道彦の散歩道

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06/17 萩の月&水戸の梅

2014年06月17日 | スイ-ツ・お菓子

【萩の月】

「萩の月」は、1979年9月から菓匠・三全が販売しているカスタードクリームをカステラで包んだ饅頭型のお菓子のことである。正式名称は「仙台銘菓 萩の月」。

『概要』

「萩の月」は、明治初期誕生の「笹かまぼこ」や昭和20年代誕生の「仙台牛タン」と並び、昭和50年代誕と歴史が短いながら仙台土産の定番になっている。
業界紙のアンケートを基に選んだ「20世紀を代表する土産品」では、北海道の「白い恋人」、福岡県の「辛子明太子」に次いで、宮城県の「萩の月」が全国三位になった。現在では宮城県外の店舗でも販売され、1日当たり10万個が製造・販売されている。

商品名は「萩が咲き乱れる宮城野の空に浮かぶ満月」に由来している。松任谷由実の発言で全国的な知名度を得たと言われ、全国に模倣品が数百種あると見られる。

業界では、食品の賞味期限延長に脱酸素剤を利用した先駆けの商品として知られる。また、現在よりも高価な移動手段であった旅客機の機内で供された歴史から、ビニール包装の上、さらに小箱に個包装されているのが特徴。

メーカーが推奨したわけではななく、自然発生的に消費者自ら多様な食べ方わしているのも特徴である。常温のまま食べる方法の他、冷蔵庫で冷やしてから食べる方法や、松任谷由実が絶賛する冷凍庫で凍らせてアイスクリームのようにして食べる方法も著名である。
このため、模倣品の中にはあらかじめ凍らせた状態で売られているものもある。
逆に、温かい状態では中のカスタードクリームが軟化し、常温のそれより舌触りが良く美味しいとサンドイッチマンや熊田曜子が絶賛している。

『歴史』

1964年の東京オリンピックを境に主力商品の「かりんとう」の売り上げが芳しく無くなっていた三全工業(現菓匠三全)は1970年、伊達騒動を描いNHKの大河ドラマ「樅の木は残った」の放送を機に観光客が増加していた宮城県の土産品に新規参入することを決意市、バウムクーヘンをもとに新商品「仙台銘菓 伊達絵巻」を開発した。
また、同商品は「個包装の上で箱に入れる」という方式を採った。「伊達絵巻」は知名度の低さから当初、デパートでは扱ってもらえなかったが、仙台空港での販売が始まると売り上げを伸ばし、デパートや鉄道弘済会での取扱も始まって仙台土産としての地位を確立した。

「伊達絵巻」の成功を機に同社は直営店展開も始めたが、品揃え拡充のために新商品開発にも取りかかった。当時、洋菓子では一番売れている商品はシュークリームであり、贈答品として人気があるのはカステラであると同社は分析し、両者を組み合わせた「萩の月」を開発。しかし、「萩の月」は保存料を使用しない生菓子だったため日持ちせず土産品や贈答品としては不適だった。そこで、1970年代中葉に三菱瓦斯化学が商品化に成功した脱酸素剤を用いて、賞味期限延長の共同研究を始めた。

1978年3月1日、初めて仙台空港と福岡空港を繋ぐ定期便が就航したが、これに合わせて運航会社が提供する機内菓子を探していた。それを知った菓匠・三全が積極的に営業をかけたところ、同社の主力商品である「伊達絵巻」は採用されず、新商品である「萩の月」が採用された。

三菱瓦斯化学との3年以上にわたる共同研究の結果、脱酸素剤「エージレス」が完成。酸素が入らないよう密閉したフィルムで個包装された生菓子「萩の月」は、「エージレス」を同包することで、保存料なしでも日持ちする土産品「仙台銘菓 萩の月」へと生まれ変わった。

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【水戸の梅】

「水戸の梅」とは、茨城県水戸の銘菓で、餡入りの求肥を赤紫蘇の葉で包んだ和菓子である。名所である偕楽園の梅をモチーフとして作られた。

菓子の外観は丸い梅の果実に見立てた姿である。中身の餡は、白餡を使う店と小豆の漉し餡の店がある。梅酢に漬け込んだ赤紫蘇の葉を使うことが特徴である。
この紫蘇の葉は蜜で煮込んだり、さらに蜜漬にするなど店ごとの工夫が凝らされている。紫蘇の葉の高い香りが独特の風味を添えている。

1963年に水戸菓子工業協同組合が出願、1965年10月に登録された、商標登録である。同組合に加盟する5社のみが使用することが出来る。

『由緒』

水戸の菓子店である「亀印製菓」は、同社の二代目が、1892年に開発したと称している。水戸ならではの菓子の開発を思い立ち、水戸藩の古文書に記述のある「9代藩主・徳川斉昭が作らせたという紫蘇巻き梅干しを参考にした菓子」にヒントを得て、考案したとする。
もともとは亀印製菓が漬物店であったことから、梅干し用の紫蘇の葉の利用を試みたのだという。初期の姿は、練った白餡を紫蘇の葉でくるんだ菓子で、「星の梅」の名で発売された。その後、三代目のときに「水戸の梅」に改名したという。

別に「井熊総本店」という菓子店も、「水戸の梅」の元祖を名乗っている。同社によると、1900年頃、常磐線開通に伴い、当時の「県令」の安田定則が、観光客向けの土産品の開発を命じたのが誕生のきっかけだと言う。これに応じて、同社の初代の小林熊次郎が、偕楽園で採れた梅の実を使った菓子として考案したものだとしている。

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