goo blog サービス終了のお知らせ 
不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

佐世保便り

2008年7月に佐世保に移住。
海あり山あり基地あり。そしてダム問題あり。
感動や素朴な疑問など誰かに伝えたくて…

いのちの食べ方

2009-10-31 | 雑感
昨夜、知人宅での上映会に誘われ、行ってきた。

私たちが日々口にしている食材の生産現場を描いたドキュメンタリー作品だ。
英語のタイトルは「OUR DAILY BREAD」。
ドイツ・オーストリア映画とのことなので、舞台はその両国なのだろうか。

超大型のガラスハウス、いや、『野菜生産工場』と言いたくなるくらい見事に機械化された空間や、
牛や豚などが殺され処理され『肉』という食材になっていく過程が淡々と映し出される。
何の解説もコメントもなく、もちろん台詞もなく、ただ淡々と。

野菜生産工場の中を、車に乗って移動しながら消毒したり収穫する。
50mプールをいくつも縦に並べたような奥行きの広さに驚く。
トマトやキューリやパプリカが、それぞれ広大なガラスハウスの中で生産されていた。

さらに広大な大地に埋められたホワイトアスパラガスを掘り出すシーンや、
たわわに実ったアーモンドを機械で振り落とし、また別の機会で掬い取っていくシーンなどは、
初めて見る光景で、面白かった。

収穫が終わったトマトの枝は根元からブチッと切られ、てっぺんの枝先からぶら下がった状態となり、
それをサササーと束ねていく。まるで、カーテンを寄せるように…。
その束を引きちぎり担いで行く。
まだ、数個の赤い実をつけたまま…。

小さなエレベーターに乗って二人の男たちが、しゃべりながら降りて行く。
かなり地下深く降りて行く。おしゃべりは続く。
地底にたどり着くと、車に乗り換え、またしばらく走る。

現場に着くとブルドーザーに乗って、白い岩のようなものを砕き運ぶ作業をする。
昼食時も仲良くハンバーガーのようなものをパクついている。
ただ、それだけのシーンで、画面はまた別の工場に移った。

(上映終了後、参加者に教えられて、それが岩塩を掘り出すシーンだったことをやっと理解した)


しかし、物珍しい映像に驚くだけでは終わらない。

この映画の日本名は「いのちの食べ方」。
そのタイトルから、内容についてはある程度予測していたけれど、その衝撃は、
予想をはるかに上回るものだった。

かわいいヒヨコたちが、何万羽もベルトコンベアに乗せられて移動する。
作業員によって処置をされたりチェックをされたりしながら流れていく。
さながら黄色い川のようだ。
川の終わりは籠に詰められ、籠は何段にも重ねられ、次の工場へ運ばれていく。

大きくなったメスの鶏は、広い工場の中の狭い自室で、卵を産み続ける機械となる。

食肉用に育てられた鶏ブロイラーは、その時が来ると、やはり機械に掬いあげられ、
ベルトコンベアーに乗って流れて行った。
次の場面では、足を吊られ、羽根をむしられ、変わり果てた姿で、やはり流れてきた。
作業員の前まで来ると、頭がブチンとちょん切られた。

お風呂上がりのようなピンク色の肌をした元気そうな豚クンたちは車に乗って場内を移動していた。
と思ったら、彼らも宙吊りになってでてきた。
次のシーンでは、女性作業員たちが足を切りとり、内臓を選り分けていた。

牛に関するシーンはもっと衝撃的だった。
まず、牛の種付けというものを初めて知った。
人工授精用の精子をオス牛から採取するシーンは、はじめ何をやっているのかわからなかった。
これも上映終了後に教えてもらった。
人間ってなんと傲慢な生き物だろうとあらためて思った。

