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ペドロランド日記

スペインの国際村「ペドロランド」を中心にフランスとイギリスに発信地を移しながら、日々の出来事を綴っています。

水不足の夏?

2005-06-02 19:42:02 | スペインの生活
5月31日の断水情報はガセネタであった。風呂桶いっぱいに水をはっておいたのに、とうとう断水はなかった。でも、水を落とした途端に断水なんていうことになっては困るので、風呂の水はそのままにして、お客さんたちには2階のシャワーを使ってもらった。日本の風呂と違って、風呂桶にためた水を炊くことができないのはこういうときに不便である。客用の風呂場だけ掃除をしておけばいいかと思ったが、念のため2階のシャワーも掃除をしておいてよかった。

もっとも、まったくのガセネタではなかったようである。翌日、近くのバーに行くと、隣のテーブルに座った夫婦がウェートレスと話していたが、この人たちの家では、前夜から水が止まっているということである。

この日(6月1日)、近所のプールに出かけたお客さんたちが夕方5時過ぎにあわてて帰ってきた。そこで6時から断水になるという噂を耳にして、夜食事にでかける前にぜひともシャワーを浴びたいと急いで帰ってきたわけである。5時半に一度水圧が急激に下がって、早くも断水が始まったかと思われたが、どうやらこれは一時的なことだったようだ。後でわかったことだが、このとき、地元の英語ラジオ局で今夜から断水になるというニュースが流れたので、水を汲み置きしようという人たちが一斉に水道の蛇口をひねったのが、一時的に水圧が激減した原因らしい。このラジオ放送でも、はっきりとした断水の時間はわからず、夜11時から24時間という説と、翌朝午前2時から午後2時までという2つの説を報道していたそうだ。

いつ断水になるかと思っていたが、結局今朝(6月2日)の午前6時くらいから水の出が極度に悪くなったくらいで、まったく水が止まるということはなかったようだ(まだ予断を許さないが)。金曜日の断水は水道管の水漏れ修理が原因ということであったが、水道管修理ならまったく水を止めないとできないだろう。今回のように水圧が下がるだけというのは、一種の給水制限なのではないだろうか。

ペドロランド近辺一帯では依然として住宅建設が続く。今のままでも満足に水の供給ができないのに、この上さらに住宅が増えてどうなるのだろう。しかも、まだ6月に入ったばかりで、猛暑の予想される夏はこれからが本番だ。7・8月もまとまった降水は期待できない。これからも断水・給水制限が続くようなら、予定より早く、7月になる前にイギリスに行ってしまうぞ。



断水続報

2005-05-27 20:28:20 | スペインの生活
ヘルムートが水道会社に電話をしてからすでに3時間以上経った。台所の流しの水がちょろちょろ出るようになったが、依然風呂場とトイレの水は出ない。でも、辛抱強く台所の流しの蛇口の下でバケツを構えていると、水がたまるようになったので、やっとなんとかトイレは流せるようになった。

500メートルほど離れた住宅地に住む友人の家でも、やはり水が出ないと言う。これほど広範囲で断水が行われたのは、わたしの知る限りでは初めてだ。今年は1945年以来、もっとも降水量の少ない年だということで、アリカンテの南の貯水池では現在満水時の20.5%まで水位が下がっているそうである。観光客が増え、猛暑が予想される今年の夏を控えて、心配な状況だ。スペイン政府でも水不足は深刻な問題としてとらえているようだが、水道会社は10月までは水の供給を保証している(でも、その後は?)

今日はヘルムートの家では職人が入り、物置を作っている。コンクリートをミックスするのに共同プールの水を汲み出して使っているが、これは反則技ではないか?たぶん、すぐに水が出るようになるだろうと予想してのことだろうが、もしこのまま断水が続いたら、共同プールの水は貴重になるはずだ(昔のイギリスの公共プールのように、銭湯代わりに使われるかもしれない)。物置の建設は断水が終わってからでもいいのではないだろうか。

水がでない!

