佐世保便り

2008年7月に佐世保に移住。
海あり山あり基地あり。そしてダム問題あり。
感動や素朴な疑問など誰かに伝えたくて…

派遣法に抵抗した女性たち

2009-01-21 | 雑感

先日、埼玉の先輩、Oさんから、とても貴重な資料が添付されたメールを頂きました。

Oさんも、昨今の派遣労働者の惨状にとても心を痛めていらっしゃいます。
と同時に、この惨状を生み出した労働者派遣法を阻止できなかった私たち自身も、鋭く問われているとおっしゃいます。

私たちが親の世代に「なぜ、あの戦争を止められなかったの?」と問いかけたように、
若者たちは、「なぜ、派遣法を止められなかったの?」と私たちに言いたいでしょうね。

正直なところ、私は、いつ派遣法ができたのかも知りませんでした。
当時(1980年代)の私は子育てや仕事に追われ、恥ずかしいけれど、政治や社会の動きにはほとんど「見ざる、言わざる、聞かざる」の日々でした。

しかし、その頃Oさんたちは、真剣に今と未来を見つめ、闘っておられました。
1985年1月19日、都内で男女雇用機会均等法に反対する女性たちの集会が開かれ、そこで、熱いスピーチが続出したようです。中でもOさんにとって印象深かったのが、石谷閑子(いしたに・しずこ)さんのお話でした。

Oさんは、「派遣法が制定されるとき、必死に反対してきた人たちもいます。歴史に埋もれてしまったその思いを、いま闘っている方々に知っていただきたい」と、その時の石谷さんのお話をテープ起こしされました。

その内容を読み、私もまた、多くの人々に是非知っていただきたい貴重なお話だと感じましたので、Oさんの了解を得て、このブログでご紹介させていただきます。

以前「家政婦は見た」という人気ドラマがありましたが、家政婦こそ、昔からある派遣業だったのですね。
そこでの不当な体験を経て、労働者自身による労働者供給事業というものを勝ち取っていった石谷さんの言葉には、「派遣法」がもたらす未来がはっきりと映し出されていました。

働く人たちがたいへん厳しく恐ろしいことが始まろうとしているのに、どうしたらいいかわからない、この残念さ、悔しさ。せめてみなさんに知っておいていただきたい・・・

最後にそうおっしゃっています。
かなり長文ですが、そのままの文章を読んで頂きたくて、全文を掲載いたします。



石谷閑子(いしたに・しずこ)さんのお話             

                       田園調布看護婦家政婦労働組合
                       労働者供給事業関連労働組合協議会  


 ただいまみなさんの歌われたなかに、「私たちはあしたも働くだろう、働かなければ食べていけないから」とあるのを聞きながら、自分がこれまでどのように働いてきたか、思い返していました。
 16歳からですので、50年は働いてきたことになります。いろいろな仕事をしましたが、いちばん長かったのが看護婦で、見習い看護婦から始めて戦争中は陸軍看護婦でした。戦争が終わりましてからは派遣看護婦です。
 先ほどからパート・臨時・派遣は正社員よりも労働条件が悪いという話がありました。看護婦は違いまして、家庭や病院に派遣される看護婦は、病院勤務の2倍のお金になります。それで、家庭の事情などで、どうしてもお金の必要な人が派遣で働きます。
 私も、戦争が終わっても2人の兄は戦地から帰ってきませんで、一家の生活を支えなければなりません。それで田園調布にある看護婦・家政婦の派出婦会に入りました。田園調布にはお金持ちがたくさんいますから、この仕事にはたいへん有利です。ボスは500人ほどの看護婦・家政婦をおいて、業界一の規模でした。
 経営にできるだけお金をかけないのがボスの方針でして、宿舎のベッドは500人に対して1割の50人分、それも3段ベッドでした。その布団がご近所の評判で、宿舎が線路の際にありましたので、その柵に布団を干す。晴れた日には汚い布団がズラーッと並んで、「ほらほら、看護婦さん、家政婦さんは、あの布団に寝ているんだよ」と、そういうところで働いていました。

 ところが、私が働き始めて1~2年たったころでしょうか、労働省―そのころはまだ内務省でしたが―のお役人と青い目の進駐軍が宿舎に来ました。そして、「あなたたちは長いあいだボスに搾取されてきた。しかし、新しい憲法によって職業安定法という法律ができ、人を働かせて搾取するような非民主的なことは許されなくなった」、そう言うんです。
 それで、仕事の紹介は職業安定所というお役所がやってくれる、しかもタダだというんです。私たちはボスに2割から3割ピンハネされていましたので、眉につばをつけながら聞いていましたが、ほんとうにそれ以後、ボスのピンハネはなくなりました。
 でも、仕事の依頼は安定所ではなく、やはりボスのところに来ます。そうすると、私たちは安定所に走って、「安定所の紹介」という書類をつくってもらってから派遣先に行く。病院から「お産があります」、「緊急の手術がはいりました」などと連絡があると、目の前の病院にではなく、大森にある安定所まで走って、それから病院に行く。これがたいへん不便でした。
 また、私たちは従来どおりボスの宿舎に寝泊りしていました。安定所は宿舎を用意しないで、ボスに委託したからです。しかし、委託料として1泊300円以上を取るのは禁止されていたのに、ボスは1泊600円も取った。それがわかって、ボスは廃業させられました。
 私たちはそれぞれ他の業者を探すように言われましたが、業者なんて似たりよったりです。小ボスというのは大ボスよりも陰険なところがあって、1泊600円を取りながら、それを洩らしたら1万円の罰金だとか、夜中に宿舎に忍び込んでくるとか、そういう業者ばかりです。