それから牛の出産シーン。
立ったままの牛のお腹が大きく切り裂かれ、そこに人間が手を突っ込んでいる。
はじめ内蔵のようなものが、続いて牛の赤ちゃんが引っ張り出された。
いわゆる帝王切開だ。
大型牛で、自然分娩が困難なケースの場合、ヨーロッパではよくおこなわれるという。
その間大人しくなされるがままに立っている牛の姿が不思議だったが、部分麻酔のため、痛みは無く、
意識もあるので立っていられるとのことだった。
それにしても、出産後もパクリと切り裂かれた腹はそのままにして、人間たちは子牛の世話をする。
母牛のお腹がとても寒そうだった。
麻酔が覚めた時、母牛は急に軽くなったお腹をどう感じるのだろうか。

そして肉牛のするシーンは、最大の衝撃だ。
狭いカプセルのようなものに押し込められ運ばれてきた牛の額の所に、
何か金属棒のようなもので強い衝撃を与えると動かなくなった。
はじめ死んだのかと思ったが、そこでは気絶していただけのようだ。

この後殺され、「宙吊りにされ、解体される。喉から腹に刃物を入れると滝のように噴出して流れる血。
解体人は慣れた手つきで、浴びた血をホースで洗い流す」との解説があった。
http://www.j-cast.com/tv/2007/10/16012212.html

実は、その命を絶つシーンも、腹を裂かれて血液が噴出するシーンも、確かに見ているのだが、
記憶にない。
血に汚れた男性作業員たちがホースの水で洗い流していたのは覚えているのだが。
目を覆ったわけでも、下を向いていたわけでもないのに、私の脳の録画装置は
その重要な部分をかってに削除してしまったらしい。

情けないことに、上映会終了後、車座になって感想を述べ合ったその時にも、まだ
胸のドキドキは続いていた。

私は本当に衝撃を受けていた。
残酷なシーンという意味ではなく、私たち人間の傲慢さを見せつけられた衝撃だった。

私は肉も魚も食べるし、これからも食べる。
小エビを食べた魚が、もっと大きな魚に食べられるように、それは動物としての食物連鎖と言えるだろう。
が、その食物連鎖の頂点に居る私たち人間は、そのような生物界の節理を忘れ、
他者(他の生き物)の「いのち」を感じなくなってしまった。

人間が食べるための鶏や豚や牛は、ここでは「いのち」あるものとして扱われてはいない。
私自身、スーパーでパック詰めされた鶏肉や豚肉や牛肉を買う時、
同じようにパック詰めされた豆腐や麺類や野菜類と同じ感覚で手にとって籠の中に入れていくし、
それを料理する時も然り、食べる時もまた然りだ。

そのことに気付かされた衝撃だった。

しかし、そこに集まった人たち(12,3人)は、皆冷静だった。
この映画を見るのは2度目という人たちも多かったし、
仕事の関係で食肉センターを見学に行ったという人も数人いたり、
飲食店を経営している人やこれからやろうとしている人、
自然農法を研究したり、自然との共生を目指す生き方をしている人など、
以前から食について勉強している人ばかりだった。

参加者の中で一番年上なのに、食について一番何も知らない私だった。
恥ずかしかった・・・

一週間もすれば、この衝撃は薄らぎ、
一か月もすれば、私はきれいさっぱり忘れてしまうかもしれない。

せめて、母に教えられた「いただきます」の意味を思い起こし、
その習慣を大切にしたいと思う。

コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« あの日の授業 | トップ | 署名コピー問題~県の回答 »
最新の画像もっと見る

2 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (Unknown)
2009-10-31 17:16:55
今まで散々自然は大切とか命がとか言いながら基本も理解されてなかっとは驚いた。
肉を食べるなら自分でしめろとは言わないけど解体くらいはした経験もないなんてな。
自然と生きるって現代社会に慣れた人間から見れば綺麗な事ばかりじゃないんだぜ。
鶏しめた事あるけど死ぬのがわかるのかはしらんけど凄い鳴き声で暴れる。
まぁ機械的に生産されるのを批判してるわけじゃないけどな。
そもそも機械的に食肉生産されるために生み出された命だから。
返信する
認めます (cosmos)
2009-10-31 23:51:16
Unknownさん、私への批判はその通りです。
返す言葉もありません。
返信する

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

雑感」カテゴリの最新記事