佐世保便り

2008年7月に佐世保に移住。
海あり山あり基地あり。そしてダム問題あり。
感動や素朴な疑問など誰かに伝えたくて…

心は自分のもの

2011-12-25 | 雑感

昨日、「コスタリカに平和を学ぶ会」のMLに、あるメッセージが送られてきました。

それは、10月22日に開催された「学校に自由と人権を!10・22集会」に寄せられた、作家赤川次郎さんのメッセージで、それを送ってくれた幹事のOさんの短いメッセージも合わせてご紹介します。

 


**************************************************************


        「心は自分のもの」        赤川次郎


「日の丸・君が代」強制の問題を取りあげた劇「歌わせたい男たち」の作者、永井愛さんと対談したときのことです。
 
イギリスで永井さんの劇を上演するという話があり、永井さんは執筆中だった「歌わせたい男たち」のあらすじを送りました。すると、先方から、「何年前の話ですか?」と訊いて来て、「今、今です」と返事をしたら、向うはびっくりして、なかなか信じてくれなかったそうです。
「イギリスだったら、全国的に大ストライキになるだろう」 と言われて、永井さんは「ちょっと悔しかった」と、おっしゃっていました。
 
今、「日の丸・君が代」強制に抵抗して処分されても、新聞やTVではほとんどニュースにさえなりません。しかし、これは民主国家として、海外から見ればとんでもない出来事なのだということを、日本人は知るべきです。

「日の丸・君が代」の問題は、その歴史的な意味にとどまるものではありません。

「炎のランナー」という映画をご存知でしょうか。戦前のパリでのオリンピックに参加したイギリス人ランナーの実話です。牧師でもある短距離ランナーは、日曜日に予選があると知って、「神の定めた安息日にレースはできない」と出場を拒みます。選手団長は彼を呼んで「愛国心」に訴え、出場を促しますが、牧師は頑として応じません。団長は苛立って、「君は傲慢だ」と非難しますが、牧師は即座に「人の信仰に立ち入ることこそ傲慢です」と
反論するのです。
 
二十歳ごろだった私はこの言葉に強く打たれました。どんな権力も人の心に立ち入ることは許されない。
「日の丸・君が代」強制の問題もまた、「人の心に立ち入っている」からこそ許してはならないと思います。裁判官の意見や、新聞の社説などには「問題はあるかもしれないが、これくらいのことは我慢しては」という言い方が見られます。
 
しかし、一旦「心の中へ立ち入る」ことを許せば、次はさらに泥靴で心の中へ踏み込んで来る。それを拒むには、この一歩を拒否することです。「日の丸・君が代」の問題は、決して入学式と卒業式だけのことではないのだと、粘り強く訴えていきましょう。

 

     ********************************************************

 

 

今から丁度120年前、内村鑑三は教育勅語への礼拝を拒否したため、第一高等中学校の教員の職を追われました。
同じようなことが大阪をはじめ、日本の各地で起きつつあります。この100年余り、日本社会は進歩をしてきたと言えるのでしょうか?(O・S)

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« クリスマス・イブ | トップ | 安全な「しきい値」はない »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

雑感」カテゴリの最新記事