 それで、仲間の看護婦・家政婦と話し合って、自分たちで労働者供給事業をすることにしました。職業安定法は、ボスが人を集めて他の会社に派遣することを禁止していますが、労働組合が無料でおこなう労働者供給事業は認めている。この認可をとることにしたのです。
 こういう仕事をしていると、だいたいがヘソクリをもっています。それを出し合って、事務所と宿舎にする建物を買いました。そして労働組合をつくって、1日の賃金をいくらにするか、組合費をいくらにするか、みんなで話し合いまして、労働省に労働者供給事業の認可を申請しました。
 だけど、労働省は終始一貫して、労働組合が供給事業をおこなうのがイヤでイヤでイヤでたまらなかったんです。それで、私たちの申請はたらいまわしにされました。私が組合長になりまして、役所に行きますと、お役人が「悪いことは言わない、あなたが個人で派出婦会の認可をとっておきなさい。それなら、すぐに認可されるし、あなたの一生の財産になるよ」と言うんです。
 職業安定法では、職業紹介は職業安定所と学校、それから労働組合が組合員に無料でおこなう、それ以外は認められないことになっています。しかし、有料の職業紹介も、「無料の紹介所が機能を発揮するまで」ということで、暫定的に認められていました。その認可をとるようにというんです。
 だけど、みんなで始めようというのに、個人でとって自分の財産にしたら、私は裏切り者になります。「それはできません」と言ったら、「そうですか」と言ったきり、2年間、待たされました。さいごには、「バカヤロー、バカヤロー、これだけ延ばされても、こちらがどういうつもりでいるか、わからないのか」と言われました。
 それで、社会党の国会議員だった赤松常子先生に頼みに行きました。赤松先生はすぐに労働省に出向いて調査され、参議院の社会労働委員会で質問しました。そうしたら、職業安定局長が立ち上がって、「その件は調査が終わりまして、あと2週間で手続きがすみます」と、ほんとうにそれから2週間で認可が下りました。

 ところが、驚くじゃありませんか、禁止された派遣を、また復活させるというのです。4~5年前でしたか、労働省がそのための調査委員会をつくるといって、学識経験者、経営者の代表、労働組合の代表を集めました。労働組合はナショナルセンターの総評・同盟・新産別からと、労働者供給事業をおこなっている組合として、私どもと自動車運転手の組合、港湾で働いている人たちの組合から委員が出ました。
 私には昨日のように思えるんですよ。「人に仕事を紹介してピンハネするような非民主的なことは許されなくなった」と言われたことが…。私たちはそれを信じて、もうボスに搾取されることはないんだと、仲間のため、自分のために、労働者供給事業を一生懸命にやってきました。
 労働基準法の5条には「なんぴとも法によるほかは人の就業に介入して利益を得てはならない」と書いてあります。職業安定法には、「人の就業に営利の目的で介入してはならない」ということが、最初から最後までピーンと書かれています。まさかこれがホゴにされるなんて…。
 労働省の委員会で、私たちは反対しました。私は、日本は言論の国だから、正しいことをいえば通ると思っていました。だけど、委員会の前に結論は出ていたんです。言いたいだけ言わせておこうということだったんです。学識経験者なんか、「あんたたちも組合員を外で働かせて分け前を取っている。派遣事業とどこが違うんだ」と言うんです。
 労働者供給事業では、派遣先で働く人も事務所で働く人も同じ組合員です。派遣先からの賃金は働いた人に払われ、働いた人はそこから組合費を払って、事務所の維持費や事務所で働く人の賃金にします。組合費はみんなで話し合って大会で決め、私たちのところでは賃金の1割です。組合長も1年ごとに選挙で決めます。リコールの制度もあります。
 労働省が解禁しようとしている派遣業は違います。働く人は派遣会社に雇われるんです。派遣先からのお金は派遣会社に入って、働いた人は派遣会社から賃金を受け取る。働いた人には、派遣先からいくら入ったのか知らされないので、2割・3割どころか5割・6割ピンハネしても、それはボスの経営能力ということになります。

 派遣業は現在の法律では認められていませんが、マンパワーという会社は堂々と営業しています。労働省は派遣会社を取り締まらずに、野放図につくりたいだけつくらせておいて、「こんなにたくさんできたのは、働く人と働かせる人、双方のニーズだからだ」と、法律のほうを変えようとしているのです。
 委員会ではマンパワーにも調査に行きました。働いている人に「なぜ派遣で働くの?」と聞くと、「職安に行っても、正社員の口などありません」と。3割ピンハネされて、交通費も出ない。それでも、いまは法律違反ですから、マンパワーも少しは遠慮している。これが合法と認められたら、どうなるのでしょう。
 いま労働省が用意しているのは、職種を限って派遣を認めるという法律です。男の人はかなり特別な能力や経験が必要な職種で、狙われているのはおもに女の人です。みなさんが学校を卒業し、あるいは子どもの手が離れたからと仕事に出ようとすると、大手を広げて待ちかまえているのが、派遣会社のボスということになります。
 だけど、女の人だけの問題ではありません。「濡れぬ先こそ露をもいとえ」で、どうせ合法にするなら、どんな職種でも認めるようにしたいと、労働省ははっきり言っています。運転手や港湾の組合の人は「タコ部屋を復活させるつもりか!」と、たいへんな危機感をもっています。
 企業の経営者にとって、派遣で働く人はたいへん便利です。なにかあっても「派遣会社に言いなさい」ですむからです。残念ですが、労働省、また労働法の権威といわれる学識経験者がそれに加担しています。
 働く人たちにたいへん厳しく恐ろしいことが始まろうとしているのに、どうしたらいいかわからない、この残念さ、悔しさ。せめてみなさんに知っておいていただきたいと、お訴えさせていただきました。
                                  
1985年1月19日

                                

 

 

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