想い続けることができれば、その想いはいつか成就する

その日その日感じたことを詩、エッセイ、短歌、日記でつづります。野菜も育ててます。

絵本との出会いから想う

2015年01月14日 | エッセイ

震災5年1月14日

 

  私が絵本らしい絵本と出会ったのは今から40余年前の24才位の頃でした。当時、小学校教師の成り立てでした。

 初めての赴任地がなんと、埼玉県北葛飾郡大字鎌倉という所でした。赴任地を聞いたとき、どんな田舎だろうと思って、早速調べてみましたら、なんと、学校の東側には水元公園があり、そこはもう東京都葛飾区でした。

 当時私は埼玉県に仕事で住んでいましたので、たまたま埼玉の教員になりました。

 できたての新校舎で最初の職員室は他の学校と一緒でした。4月開校が遅れ9月開校になったからです。新卒教師が半分の若さあふれる学校でした。

 三郷市は東京のベッドタウンであり、人口も現在は14万弱になっています。当時はまだ、市制がひかれていなくて、三郷町でした。3年間そこにいましたので、その後急速に発展し転出する頃には6万人ぐらいになっていたと思います。

 さて、前置きはこのぐらいにして、絵本の読み聞かせの講習会にはよく行きました。最初は3年4年と進級しその後、2年1年と低学年に下がったと思います。

 その、低学年の時に子どもにどんな本を読ませようかと考え、どこで情報を仕入れたか、記憶にないのですが、色々絵本を探し回りました。

 当時印象に残っているのが、「大きなおいも」の本でした。当時は読み聞かせでは人気№1の絵本でした。絵本ができるいきさつを調べていくうちに、底辺には大きなストリーがあることが分かりました。

 子どもの頃、絵本など読んだ記憶がない私に取って大きなインパクトでした。毎日が、楽しくて楽しくて、絵本ばかりでなく色々なことをやった埼玉での3年間でした。そのころ、音楽もやってみたくてピアノ教室にも通いました。バイエル終了に3年間かかりました。また、言葉にも興味を持ち上野までアナウンス教室にも通いました。

 「絵本ってあんなに言葉が少ないのに、なぜ、値段が高いのだろう?」と不思議に思っていた時期がありました。その後、数年がたち、子どもも生まれ、絵本にも接し、絵本の価値に気づくようになりました。

 イメージの部分でふくらめてていける要素がたくさんあるんです。特に、「松谷みよ子著 いないいないばあ」と、いう本は0才の子に初めて与えました。ほとんど活字がないのに乳飲み子の心理にあうのか何度読んでも飽きない様子でした。読むときのテクニックにもあります。

 教師になって初めて、子どもは反復で出てくる言葉(音)に反応することが分かりました。ハンモックに乗って揺られている気分になるんですね。お母さんのおなかにいるときの気分かもしれませんね。

 このことも、香港に旅行して世界共通の幼児の心理だと確信しました。人間というのは言語が違っていても、根本ではお案じなのだなと深く自覚した事がありました。みんな、赤い血が流れているんです。世界には同じような反復繰り返すリズミカルの表現がたくさんあります。これが、万国共通に心地いいらしいです。

 私は読み聞かせをするときには、その言葉が話す優しい気持ちを大切にします。言葉以前の問題です。同じ言葉でも話すトーンが優しければ相手にすうっと入っていきます。言葉は言霊だというゆえんです。

 人は論理的な事を問題にしますが、絵本や語り聞かせは、そのときの話し手のトーンやイメージが大切です。いわゆる発する言葉以前の問題です。簡単な絵本が魔法のように幼児の心に響くといいうことはそういうことです。

 昔、私がまだ、小さい頃、姉のお話を寝床でよく聞いた事があります。あの心地良さはこの年になっても覚えています。私も、自分の子には桃太郎の話を何回も語り聞かせていました。教育はすべてを忘れた後にのこるものと入った方がありましたが、まさにそのことだろうと思います。

 何でもそうですが、いいものはいいです。いいものとの出会いがその後の人生を変えていきます。何でもいいものには価値があります。それを見抜く眼力を持ちたいです。人を動かすのは論理ではありません。論理を超えたもっと奥深いところにあるように思えてなりません。

 

 

※人は毎朝生まれ変わる。
※何事も、つかず離れず、さりげなくさらっと、繰り返し繰り返し愛情を持って!


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