持っている、と何か布のようなものを胸から取り出す。
皇位継承第十八位ネタを出すのがこの日になった本当の理由は、小次郎の手鏡のことがわかってから急遽まいの分の鏡をつくるのに今までかかったということでしょう。
・さすがにはっとして自分の胸元を押さえる小次郎に、まいは自分の鏡を取り出すと「さあ、鏡をお出しなさい」と迫る。雷に打たれたように鏡を取り出す小次郎。
「蝉丸お渡し!」と命じるまい。「小次郎渡すな」と叫ぶ武蔵。三者の攻防が緊迫感を生む、この場のクライマックスですが、ついついまいの言いなりになってしまうあたり小次郎はまるでヘビににらまれたカエル状態。
それだけ迫力が半端ないからですが、日本でも一、二を競う剣客、それも復讐一途で修行を重ねてきたはずの男に迫力勝ちするってすごい。
・小次郎は守り袋から手鏡を出し驚きの目で見つめると、鏡を持ったまま呆然ととりつかれたようにまいに近寄る。まいは鏡をかざしながらなんまんだぶを唱え宗矩らも後ろでいっせいに念仏を唱える。
なんだか親子再会の場が宗教的儀式の会場になってしまったかのよう。そもそもなぜここで「なんまんだぶ」なのだ。
小次郎の手から取った鏡をまいは自分の鏡と合わせる。ぴたりとあった瞬間みな口を開けて絶句。ここまで来たら合わないということはないと思うんだが、やっぱり驚くのね。
・小次郎は目を見開いたまま数歩後ろによろめく。武蔵はどこか痛ましげな顔でじっと黙っている。
つまり武蔵はまいの話が嘘であること、小次郎がまんまと術中に嵌まってしまったことをすでに確信してるわけですね。先に「小次郎渡すな」と叫んだのもそれでしょう。
・泣き笑いのような声をあげるまいの後ろでまた皆が念仏。「合いましたよ小次郎どの」と得意げににんまり笑うまい。体を傾げて立ち尽くしたままの小次郎。
「蝉丸やー、母さんと呼んでおくれー!」と叫ぶまいは小次郎の胸に取りすがり、武蔵も呆然と見つめている。まいに構わず手を延ばしたまま数歩前によろめき出た小次郎は「第・・・十八位」と呟き、そのままばったり倒れる。
・・・これひどくないか?三歳の時に別れた、死んだはずの母親に実に二十六年ぶりにめぐりあったというのに、真っ先に出てくる言葉が「お母さん!」じゃなくて「第十八位」とは。名誉欲の強い小次郎にとって瞼の母の存在など、突然降って涌いたご落胤話に比べればごくごく軽いものに過ぎないのがよくわかる(実際小次郎が母のことに言及するのは大分先である)。
まいたちの側も武蔵との決闘を阻止する目的の狂言なのだから、普通なら皇位継承権など持ち出さずとも生き別れの母を名乗って〈どうか親子水入らずの日々をお恵みください〉と言うだけで済んだはずなのだ(実際小次郎が倒れたあと、武蔵にこういった内容の台詞を言っている)。
それをご落胤話まで捏造したのは、要は名誉に弱い小次郎には母子の情より高貴な家柄の方が効くと思ったからだろう。そもそも小次郎の方を標的にしたのだって彼の出自がはっきりしないために偽の母子話を捏造しやすいというばかりではなく、剣を究めることで自らの人間性を研ぎ澄まそうとしている、現世的利得に関心の薄い求道者武蔵に比べて俗っ気の多い小次郎の方が付け入りやすかったからだろうし。
いわば自業自得とはいえ舐められてるなあ小次郎。
・倒れた小次郎を宗矩と平心がとっさに抱きとめ、平心が小次郎を背負って寺へ運びお堂に寝かせる。
この子をここへ導いてくれたのはあなたです、とまいは武蔵に礼を述べ、二十六年ぶりの親子水入らずの時間を恵んでくれと泣き落としする。名誉欲の薄い武蔵に対しては、皇位継承十八位を振りかざすよりも母子の情で押したほうが有効と見たのでしょう。
「ご苦労をなさいましたな」と武蔵も一応同情的な声を出しつつ、彼女のこれまでの長い旅を芸名を次々列挙することで示す。芸名が芸名なので、武蔵が真面目な、同情的な声音で語るほどにおかしみが出る。これも上手い緩急。