2005-05-27 18:50:37 | スペインの生活
昨夜11時くらいから断水になっている(現在、5月27日午前11時50分)。ここ半年くらいなかったな。ペドロランドでは断水といっても18時間以上続いたことはないが、隣の町などでは、1週間くらい断水だったことがあった。近所で宅地造成などやっていると、断水はしょっちゅうのことである。

何が困ると言って、トイレが流せないことほど困ることはない。飲み水はいつもミネラルウォーターなので、これは問題なし。朝起きて顔を洗えないのは気持ちが悪いが、これは我慢ができる。もう我慢ができない!と思って、お隣に行ってトイレを使ったら(彼らは今オランダに帰っていて留守なのだが、鍵を預かっているのだ)、なーんとこの家にはトイレのタンクにすら水がたまっていなかったのである。どうやら、オランダに帰る前に、水道の元栓を止めていったようだ。1回分くらいなら流せるだろうというのは、誤算であった。

断水はいつも予告なしに起こる。前回断水になったときにペドロランドのオランダ人住民が「こんなことはオランダでは絶対にない。断水のときには1週間前くらいから予告があって、みんな水の汲み置きをして用意をしておく」と言っていた。イギリスでだって、日本でだって、予告無しの断水なんてないぞ。文明国では考えられないことだ。だいたい、スペインではインフラの重要性が認識されていないと思う。水道・電気は生活必需品というよりは、ぜいたく品という感覚だ。ましてや、電話となると、もう嗜好品の域に入る。

住民管理組合の会長である、お向かいのヘルムートが住民を代表して水道会社に電話したところ、1時間以内に解決すると言われたそうだ。「1時間ではなくて、マニャーナかもね」とヘルムートは笑っていたが、それから2時間が経とうとしている。断水が長く続くようなら、わたしは住民共同プールに水汲みに行って来るぞ。

La Despensa

2005-05-06 19:37:08 | スペインの生活
のち1年近くスペインに住んでいたバリーとロリーナがイギリスから休暇で来ていて、別荘用のアパートを買ったというので、近所の人と一緒に訪ねて行く。ペドロランドから車で20分ほどの海辺の町である。近くのバーで飲む。3杯目には、おつまみまで出てきた。ねじりビスケットとエンパナディーリャ(小さなパイのようなもので、中にツナのトマトソースあえが入っている)とレタス・ソーセージ・海老をマヨネーズであえたサラダが出てきた。こういうことはイギリスのパブでは絶対にないので、うれしい驚きだった。

この後、海辺のバーのバーベキューに行く予定だったのだが、すでに午後10時近くになっていたので、もう終わっているだろうということで、バリーとロリーナのアパート近くのレストランに行くことにする。ロリーナのお勧めである。教会前広場に面した小さなバー・レストランで"La Despensa"(食料貯蔵場、食料戸棚)と言う。総勢7人で繰り出したのだが、店の女将が入り口に立ち、一人ずつに「わたしはナナ」と自己紹介しながら、お辞儀をするのだった。スペイン人がお辞儀をするのなんて見たことがない。イギリスでもお辞儀をする人なんていなかった。

中に入ると3つのテーブルをくっつけて、7人用のテーブルをセットしてくれ、窓際の椅子に座ったわたしには「寒くないか?」と女将が聞く。スペインのレストランでこんなに気配りをされたことはないので、感動した。まるでわざわざ訪ねてきた友人を歓待するようである。

壁際にはセラノハムがかかっている(写真)。この店では整然と10ほどの豚の足が壁に沿って並べられているだけだが、ほかのスペインのバーでは、まるで鍾乳洞のように、天井から無数のハムが吊る下がっているところがある。その下で、客たちが煙突のようにタバコを吸うものだから、まるでタバコの煙で燻されているようなものだ。

