佐世保便り

2008年7月に佐世保に移住。
海あり山あり基地あり。そしてダム問題あり。
感動や素朴な疑問など誰かに伝えたくて…

家族の思い

2008-12-29 | 平和
昨日、ペシャワール会報98号が届きました。

その中に、伊藤和也さんのご家族が書かれた記事がありました。

お母さんが書かれた「我が子 伊藤和也へ」
妹さんが書かれた「無題」

ペシャワール会現地ワーカー伊藤和也さんの悲報に接した時の胸の痛みが再び蘇ってきました。
が、ご家族の方々にとっては、痛みよりももっと深い喪失感が、ずーっとずーっと進行形で続いてきた日々だったことでしょう。

お二人の書かれたものには、家族を失った切なさがあふれています。
どんな政治家よりも心に響く平和へのメッセージを発していらっしゃいます。
(私は全文をそのまま皆さんにも読んで頂きたくて、ペシャワール会事務局に記事引用のお願いの電話をしましたが、やはりそれは無理でした)

お二人が書かれていたのは、マスコミで報道されてきたりっぱな青年伊藤和也ではなく、
普通の、身近な、でも本当にかけがえのない存在である家族としての和也さんへの思いでした。


よく夜泣きをする赤ちゃんだったそうです。
お母さんがだっこして、お父さんの運転で、毎晩のように深夜ドライブ…。
でも、妹さんが生まれると不思議にピタリと夜泣きが治まったそうで、
またその後弟さんが生まれた時はとても喜んで、一層お兄さんらしくなった…と。

その妹さんから見たお兄ちゃん和也さんは、本当に優しく頼もしいお兄さんだったそうで、
偏食家の彼女がお父さんに叱られないようにいつもこっそり嫌いなおかずを食べてくれていたとか、二段ベッドの場所取りやお菓子選びもいつも下の二人に選ばせてくれたとか、そんな思い出が懐かしそうに語られていました。

その優しい、大好きなお兄ちゃんがアフガニスタンに行ってしまって、最初のころ彼女はとても心配したけれど、でも、帰ってきたときに見せてくれるたくさんの現地の写真、そこに映っている人々はとてもやさしい笑顔をしていたので、だんだん安心するようになったそうです。

お母さんが食べ物のことなど心配して聞くと、彼は、
お母さんが想像するような貧しい国ではない、そんな失礼な考えは捨ててくれと抗議して…。

彼がアフガニスタンの人々を心から愛したようにアフガニスタンの人々も彼のことが大好きで、
とても皆に慕われていたという話をさんざん聞かされた妹さんは少しやきもちを妬いていたそうです。
でも現地ワーカーの方が「妹さんの話もしていましたよ」と声掛けられ嬉しかったと綴られていました。

お二人が書かれた最後の部分だけ、抜粋させていただきます。


   和也 和也 平和なり 和なり
   名前のようにあなたは育ちましたね
   返事をしてくれない笑顔のあなたに
   母の命がある限り 
   和也 和也と呼びかけます


   お父さん、お母さん、
   三人兄弟に産んでくれてありがとうね。
   最後にひとつだけ欲を言えば
   「お兄ちゃん もう一度逢いたいよ」
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