佐世保便り

2008年7月に佐世保に移住。
海あり山あり基地あり。そしてダム問題あり。
感動や素朴な疑問など誰かに伝えたくて…

通潤橋その2

2013-08-11 | 

これが、布田保之助の像。

彼の視線の先にあるものは・・・

ジャーン!

通潤橋の放水です。

これがどうしても見たくて、またやってきました。 

すごい迫力です。

35度のあっつーい中、大勢の見物人が集まっています。

橋を通っている3本の送水管の真ん中あたりにゴミを取り除くための放水口が、

五老ヶ滝川上流に向かって2個、下流に向かって1個あり、

いま3本の大きな流下が始まったところです。

上から見るとこんな感じ。

下の見物人が豆粒のように見えて、高さがこわ~い!

左手前に見えるのは、この送水口の栓です。

 

通潤橋の碑の横に置かれている四角い石、これが石の送水管です。

この図に示されているように、90cm角の石ですから、どんなに大きいか、どんなに重いか

想像できますね。

その中央に30cm角の穴を開け、それを何百個も繋いでいったのです。

どうやって?

溝を掘って、そこに溶けた鉄を流し込むというアイデアもすごいけど、

この溝もまた全く同じサイズで掘らないと流し込めませんよね~

大変精密な仕事ぶりです。

しかし、このグッドアイデアも失敗に終わります。

鉄の暑さで石が焼け、そこがもろくなって、水圧がかかるとそこから水が漏れ始めた…

でも、保之助は諦めなかった!

鉄の代わりに、漆喰を使ってみることにしたそうな。

でも、普通の漆喰ではやはり水漏れが起きてしまう。

特別な「八斗漆喰」について研究し、

(八斗漆喰の作り方)

こうして出来た漆喰が早く乾かないよう、塩と卵の白身を加えるのですが、

それらの調合を何度も何度も試行錯誤して、やっと水漏れしない石の送水管ができました。

 

送水管を造るだけでも、どれほどの工夫と情熱と根気が必要だったことか・・・

山都町の人々にとって、布田保之助という惣庄屋は、たんなるお役人ではなく、

神様のように崇められる存在だったというのも、わかるな~ 

 

コメント
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