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06/02 もみじ饅頭&灸まん

2014年06月02日 | スイ-ツ・お菓子

【もみじ饅頭】

「もみじ饅頭」は、饅頭の一種。もみじをかたどった焼饅頭の一種であり、広島県の厳島(宮島)の名産品である。

『概要』

日本三景のひとつ、厳島(安芸の宮島)の名物であり土産品である。現在では宮島のみならず広島県を代表する土産菓子として全国的に知名度が高い。
2009年に朝日新聞が行ったアンケート調査「日本一のまんじゅうは?」で
全国一、各種の「全国お土産ランキング」でも上位の常連で、一位をとることもある。

「もみじ饅頭」は明治時代後期の和菓子職人が考案したが、商標権は切られており、一社独占ではない。このため大手「もみじ饅頭」メーカーや宮島島内の小規模メーカーの他、イオンやセブンイレブンのような流通企業のプライベートブランドからも同一の「もみじ饅頭」の名称で製造・販売されている。
宮島には焼きたての「もみじ饅頭」を供する店舗が軒を連ねている。

『名称』

宮島にある紅葉の名所・紅葉谷にちなんだ名物ということで名付けられた。
表記は「もみじ饅頭」が一般的だが、商品によさては「もみじまんじゅう」とも表記する。これは他の多くの饅頭と同様、土産品として親しみをもたせるために平仮名で表記していると考えられる。「紅葉饅頭」や「紅葉まんじゅう」とは通常は表記しない。

『構造』

「製法」

小麦粉・卵・砂糖・蜂蜜を原料とするカステラ状の生地で包み、モミジの葉をかたどった型に入れて焼き上げる。餡は漉し餡が基本で、製法についてはどの製造元でもほぼ同一である。

1960年代までは、一つ一つ手で焼き型を押さえて焼き上げていたが、大型の機械で焼き型を次々回転させて「もみじ饅頭焼成機」を広島市内の業者が開発してから、どの店でも一定の品質を保った「もみじ饅頭」の製作が可能になった。機械の開発に合わせて餡を大量・均質に整形する必要が出て来たため、宮島の菓子組合加盟10社が共同で餡の自動整形機を開発するということもあった。
現在の焼成機はガス加熱式が主流で、多いものは1時間あたり2500個の製造能力がある。

現在でも少数ながら、職人が店頭で焼き型を使って手焼きし、販売している店舗もある。宮島島内には「もみじ饅頭」の手焼き体験ができる施設もある。

「種類」

誕生当初は「漉し餡」入り・カステラ状生地の焼き饅頭のみであった。現在では当時と同じものに加えて、非常に多くのバリエーションがある。商品名は店によって異なることもあるが、チーズ入りなら「チーズもみじ」、抹茶餡入りなら「抹茶もみじ」というように、「〇〇もみじ」という名称で呼ぶことが一般的である。2000年代に入ると、餡の種類だけでなく生地を変えたり、製法に変化を取り入れたりといった工夫も見られるようになった。

餡のバリエーションとしては、漉し餡・粒餡・白餡・抹茶餡・栗餡・チーズ・チョコレート・クリーム、その他に角切りリンゴ・餅・クリームチーズ・芋餡など、現在も新商品の開発が続いている。

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【灸まん】

「灸まん」は、金比羅宮で知られる香川県多度郡琴平町の「灸まん本舗・石段や」で作られている和菓子。金比羅宮参拝の土産の代表格であり、香川県を代表する土産菓子である。

その名のとおり、お灸(もぐさ)の形状をしており、饅頭の頂上部が丸く盛り上がった、やや円錐形に近い形をしている。鶏卵の黄身を使った餡を使用している。

「石段や」は、元は1765年に「成田屋久八」として金比羅宮参道の石段に軒を連ねた旅籠であたった。天保年間に、江戸の小金井小次郎という侠客がこの旅籠に泊まり、成田屋の女中衆に当時成田屋の名物として知れ渡っていた「金比羅灸」を据えるよう所望した。小金井は非常に美男子だったため灸を据えるのに女中衆で取り合いになったという。結局灸を据えることになったある女中が特別柔らかい灸を据えたため、小金井は「こいつは甘めぇいお灸だ」とは言ったものの、非常にこの灸が気に入ったらしく、以後「金比羅灸」はますます評判を取ったという。

成田屋の六代目の主人が屋号を「石段や」とし、旅籠より茶店に商売替えをする際、この逸話にのっとりお灸の形をした饅頭を創始したという。現在でも「石段や」本社の建物は金比羅宮参道において最も古い建築の一つである。

「灸まん」は2002年に熊本市で開かれた第24回全国菓子大博覧会において、最高賞である名誉総裁賞を受賞している。

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