想い続けることができれば、その想いはいつか成就する

その日その日感じたことを詩、エッセイ、短歌、日記でつづります。野菜も育ててます。

4人の妻を持つ王様のお話

2018年10月14日 | エッセイ

震災8年10月13日

 私の中に例え話のできる人は賢い人だという考えがあります。それは例え話を考えた時点で、相手意識を持ち、相手意識で物事を考えるという思いやりに繋がるからです。それは、コミュニケーション能力の最たるものだと思います。単に頭がいい人ですと、自分では理解しているのですが、相手のレベルを思いやることを忘れて自分のレベルで相手に伝えようとしてしまいます。これでは、コミュニケーションはできません。世の中そういう人ばかりいないわけです。特に大衆を相手にお話するときには、この例え話は大きな力になります。例え話をすることによりその内容を自分でも優しい言葉ではっきり自覚することもできます。

 さて、facebookにこんな動画が流れました。「4人の妻を持つ王様」のお話です。見ていますと、実にうまくたとえているなと感心をしましたので、皆さんにもお知らせしようと思いました。

 それは、ざっとこんなお話です。

むかしむかしある所に4人の妻を持つ王様がいましたから始まります。王様にもやがて死が訪れようとしていました。

4番目の妻に「お前は私のあの世の旅についてくれるか。」といいました。「お断りします。」と言って立ち去りました。

3番目の妻は「いいえお供できません。あなたが亡くなれば、私は再婚します。」といいました。

2番目の妻は「いいえ、今回ばかりはお力になれません。」といいました。

1番目の妻は「私がお供します。それがどこであろうとも。」といいました。

 お話はすべての人はこの4人の妻がいるのですと言っています。4番目の妻は私たちのです。3番目の妻は富と名誉です。2番目の妻は家族と友人です。1番目の妻は私たちのですと、お話は結んでいます。

 体、富と名誉、家族と友人、どれも自分の死によって自分から離れていってしまいます。最後まで、残るのが魂です。心の問題は魂となって死後も残り続けるのです。この心のあり方の尊さをこのお話はいっているのだと思います。

私も古希を過ぎ、色々考えることがあります。肉体はやがて滅びてしまいますが、そのあと、残るものは何かと考えたときに、やはり心というか精神しかありません。心には質量も形もありません。ですので、どこへでもいうことができるのです。場所も、空間もいりません。生前父が、幸せは東にも西にもないが南にあると言っていたことを思い出します。まさに、このことだなと思います。

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コメント
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