そして「わたくしの願いを聞き入れてくださいますね」と泣きながら胸にとりすがるまいを「ご苦労がむくわれて、ほんとうによかった」と願いを聞くかどうかについてはそれとなくはぐらかす。武蔵がまいに静かな戦いを仕掛けているのがわかる場面です。
・この会話の最後に「ねえ、小次郎どのの、かあさん」と武蔵が呼びかける。このときわざわざちょっと間を置いて「かあさん」と呼びかけるので、武蔵が自分の母親に呼びかけたみたいに響く。
観客の多くが感じたでしょうが、これは藤原くんが人生初の舞台『身毒丸』で白石さんの息子役だったのを反映しての遊びじゃないですかね。井上さんは役者にあて書きする人で、『ムサシ』もあて書きだそうですし。
・「ありがとうございます」と声を振るわせて泣くまい。そこへいきなり小次郎ががばと起き上がって「第十八位!」と叫ぶ。目も口も見開いたまま。どれだけ名誉に弱いんだか。
その表情といきなりの「第十八位」で客席に笑いが起こるのを見届けたかのように、またばったりと倒れる。その思い切りいい倒れ方は、効果音ともあいまって本当に頭打ったんじゃないかと心配になってしまいました。
・「昔から寝付きの悪い子なんですよ。ちょっと寝かしつけてまいります」とまいは小次郎のもとへ。それを感情をじっとおさえてるような顔で見送る武蔵。
コントラバスの音とまいの歌う子守歌をバックに暗転したのちに、寺の室内に寝ている小次郎とそばに付き添うまいの姿。子守歌を歌いながら小次郎の顔を手拭いで拭いてやる。
これらの愛情深い態度を(誰か見てるでもないのに)示している様子は本当に小次郎の母のようにも見えてくる。もしかすればこのまい(を演じる幽霊)にも生き別れた子供がいたりしたのかも。
・乙女が現れ、静かにしかし大股に近付いて段下からまいさま、と呼ぶ。「そろそろ、丑三時です。みなさんもお揃いですよ」と声をひそめつつ言う。「武蔵どのは?」と問われたまいはジェスチャーでそこで寝ていると示すまい。
段を降りてきたまいに「いよいよ総仕上げですね」と乙女が言うのに、まいは無言で答える。さっきまでの〈蝉丸の母〉の顔から本来の顔に戻ったように雰囲気も変わっています。
この「総仕上げ」本来は何をするつもりだったのだろう?たまたま武蔵に結界を壊されて人間に化けていられなくなったためにああいう形で決闘を止めに入ることになったけれど、本当は何か別の計画があったらしいのがこの台詞からわかります。
もし無事に「総仕上げ」を実行できていたら、それでも二人に刀を捨てさせることができていただろうか。
・笛の音をバックに二人は距離を保ったまま舞台下手にすっすっと歩いていく。光にはっと立ちすくむ乙女にまいが早足になって近づき体に触れる。
「どうしました」「遠くで稲光が」脅えた顔の乙女。「生きていた頃から、雷が嫌いなんです」と空を睨んで言う乙女の背中をまいがさする。
ここで初めて彼らが幽霊であることを示す明らかな伏線が登場。いよいよクライマックスが近いのがわかります。
※26-「平心の説法は鎌倉時代の説話集『沙石集』巻第十本ノ七「悪を縁として発心したる事」に基づく。 『沙石集』は『ムサシ』の「主要参考文献」に挙がっている。」(坂本麻実子『井上ひさしと能の関係 -『ムサシ』の演能から読み解く-』(https://toyama.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=938&item_no=1&page_id=32&block_id=36)
※27-無住『沙石集 10巻』(西村九郎衛門、1897年)。国会図書館のデジタルライブラリー(http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/992811、546p)で閲覧可能。