今回の目的のもう一つは、ダム関連。
埼玉・東京・神奈川・山梨には、遠く離れた長崎の小さな石木ダム建設に関心を持ち、
署名活動などに協力してくれた人々がいます。
この仲間たちの応援は、私にとって本当に心強いものでした。
550を超える署名だけでなく、その他の活動にも親身になって手を差し伸べてくれました。
この仲間たちに会って直接お礼を言いたかったし、
またさらなるご協力をお願いしたかったのです。
ところが、その願いが叶えられただけではありませんでした。
友人からの情報によると、私が埼玉を去る日の午後、
八ッ場ダムに関する講演会が浦和で開かれるとのこと、
急きょ時間を作って参加することにしました。
講師は「水源連」(水源開発問題全国連絡会)の共同代表の嶋津暉之さん、
お名前だけは書籍や資料で、また仲間からの情報でよく存じ上げていた方でした。
テーマは「八ッ場ダムの現状」でしたが、
「八ッ場ダムの歴史」から始まって、「八ッ場ダムの必要性の検証」
「八ッ場ダムがもたらすもの」「八ッ場ダム事業の進捗状況と見通し」など、
総合的にわかりやすく解説してくださいました。
規模の違いはあるけれど、その歴史や必要性の問題など、
石木ダムとの共通点をたくさん感じました。
水需要の動向は首都圏も右肩下がり。
驚いたのは、東京です。
八ッ場ダムに関わる1都5県の中で、東京都は唯一人口が増え続けている(年に約10万人増)
のに、水道用水の消費は減っています。
これは節水機器の普及によるものだそうで…いいことですね!
今後人口が減り続けるであろう佐世保市においては、ますます水が足りてくるはずと確信しました。
そもそも八ッ場ダム構想が浮上したのは、1947年のカスリーン台風の被害(利根川の氾濫で
約1100人もの死者が出たという)が発端で、その規模の台風の再来に備えるためだったのに、
八ッ場ダムにはその効果がないことが昨年6月、政府の答弁で明らかになったそうです。
国土交通省の計算によると、再びカスリーン台風と同規模の台風が襲来したと仮定したとき、
下流の観測地点のピーク流量は、ダムがある場合もない場合も同じ20,421トンだったそうです。
石木ダムにおいてはダムによる治水効果がありそうなのは、全流域の9分の1と言われています。
また、ダム計画があるがために河川改修がなおざりにされ、
今すぐできる必要な治水対策がなされていないなど、
かえって住民の安全を無視している現状も同じでした。
異なっている点としては、これまでは現地住民の方の対応について感じていました。
つまり、石木ダムの場合は今現在も13世帯の人々が反対の意思を貫いているけれど、
八ッ場ダムの場合は、住民の皆さんはすでにダム建設を受け入れ、
納得してその地を去っておられるのだとばかり思い込んでいました。
実際はそうではありませんでした。
たしかに、1992年に「八ッ場ダム反対期成同盟」は闘争の旗を降ろし、
96年から代替地の造成も始まりますが、それは水没地近くの傾斜地を切り開いたもので、
しかも周辺地価に比べて高額。
地元での生活に見切りをつけて仕方なく町外へ移転する人々が増えていきました。
ダムは決して町を活性化させるものではなく、
住民の対立や苦悩を招いた揚句、地域は疲弊し人口は減る一方で、
それを目の当たりにしてきた住民は皆、賛成派も反対派も共に大きな心の傷を負っていたのです。
最後に事業費の話があり、
当初2100億円と言われた事業費が、2004年には4600億円に増額されたが、
これがさらに大幅に増額される可能性が高いとのこと。
なぜ、2100億から4600億に増えたのか訊いたところ、
地質対策や補償費が計画以上にかかったとのことらしい。
田中康夫さんが言っていた「補正3兄弟」の実態がこれなんですね。
平成20年度までに、実にその70%の3215億円が消費されています。
それでも八ッ場ダムを止めようと頑張っている人々がいます。
「八ッ場ダムを考える会」や「八ッ場あしたの会」などの市民運動だけでなく、
「八ッ場ダムを考える群馬県議会議員の会」「八ッ場ダムを考える1都5県議会議員の会」など
政治家の議員さんたちもしっかり声を上げ始めたようで、ここが長崎と違うところ!
