佐世保便り

2008年7月に佐世保に移住。
海あり山あり基地あり。そしてダム問題あり。
感動や素朴な疑問など誰かに伝えたくて…

野崎島へ

2010-08-10 | 

8日のブログの続きです。

8月5日。
笛吹港7:25発、町営船「はまゆう」に乗って、あこがれの野崎島にやってきました!



透明なマリンブルーの海に囲まれ、美しい教会と不思議な岩があり、
野生の日本鹿が住む無人島・・・それが野崎島だと聞いています。

その島に足を踏み入れました。

今回はガイドも頼まなかったので、初心者コースの教会を目指すことにしました。

宿のご主人が虫よけスプレーを「持って行きなさい」と渡しながら、
「時々ヘビも出るからね」と言ってたけど、
そんな気配はまるでありません。

教会までは道も整備されていて歩きやすいし、
とにかく暑くて暑くて・・ヘビも虫も、どこかの岩陰か土の中に潜っているんじゃないかな?

崖沿いの小道には木陰を造ってくれる高木はなく、低木や草ばかり。



カラカラに乾いた崖に、へばり付くように咲いている草花の元気なこと!



枯れ枝にしがみついてるのは、セミの抜け殻。





たまに高木を見つけると、その下で一休み。

見上げると色づいた丸い実がいっぱい!ヤブツバキでした。

後で宿のご主人に確認したら、

「そうなんですよ。野崎島にはたくさんヤブツバキがあってね、私は言ってるんですよ。
 あの実を集めて椿油を造って、島の特産品にしたらどうかってね」


きれいな海が見えてきました~


このまま進めば自然学塾村とそのそばにある野首教会に着くようです。


少し歩くと、もっと真下に、まさにパンフレットの写真通りのマリンブルーの海がありました!


ああ、降りていきたいなぁ~
でも、急こう配の崖だし、かなりの高さで、ちょっとムリ・・・

仕方ないから、カメラをズームインして我慢しよう~


この透明な優しいブルーは、どうして?

砂浜が白いから?

遠浅だから?

それから?

それから・・・


海の景色を堪能して、再び歩き始めたらすぐに「自然学塾村」が見えてきました。


無人島のこの島で人が寝泊まりできるのはここだけ。

手前の青い屋根は、元野崎小中学校の校舎。
それを改修して、今は合宿所になっています。
夏季には、全国から子どもたちがやってくるので、校舎内のベッドだけでは足りず、
このようにテントも張って対応してるようです。

敷地内にあるトイレを借りるためにお邪魔しましたが、
たくさんのこどもたち(小学生低学年くらい)が楽しそうにはしゃいでいました。

    どこから来たの?

    北九州! (別の子が)小倉!

    ここには何日くらいいるの?

    3日!  (別の子が)違うよ、4日だよ。3泊だから4日間だよ。

    楽しい?

    うん、楽しい!

    何が楽しいの?

    海! 海にもぐるの!


こどもたちはほんとに島の夏を満喫しているようでしたが、
実は、小値賀島の住民の評判はあまりよくありません。
というのは、宿泊費が高額なため。

以前、小値賀町が管理していた頃は、1泊1000円で泊まれたので、
小値賀島本島の子どもたちや、その親戚の子どもたちも夏休みは気軽にここに遊びに来れたのですが、
この学塾村をNPO法人が管理するようになってからは、1泊5000円に!


  ホテルじゃないんだから!
 
  食料は持ち込みで自炊ですよ。それで5000円は高いでしょう?
  親戚の子を毎年呼んで連れて行ってあげてたんだけど、もう呼べなくなりましたよ。
  金持ちの子どもだけが泊まれるところになってしまいました 


と、怒りを込めて訴える小値賀町民の声が耳に残っています。


ただ、島で出会ったそのNPO法人のスタッフは、みんな素敵な若者で、
造り物でない笑顔と優しさがあふれていました。

彼らのためにも、この法人の運営責任者は住民との意思の疎通をしっかりやっていってほしいです。

それに、やっぱり、いまどき1泊5000円の素泊まりは高いよネ・・・


元校舎を左に見ながら少し歩くと野首教会に到着です。


下の道から見ると、こんな感じです。



階段の途中からパチリ!



