長崎新聞に「健康歳時記」というコラムがあります。
先日、そこに、一つの詩が紹介されていました。
筆者の丸山寛之さん(医学ジャーナリスト)は、その詩を、毎年お正月の朝、読みたくなるのだそうです。
その詩は、大正生まれの詩人中桐雅夫が昭和の晩年に書いたもので、詩集『会社の人事』(晶文社)に収められています。
その詩集も、その詩も、その作者も、私は知りませんでした。
が、とても心に沁みるものでした。
来年のお正月が来る前に、私はきっとまた読みたくなるでしょう。
私の中にもある"後ろめたさ"(戦後生まれの私のそれは、ちっぽけなものかもしれないけれど)が、
大きく膨らんで困った時、きっと読みたくなるでしょう。
そのときは、このページを開いてみましょう。
きのうはあすに
新年は、死んだ人をしのぶためにある、
心の優しいものが先に死ぬのはなぜか、
おのれだけが生き残っているのはなぜかと問うためだ、
でなければ、どうして朝から酒を飲んでいられる?
人をしのんでいると、独り言が独り言でなくなる、
きょうはきのうに、きのうはあすになる、
どんな小さなものでも、眼の前のものを愛したくなる、
でなければ、どうしてこの一年を生きてゆける?