でっかい、でっかい太平洋が、広がっています。
世界中、五大陸に通じる海が広がっています。
その広い海に浮かぶ遠くの島、イースター島、そこにある世界遺産モアイ像のそっくりさんが
ここ日南で見られるという。ぜーったい見たい!
なんせ、この先、本物にお目にかかれるチャンスがあるかどうかわからないんだもの…
と意気込んでやってきました。
そこは「サンメッセ日南」・・・期待の10倍素晴らしいところでした!
モアイ像が海岸傍に立っているように見えますが、ここは丘の中腹、
モアイの下には牧場が広がっていて、ふれあい広場ではヤギさんたちと遊べます。
ここは「太陽の丘」
丘全体が日時計になっています。小さい石はストーンサークルの方向陣で、真ん中の大きい石に太陽が当たりその影で時を知ることができます。
何も遮るものはありません。ここに立つと全身が太陽に包まれます。
そう。 太陽(サン)に抱かれ、サンからのメッセージを感じて、大きなエネルギーと開放感に満たされよう…というのが「サンメッセ日南」のコンセプトだったんですね。
知りませんでした。
サンメッセ?幕張メッセみたいなもの?どうしてそこにモアイがあるの?
なーんて感覚でやってきた私、オハズカシイ・・・。
これは「天空の塔」といいます。
塔の真ん中に細い隙間があるでしょ?わずか10cmの隙間です。
春分の日と秋分の日の年2回、先ほどのモアイ像7体のうちの真ん中のモアイの背中から昇った朝日が、この天空の塔の10cmの隙間を通り、「太陽の階段」を駆け登り、頂上にある「地球感謝の鐘」の中央に差し込むように設計されているんですって!
すごいなー! その瞬間を見てみたいものですねー!
これが、その、「地球感謝の鐘」です。
カヌサイトという古代原石が音源になっていて、近づくと、透明感のある、でも柔らかい美しい音色が聞こえてきます。
石碑にはこの鐘建設の趣旨が書かれていますが、
宗派を超えて国内の宗教団体(神道、仏教、キリスト教など)が協働したこと、
さらに国外の様々な宗教団体が多くのメッセージを寄せてくれたことに驚きました。
世界ではじめてのことだそうです。
ガザ、アフガニスタン、イラク等々、今の世界の現状を思うとき、この鐘の存在にさらなる感動を覚えます。
フランシスコ会修道院院長 マクシミリアン・ミッツィー神父
ダライ・ラマ
ヒンズー教 ガンティ・オカー女史
ユダヤ教 ノーマ・レヴィット女史
イスラム世界連盟
その他、<カンタベリー大主教 ジョージ・ケアリー>、<日本クリスチャンアカデミー 中川秀恭>、<比叡山延暦寺天台座主 山田恵諦>、<立正佼成会開祖 庭野日敬>、<一燈園 西田天香> 等々によるメッセージがかかげられていました。
さて、こちらが目的だったモアイ像。
近くで見るととても大きいです。私の身長の4倍近くあるでしょうか・・・?
アフ・アキビのモアイ像の復刻版が、なぜここにあるのか。
パンフレットには次のように書かれています。
日本のモアイ修復チームが、1990年から3年かけて倒れていた15体のモアイ(アフ・トンガリキ)を立ち上げた奉仕と友情に対して、ラパヌイ(イースター島)の長老会と島民が、日本で復元することを初めて、そして世界で唯1回だけ認め、両国の考古学者の監修と、ラパヌイで3年間苦労した石工によってアフ・アキビが見事に復刻されました。
「天空の塔」内にあるギャラリーでは、現地モアイの写真や、その謎についての説明パネルなどもありました。
モアイ像が何のためにどのようにして造られたのか、はっきりはわかっていないようです。
なぜなら、18~19世紀、ヨーロッパからやってきた「先進諸国」の人々によって、島民の多くが奴隷として連れ去られ、島はほぼからっっぽになってしまったからです。
また、モアイ像のほとんどが倒され破壊されていたのは、16~17世紀にかけての部族間の紛争のせいだと言われています。
なぜ、紛争が起きたのでしょう?
その要因の第一は、飢餓による食物争奪のようです。
なぜ、飢餓が始まったのでしょう?
4世紀頃、無人島だったこの島にマルケサス諸島から人々が移り住むようになったころ、この島は巨大な椰子が生い茂るジャングルだったようです。
が、人々は森林を伐採し、カヌーを作り、畑を作りました。
人口はどんどん増え、人々はますます森を破壊し、とうとう限界を超えてしまったのです。
土壌の劣化、流出、水不足・・・作物も育たなくなりました。
食物が不足し、奪い合いが始まり、殺し合い、そして相手の文明の象徴であるモアイを倒しました。
森林破壊は、それを行った人間自身の文明をも破壊する・・・ということなのですね。
太陽、森、水、海・・・すべてのものの恵みを実感させられた「サンメッセ日南」でした。
ありがとう