戦争が廊下の奥に立ってゐた
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渡邊白泉の名前は知らなくても、テーマに掲げた「戦争が廊下の奥に立ってゐた」の詩を知っている方は多いかと思います。
友人が教えてくれたそのページにはそう書いてあったけど、
私は、渡辺白泉という名前も、この詩も初めて目にしました。
そして、なんだかゾクッとしました。
詩と言っても、俳句なんだそうです。
季語の無い俳句で、無季句と呼ぶのだそうです。
これは昭和14年の作品で、「時代がだんだんキナ臭くなり始めている事を敏感に感じて渡邊白泉はこの詩を詠んだのではないでしょうか」と評されていました。
また、「戦争は憲兵のこと」という解釈もあるようです。
暗い廊下の奥に憲兵が立っているという、それだけで不気味です。弾圧という言い知れぬ恐怖が身近にあることの象徴として書かれている…と。
いえ、そうではなくて、「廊下の奥に立つてゐた」のは赤紙を配達する郵便夫である、と論じる人もいるようです。
近所に配達された赤紙という具体的なものを「戦争」という抽象に転化させるだけの、若干の余裕と、残り時間が砂時計の砂のように確実に減っていくと感じさせる緊張感があったと語っています。
また、昭和13年には
銃後といふ不思議な町を丘で見た
という句を詠んでいます。
俳句というより、やはり詩ですね。
映画のような1シーンが浮かんできます。
まるで中学生くらいの子どもが、タイムマシンに乗ってその時代の丘に降り立ち、
眼下の町を一望したら、
そこは今自分が住んでいる町なのに、風景がまるで違っていて不思議な感じを覚える。
家の形や街並みが違うのはわかるけど、
昔の写真を見ていたから、それは想像していた通りだけど、
生徒がいるはずの学校はガランとしていて、みんな軍需工場で働いていた。
お母さんたちは鉢巻をして、竹槍を持ってエイエイヤーと訓練していた。
あちこちで近所の人が集まって万歳三唱して若者を見送っていた。
子どもも大人もみんな同じ顔で、同じ方向を向いていた。
そんな不思議な町だった。
引率の先生が「これが銃後の町なんだよ」と教えてくれた。
そんなシーンが浮かんできました。
そして、昭和20年の終戦時に詠んだ句はこれでした。
玉音を理解せし者前に出よ