ミコちゃんの徒然日記

日々の雑感など

いつまでも

2009年02月19日 | Weblog
 梅の香と乙女の眸澄みにけり

 十五の春を思い出す時、中学の卒業と高校の入学が

ありますね。しかし当時はクラスの半数近くが、就職して

(親孝行でもあります)いた時代でした。

その後殆どの人が進学するようになり、よほどの理由が無い限り

すぐに就職ということは少なくなりました。しかし、残念にも

志望校でないからとか、勉強が難しいとか、高校を中退してしまう

ケースも以外に多いのですが、これはやはり親不孝であり、また自分不幸

と云えるのではと思います。

その時は本人も悩み苦しんでのことでしょうし、親もどうする

ことも出来なかったのだと思います。

もしその高校に良きアドバイスをして、親身になって考えてくれる教師が

一人でもいてくれたら、その生徒の生涯も変ったかもしれません。

最近、NHK番組で知りましたが、たった一度のチャンスではなく、

何度でもチャンスがあって、本人さえ努力すればこうした人も

高校卒の資格が手に入り、その後の就職などが有利になる道が拓かれると

いうことです。8教科を順次クリアーしていくそうで、無料の塾の感じでした。

教師陣は全てボランティアだそうで、本当に立派だと思いました。

民間人にはこんなに素晴しい人達がいて、頭が下がりますが、本当は国が

すべきことではないでしょうか?

揚句は早々志望校への合格内定がいただけた少女の喜びの様子を

句に詠んで見ました。彼女は4年間憧れの高校を目指し、6年生から

塾に通いながら、部活にも最後の引退試合まで頑張ったので、

それを良く知っているミコちゃんは、本当に凄いと感心しました。

 ミコちゃん達の時代は、今よりは呑気な受験で偏差値○○以上などと

厳しくはなかったように思います。でも中三の後半になると、

席次によるクラス編成の補習授業があったり、

テストコンクールというものが2、3回あって、関西大学まで行って、

入試さながらに受けました。約6000人くらいで、席次が出て

50番以内に入った友人が、次回はご招待を頂いていて、1000円の

受験料が無しでした。我が校の8クラス中、一番の彼女は物凄く頭が良く

読書好きで誠実な人です。中三になった時、座席が前後になり、

当時の互いの家庭の苦労話などで、意気投合した親友ですが、

今は大阪と岡山で離れているのでなかなか会えません。

ザンネンですが、いつまでもいつまでも心の友です。(笑)







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