カウンターの上にはタパスがケースの中に並べられている。なかなか興味深かったのだが、タパスをつまみながら酒を飲む段階はとうに過ぎているので、すぐにロースト・ラムを注文した。フォークを刺すと肉が骨からはずれるほど、やわらかく調理されている。これにフレンチフライとサラダがついて、8ユーロ50センチモ(約1,153円)。ハウスワイン(赤)は1本4ユーロ50センチモ(610円)也。合計7人で120ユーロ(約1万6千円)。絶対にもう1度行ってみたいレストランだ。

スペインの母の日と聖体拝領

2005-05-02 18:55:21 | スペインの生活
昨日(5月1日)はスペインの母の日だった。どういういわれなのかは知らない。父の日は3月19日で、これは聖ホセ(キリストの父親のヨセフ)の祭日のためだからだ。5月1日も聖母マリア関係の祭日なのだろうか。正式には労働者の祭り、メーデーということになっている。

今日(5月2日)は祭日でスーパーをはじめ、店は閉まっている。あちこちの建設現場のクレーンも動いていない。イギリスでも今日はバンクホリデー(国民の祝日にあたる)で、わたしも仕事がない。こちらもメーデーを記念するものであるが、メイフェアと呼ばれる、春の訪れを歓迎する伝統的な祭りとも重なる(詳しくは、”Anglo-bites"(イギリスつまみ食い)の5月の行事をご参照ください)。

今日は数週間ぶりの雨降りなのだが、昨日は最高気温も25度を超えて、とてもいい天気だった。ペドロランドのイギリス人住民・アンとジムが土地を買って家を建てているという、内陸部の小さな村までドライブをした。ペドロランドからは車で1時間ほどの距離なのだが、ずいぶんと風景は異なる。少し内陸部に向かうと、平地から突然隆起したような岩の塊の山が現われる。そこを超えると、ちょっとした山脈というか高地になるのだが、日本の山のイメージとは全然違う。緑ではなくて、薄い黄色なのだ。白っぽい岩肌に縞状に緑の潅木が生えている。まるで、マカロニ・ウエスタンの風景のよう(ちなみに、イギリスでは「スパゲティ・ウェスタン」というのはおもしろい)。

海のそばの住宅地ペドロランドとはまったく異なった風景で、たまにドライブに出かけるのには興味深いが、ここには住めないと思った。どこに行くにも車で20分はかかるだろう。自然に囲まれているのはいいが、この白茶けた風景は美しいというものでもない。

そろそろ2時になるというので、レストランで昼食を取ろうということになった。が、5月1日にはスペインで外食をするものではない。2軒ほど街道沿いのレストランをのぞいたが、どちらも貸切り状態で入ることができなかった。店内は着飾った人たちでごった返している。子供の最初の正餐式のお祝いパーティーだ。この日には集団の聖体拝領が行われたようで、どちらのレストランでも数家族のパーティーが開かれていた。社交界のデビューのように、1年の特定の時期に全員まとめて行われるのだろうか。主役の子供たちの姿は見えなかったが、最初の聖体拝領は、13歳くらいだということだ。女の子は、キリストの花嫁ということで、純白の衣装をまとい、男の子は黒のスーツに白のシャツを着るそうである。カトリックの国独特の儀式らしい。

こうして、適当なレストランは見つからず、とうとうペドロランドに近い、なじみのレストランに行くことになった。スペイン人の多い海辺のリゾート地なのだが、ここもたいへんな人出であった。もちろん、近くに教会はないので、聖体拝領が理由ではない。ただ単に、多くの人が浜辺に繰り出したというだけであろう。スペイン人の男性と椅子の奪い合いをし、ウェーターに注文を取ってもらうのに30分もかかった。5月の最初の日曜日にはスペインで外食をするものではない。