羨ましい・・・なんて言っていてはダメですね。
私たち市民が声をあげて、世論を作っていくことが大切で、
政治家はきっと世論についてくるでしょう。
この日初めて会ったOさん(八ッ場ダムをストップさせるために埼玉で頑張っていらっしゃる方)
が教えて下さいました。
「ささやき運動」
八ッ場では、「ヤンバは止めれば儲かります」というキャッチコピー。
佐世保では、「水は足りてるんだってよ」こんな感じでいかがでしょうか?…と。
いいですね~
お隣の人にささやいてみようかな。
「あのね、実はね、水は足りてるらしいよ」って。
埼玉・東京・神奈川・山梨には、遠く離れた長崎の小さな石木ダム建設に関心を持ち、
署名活動などに協力してくれた人々がいます。
この仲間たちの応援は、私にとって本当に心強いものでした。
550を超える署名だけでなく、その他の活動にも親身になって手を差し伸べてくれました。
この仲間たちに会って直接お礼を言いたかったし、
またさらなるご協力をお願いしたかったのです。
ところが、その願いが叶えられただけではありませんでした。
友人からの情報によると、私が埼玉を去る日の午後、
八ッ場ダムに関する講演会が浦和で開かれるとのこと、
急きょ時間を作って参加することにしました。
講師は「水源連」(水源開発問題全国連絡会)の共同代表の嶋津暉之さん、
お名前だけは書籍や資料で、また仲間からの情報でよく存じ上げていた方でした。
テーマは「八ッ場ダムの現状」でしたが、
「八ッ場ダムの歴史」から始まって、「八ッ場ダムの必要性の検証」
「八ッ場ダムがもたらすもの」「八ッ場ダム事業の進捗状況と見通し」など、
総合的にわかりやすく解説してくださいました。
規模の違いはあるけれど、その歴史や必要性の問題など、
石木ダムとの共通点をたくさん感じました。
水需要の動向は首都圏も右肩下がり。
驚いたのは、東京です。
八ッ場ダムに関わる1都5県の中で、東京都は唯一人口が増え続けている(年に約10万人増)
のに、水道用水の消費は減っています。
これは節水機器の普及によるものだそうで…いいことですね!
今後人口が減り続けるであろう佐世保市においては、ますます水が足りてくるはずと確信しました。
そもそも八ッ場ダム構想が浮上したのは、1947年のカスリーン台風の被害(利根川の氾濫で
約1100人もの死者が出たという)が発端で、その規模の台風の再来に備えるためだったのに、
八ッ場ダムにはその効果がないことが昨年6月、政府の答弁で明らかになったそうです。
国土交通省の計算によると、再びカスリーン台風と同規模の台風が襲来したと仮定したとき、
下流の観測地点のピーク流量は、ダムがある場合もない場合も同じ20,421トンだったそうです。
石木ダムにおいてはダムによる治水効果がありそうなのは、全流域の9分の1と言われています。
また、ダム計画があるがために河川改修がなおざりにされ、
今すぐできる必要な治水対策がなされていないなど、
かえって住民の安全を無視している現状も同じでした。
異なっている点としては、これまでは現地住民の方の対応について感じていました。
つまり、石木ダムの場合は今現在も13世帯の人々が反対の意思を貫いているけれど、
八ッ場ダムの場合は、住民の皆さんはすでにダム建設を受け入れ、
納得してその地を去っておられるのだとばかり思い込んでいました。
実際はそうではありませんでした。
たしかに、1992年に「八ッ場ダム反対期成同盟」は闘争の旗を降ろし、
96年から代替地の造成も始まりますが、それは水没地近くの傾斜地を切り開いたもので、
しかも周辺地価に比べて高額。
地元での生活に見切りをつけて仕方なく町外へ移転する人々が増えていきました。
ダムは決して町を活性化させるものではなく、
住民の対立や苦悩を招いた揚句、地域は疲弊し人口は減る一方で、
それを目の当たりにしてきた住民は皆、賛成派も反対派も共に大きな心の傷を負っていたのです。
最後に事業費の話があり、
当初2100億円と言われた事業費が、2004年には4600億円に増額されたが、
これがさらに大幅に増額される可能性が高いとのこと。
なぜ、2100億から4600億に増えたのか訊いたところ、
地質対策や補償費が計画以上にかかったとのことらしい。
田中康夫さんが言っていた「補正3兄弟」の実態がこれなんですね。
平成20年度までに、実にその70%の3215億円が消費されています。
それでも八ッ場ダムを止めようと頑張っている人々がいます。
「八ッ場ダムを考える会」や「八ッ場あしたの会」などの市民運動だけでなく、
「八ッ場ダムを考える群馬県議会議員の会」「八ッ場ダムを考える1都5県議会議員の会」など
政治家の議員さんたちもしっかり声を上げ始めたようで、ここが長崎と違うところ!
羨ましい・・・なんて言っていてはダメですね。
私たち市民が声をあげて、世論を作っていくことが大切で、
政治家はきっと世論についてくるでしょう。
この日初めて会ったOさん(八ッ場ダムをストップさせるために埼玉で頑張っていらっしゃる方)
が教えて下さいました。
「ささやき運動」
八ッ場では、「ヤンバは止めれば儲かります」というキャッチコピー。
佐世保では、「水は足りてるんだってよ」こんな感じでいかがでしょうか?…と。
いいですね~
お隣の人にささやいてみようかな。
「あのね、実はね、水は足りてるらしいよ」って。