道彦の散歩道

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毎日の事件事故の記録

5/21 子供と子ども

2012年05月21日 | 日記

最近の新聞、雑誌などで気になっているいることが、「子供」と「子ども」の表記である。

実は驚きであるが、「子供」という言葉が「差別用語」として、出版業界、教育現場などで追放処分を受けている。その代わりに「子ども」と、「供」を平仮名に直した表記ばかりが目につくようになっている。

何時の頃からこの言い換えが始まったのだろう。一説には、昭和2,30年代頃といわれている。『供』という字は『お供』の『供』で、親の付属物の扱いで適当ではないとの意見が出始めてから良くないとなったらしい。

明治22年初版の「言海」という国語辞典で「こども」を引くと、「子供」とは「多くの子」が元々の意味らしい。つまり「男供」が「男」に「供」をつけて複数の男を表すのと同じで、「子」に「供」を付けて複数の子を表す「コドモ」になったのである。

つまり、「コドモ」の「ドモ」とは、元々は複数形を表す「ドモ」であり、後に「供」の字が充てられたというのが、この言葉の語源である。なぜ「供」が充てられたかははっきり解明されていない。しかし、「親のお供という意味で供の字を充てられた」という証拠は、今のところ出てきていない。証拠もないのに日本語の重要単語が消えようとしている。

正しい意味を知らずに言葉の表記を変えることはあってはならないと思う。「お供」とはある人に付き従って行く人の意味である。子供は何時から親に従わなくてもよくなったのだろう。子供が「子供」でなくなった時、それは「子ども」が親の指導に付き従わず、「人権」の名の下に勝手気ままな行動をして問題を起こす時代である。それがまさに現代社会なのである。

「子供」→「子ども」→「こども」、このようにならないことを祈る。さらに、最近は「漢字」→「平仮名」表記が多くなっている。このままでは日本の漢字文化が衰退の一途である。教育関係者、報道関係者の一考をお願いしたい。


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