中はこんな感じです。


小さいけれど素敵な造りです。
明治41年(1908)、教会建築で知られる鉄川与助が初めて挑戦したレンガ造りで、彼の渾身の作品。
県の貴重な文化財で、毎年開催される「おぢか国際音楽祭」の舞台ともなっています。

一番後ろの席にノートが2冊置いてありました。

その1冊は来館者の記帳簿で、私も名前を記しました。
パラパラとめくってみると、福岡県からが一番多いようです。
県内では、平戸や長崎市など、キリスト教徒が多いと言われる地域からの来訪が目立ちます。

たまに、千葉県とか埼玉県、神奈川県など関東地方からも。

あっ、川越から来てる!秩父からも!
など、どうしてもまだ埼玉に反応してしまいます・・

もう1冊の方は野崎島について書かれた資料集でした。

その中に野崎ダムについて書かれたページがあり、
地図を見ると教会のすぐ裏手に位置します。

お弁当を食べた後、行ってみることにしました
(教会の木陰で食べた民宿のおにぎりは、超おいしかったです!)






平成12年完成ということは、野崎島民がほとんど島を出ていってから造ったのでしょう。

一時期は800人近くいた島民も、高度経済成長と共に激減。
昭和41年には船森地区が、昭和46年には野首地区がそれぞれ集団離村し、
昭和60年には、野崎小中学校が廃校になりました。

一人残った最後の島民(神島神社の神主さん)が島を出たのは、平成13年のことだそうです。

じゃあ、このダムの水は誰が使っているのでしょう?

実は、この水は小値賀島に送られ農業用水として使われているそうです。

小値賀島は野崎島と違って平らな島で、田畑もたくさんあるけれど、
山が少ないので、作物の生育に必要な水の確保が難しかったんだそうです。
だから海の向こうにでもダムを造りたかったんですね。


ダムを出て、もと来た道を引き返すことにしました。
帰るためではなく、スケッチの場所を求めて・・・

夫にとって今回の旅の目的の一つは、風景画を描くことでした。
しかし、なにしろ暑くてバテバテの彼は、
スケッチポイントを探すより、木陰を探すことが先決で…。



たまにある木陰も足場が悪いし…


やっと見つけたのは、廃屋となった建物のそばの木の下。


何の建物なのか、
造りといい、中に散乱している寝具や家具といい、町営住宅の跡のような雰囲気ですが、
門柱のような大きな石碑が2本立っていて、その文字は既に読めなくなっています。

やっと木陰の下で一休み。
ここは高台になっているので海風も吹いてきます。

夫はスケッチを始め、私は周辺を探索。

探索の目的は、足元にこれを見つけたから。


鹿の糞です!

ここ野崎島には野生のキュウシュウジカがたくさん生息しています。
無人島になってからはかなり増加して、生息頭数は500とも700とも言われています。



フンの跡を辿っていくものの、この辺りはいそうにありませんね。


海側の木陰を探索していたら、10mほど先をふいに3頭のシカが飛び出して、駆け抜けていきました。

私の足音に驚いたのでしょう。
カメラを向ける暇もなく、崖下の見えないところへ行ってしまいました。

元の場所に戻り、再び周辺を散策していると、
じっとこちらを見つめるつぶらな瞳に出会いました。


あまりにも動かないので、造り物かと疑ったほど。

先ほどのシカたちと違って、さほど人間を恐れてはいないようです。
子どもの鹿なのでしょうか?




向きを変え、ゆっくり歩き去るシカの跡についていくと、様々な廃屋に出会いました。









これは、お墓の跡でしょうか?


美しい海と教会と可愛いシカ…
ロマンいっぱいの野崎島は、過疎化の村のなれの果てでもありました。

でも、そこにある風景は、やはりどこまでも美しくて…
また是非訪れたい・・・そんな島でした。



小値賀島にもどると、宿のご主人がサンセットポイントにつれていってくださると言うので、
早めに夕食を済ませ、7時前に出かけました。



ここは、昨日訪れた斑島。
東シナ海に浮かぶ夕陽の大きいこと!



ん!?不思議だなぁ。
夕日に近いところの雲が白くて、遠いところの雲が夕焼け色に染まっているのは何故?




こちらは黒島の展望台から見た景色です。

ただ今の時刻、19時48分

西の果ての長崎県の小値賀島に、ようやく夜の帳が降り始めました。

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