窃盗の季節

2005-03-31 04:40:52 | スペインの生活
今日(3月31日)はついに夏が来たかと思うほど、暑かった。朝から晴天で、最高気温は24度。ペドロランドの春は短い。冬が終わったと思うと、いきなり夏に突入する。一度夏になると、あとは連日晴天で、気温も25度以上が続く。

今朝はペドロランドのあちこちで、泥棒のニュースが聞かれた。今回は自動車中心らしい。幸い我が家の車には物色した跡もなかった。被害のあったのは一般道路に近い入り口付近の家ばかりのようだ。何が幸いするかわからないもので、鍵をかけておいた車はこじあけられて、ドアを壊されたりしたようだが、鍵をかけなかった車は中を物色されただけで、何も盗られなかったようである。

このところしばらく泥棒の話がなかったが、やはり観光シーズンが始まっただけある。泥棒たちも冬眠から覚めたようだ。

マーケット

2005-03-31 01:54:48 | スペインの生活
土曜日にはマーケットが出る。ペドロランドのあるプラヤ・フラメンカにストリート・マーケットができたのは今から4年ほど前だ。ある日突然、市役所からお達しがあって、マーケットが始まった。住宅街の普通の道路に土曜日の午前9時~午後3時まで市が立つ。こういうのはイギリスの常識では考えられないと言うので、地元の英字新聞では当初ちょっとした議論を呼んだ。土曜日は休暇を過ごす人たちが到着したり、あるいは母国に帰って行くことが多い。そうした移動の多い日の朝6時から午後3時までに、この道路がほとんど通行止め状態になるのは、近所に住む人や別荘をもつ人たちにとって不便きわまりない。こんな重要な決定を住民に相談無く、突然市役所が実行に移すのはとんでもないというのが、反対派の意見であった。一方、賛成派の意見は、マーケットはスペイン人の生活の一部である。せっかくスペインにいるのであるから、それを楽しめば?というものであった。

結局のところ、反対派の心配はかなり悲観的な観測だったようだ。あらかじめ、土曜日は近辺の道路の渋滞を見込んで早めに家を出るとか、前日の夜に自動車を車庫から出しておいて、裏道に駐車して置くとかすれば、この問題は防げる。我が家はこのマーケットから直線距離でほんの100メートルほどしか離れていないのだが、一度に何百人もの人々が行き来するマーケットがすぐそこにあるとは思えないほど、土曜日も静かだ。午後4時半までには、ゴミ収集車が来てきれいにゴミを片付け、またもとの静かな住宅街の道路に戻る。兵どもが夢のあとである。

値段のついているものは、その値段でしか売ってくれないが、値段のついていないものは、交渉の余地ありだそうである。モロッコ人やアルジェリア人の露店にこの類が多い。やっぱり値切るのはお国柄であろう。「ハウマッチ?(いくら?)」と聞くと、「ハウマッチ?(いくらなら買う?)」と聞いて来る。わたしは面倒くさいので、この手の店には寄らない。値切る手間を惜しまない人だったら、いい買い物ができるだろう。残念ながら、このマーケットは観光客主体なので、あまり安くない。うっかり値段表示の無い野菜など買おうものなら、スーパーの倍くらい払うことになる。しかし、いい点は800メートルほどの一直線の道路の両側に露店が出ているので、まず行きは値段を比較して、戻るときに一番安かった店で買うということが可能であることだ。

普段はイギリス人の多いマーケットであるが、先週の土曜日(3月26日)はいつもよりスペイン語が多く聞かれた。やっぱり、イースターはスペイン人の休暇シーズンなのだろう。

日本語見つけた

2005-03-18 18:46:11 | スペインの生活
昨日(3月17日)は夕方美容院に行った。これまでずっとイギリス人の訪問美容師・マンディーのお世話になっていたが、彼女が出張訪問をやめて、美容院を開店することになったので、今回初めて新しいお店に行ってみる。トーレビエッハという近くの町のちょうど外郭に当たる新興住宅地に位置する。建物自体がまだできたてで、美容院のほかにはアイリッシュ・パブしか開店していなかった。近々、イギリス食料品店と眼鏡屋と持ち帰り専門のピザ屋がオープンするそうである。隣のアイリッシュ・パブは、セント・パトリックス・デー(アイルランドの守護聖人・聖パトリックの祭日)だと言うのに、がらがらであった。まだ新しいので、顧客が定着していないのだろう。セント・パトリックス・デーには、ギネスの名前入りのレプリカーン(アイルランドの妖精・ひげを生やしたおじさんであまり妖精らしくないが)帽をかぶった人たちやアイルランドの色である緑色の洋服を着た人たちがよく見られる。もっとも、この時間はまだ早くて、このアイリッシュ・パブでも、8時半からアイリッシュ・ダンスの余興が予定されていた。


カットを終えて、美容院の近くの中華料理店に食事に行く。トーレ・オリエンテ(東方城酒楼)という。スペインと中国の間には歴史的つながりはないと思うのだが、なぜかスペインには中華料理店が多い。ペドロランド近辺でも、石を投げると中華料理店に当たるほどだ。直径1キロ以内に少なくとも11軒はある。スペインの中華料理はかなり大味だと思う。イギリスの中華料理と比べて、中華野菜の種類も少ない。イギリスだと、田舎町のテイク・アウェイ専門店でも、くわいや袋茸くらいは標準仕様であるが、スペインではせいぜいもやしとしいたけと竹の子くらい。

テーブルに着くと、つきだしのプローン・クラッカー(えびせんべい)が出てくる。なんと皿には日本語で「おいしい」と書かれていた。プラスチックの皿だが、裏を見ると、メード・イン・タイワンとある。こんなところで、日本語を見かけるとは思わなかった。このへんの中華料理店で、日本料理も出すところは少なくない。2回ほど中華料理店で寿司を食べたことがあるが、1軒目はまあまあ。限られたネタでがんばっているなあという感じだったが、2軒目は寿司飯は甘いし、マグロは灰色で気味が悪かった。この店では、日本食は前菜の野菜の天ぷら(と言っても、たぶん中華風の衣なんだろうけど)と味噌汁(スペイン語メニューにはソパ・デ・ミソシル、英語メニューには、ミソシル・スープと書かれていた)だけであった。



22年ぶりの厳冬

2005-03-10 18:16:39 | スペインの生活
先週の土曜日から晴天が続き、やっと天気が安定してきたというのに、風邪をひいてさえない生活を送っている。先週は、晴れたかと思うと、次の日は雨降りで寒く、その次の日は晴れて暖かいという調子であった。日によって10度近く違うこともあれば、昼と夜とでも10度以上温度差がある。同じ晴れた日でも、一歩日向から室内に入ると、これもまた10度以上の違い。そんなわけで、風邪をひくのも不思議はない。

今年はすでに4度目も寒波に襲われているということで、2月は、バレンシア州では22年ぶりの寒さだったと言う。アリカンテ市(ペドロランドの55キロ北)では、1956年以来の低温を記録したそうだ。さすがにこの近辺では雪は見られなかったが、ペドロランドより南のアルメリアなどでも、雪に封じ込められた地域もあるらしい。今日(3月10日)は、そんな寒かった冬も終わりかと思わせるようなぽかぽか陽気である。日向は暑いくらいだ。暖かさに誘われてか、今年初めてミツバチの姿も見られた。

陸揚げ

2005-03-05 00:48:52 | スペインの生活
残念ながら、昨日はマグロはなかった。マグロが獲れると、船に備え付けられたクレーンで陸に揚げる。前に夫がやはり漁船を見に行ったとき、同じ場所で日本人男性に会ったと言う。この人はここを拠点とする漁船を所有していて、マグロを日本やロンドンに輸出しているということだ。ちょうど、そのときはマグロが獲れて、魚の鮮度を量っているところだった。この日はこの人にもマグロにも会えなかったが。