ペドロランド日記

スペインの国際村「ペドロランド」を中心にフランスとイギリスに発信地を移しながら、日々の出来事を綴っています。

スペインで待っていたのは…

2005-10-21 04:02:19 | スペインの生活
10月11日にイギリスを出発し、フランスで5泊した後、16日の夜、スペインの我が家に到着した。まず最初に気がついたのは、電話が不通であるということだ。

近所の人に聞いてみると、電話は使えると言う。我が家だけのようだ。3ヶ月使わなかった間に電話線を切断されてしまったのだろうか?しかし、利用していないとはいえ、毎月ADSL料金39ユーロ99(約5,500円)セントを含む66ユーロ(約9,000円)以上を口座引き落としで支払っているのだ。しかも、銀行口座には十分な資金があるので、料金未払いで接続切断ということはありえない。

翌朝一番で電話会社に電話をする。3時間ほど経って普通の電話のほうは使えるようになったが、ADSLのほうは依然不通である。普通の電話線とは担当が違うということで、別の電話番号に連絡するが、こちらは英語を話す人がまったくいなくて、とりあってくれない。スペイン語でADSLの接続がないと言っても、それでは十分ではないらしくて(コンピュータの電源が入っているかとか、モデムの色は?とか、会話をしたいらしい)、カスティリヤ語(標準スペイン語)のわかる人を呼んで来いと言う。

やはりADSL関係で過去3回ほどお世話になっている通訳のルイーサに助けを求める。午前中は誰かの病院訪問に付き合って不在ということであったが、午後になって連絡がとれた。ルイーサはイギリス人の男性と結婚して、息子さんもイギリスに住んでいるということで、ちょくちょくイギリスに帰るそうである。過去3回ほどイギリスから帰ってきてみると、電話接続が切断されていたということがあったそうだ。いない間に何かの事情で電話線が不通になり、苦情が来ないので放っておかれたのではないかとこれまでは思っていたらしいが、われわれの例を聞いて、たぶん電話を使わないでいると電話会社は接続を切断するのではないかという結論に達した。確信犯である。

留守中に残されていた電話会社からのスペイン語のテープの伝言をルイーサが聞いてみると、最近ADSLを使っていないので、切断するという通告であった。わたしたちがスペインを出発したのが7月7日の夜で、この伝言が残されたのが8月25日であるから、わずか1ヶ月半ほどで、わたしたちはインターネットを使っていないからADSLは必要ないと判断されたわけである。が、しっかりその後も口座から料金は引き落されていた。

電話を使わないでいると切断するというのが御社の方針なのかとルイーサが聞いてみたようだが、のらりくらりとかわされてしまったと言う。結局24時間以内に再接続するということで話がおさまった。

が、24時間経ってもADSL接続は復旧しない。翌日またルイーサに電話をしてもらった。その翌日もだめ。再度ルイーサに電話をしてもらうと、「中央局での接続をチェックをするように」という最初に電話を受けた人が通信技師に回したメモがそのまま置き放しになっていたという。4日目(今日)の午後4時すぎに地元の通信技師から電話があって、我が家に来るという。

来るなり、モデムが壊れていると言う。わたしは怒りましたね。モデムに問題はない。あんたたちが勝手に接続を切断したんじゃないかー。実は、モデムが壊れているというのは、テレフォニカ(スペインの公営電話会社)のよく使う手なのだ。結局のところ、近くの電話回線ポイントをチェックしてみたら、ADSLのケーブル2本のうちの1本が破損していたということだった。この技師、最後には冗談を言ったり、「ソーリー」なんて英語で謝って、握手までしていった。なんだか和気藹々とした雰囲気になってしまった。さんざん立腹させられたが、最後はなんとなく「いい人、スペインっていいなあ」という気持ちになってしまうのが不思議だ。

スペイン人に謝らせたのは、われながらすごいことだと思う。彼らは自分が悪くてもめったに謝らない。落ち度を指摘すると、逆ギレする人(特に若い女性)が多いので、スペイン人を相手に苦情を言うのは本当に難しい。普通は下手に出て、あなたのご協力なしには生きられませんとおだてるのが効果的なのだが、今回は強気に出て正解であった。

こんなわけで、スペインに戻ってからも4日間インターネットに接続できなかった。この間、商売のほうもあがったりだったのが、イギリスで最後にメールチェックをしてスペインに到着するまでの6日間のうちにすでにメールボックスは満杯になっていたと聞いていたので、1日も早く全部のメールを受信して、メールボックスを空にしたかったのだ。わたしにメールを出して届かなかったという皆様、そんな事情ですので、お許しください。今はメールボックスに十分余裕がありますので、もう一度送りなおしてみてくださいね。

うれしい発見は、庭のレモンの木に直径5~6センチほどの実がなっていたことだ。このブログでも以前に写真を載せたことがある。驚いたことには、オレンジの実がなっていた。過去4年間ずっとレモンだと信じていたのだが、毎年直径1センチくらいまで大きくなると実が落ちてしまっていたので、これまでオレンジだとは気がつかなかったのである。小さな木のわりには豊作なのだが、レモンでなくてがっかり。

それから、ゴキブリの死骸を台所の入り口近辺で発見した。ペドロランド近辺でもよくゴキブリを見たという報告が聞かれるのだが(もっとも、ドイツ人・オランダ人・イギリス人などの北ヨーロッパ人はゴキブリを見たことがないので、コオロギと間違えていることが多い)、我が家ではこれまで見かけたことがなかった。初めてのゴキブリ発見にショックを受けている。

郵便受を3ヶ月ぶりにチェックしてみると、そこにはアナからの礼状が届いていた。70歳の誕生日パーティーに来てくれたこと、プレゼントをありがとうという美しい手作りのカードだった。この封筒をわたしたちが開くときには、アナはもういなくなっているとは誰も予想しなかっただろう。

さよなら、イギリス

2005-10-11 02:40:10 | イギリスの生活
3ヶ月に渡った滞在を終えて、明日(10月11日)イギリスを出発する。まだ20度後半の気温が続くスペインで夏の残りを楽しむのが待ち遠しいと思っていたが、やっぱりイギリスを離れるときは、いつもなぜか名残り惜しい。特に昨日今日と、晴れて暖かな美しい秋の一日だったので、去るのがちょっと残念な気持ちすらする。

初めてル・シャトルを利用して、ユーロトンネルを通ってフランスに渡る。4日間ほどフランスで不動産の視察をした後、日曜日にフランスを出発し、その日の夜にスペインの我が家に到着する予定。ペドロランドはこの3ヶ月でどんなふうに変わっているだろうか。一つだけ確実なのは、もう2度とアナの姿は見られないということだ。

イギリスのみのもんた?

2005-10-09 00:03:36 | イギリスの時事
ときどき

ジェーミー・オリバー効果というのが今日(10月8日)の新聞に載っていた。ジェーミー・オリバーは来日したこともあるので、日本でもご存知のみなさんも多いであろう。テレビで人気のシェフ(料理人)である。気さくな好青年という感じでファンも多い。イギリスの学校給食をジャンクフードからもっと栄養価の高い健康食に変えようという運動を始めて、政治的な影響力すら持ち始めた。そのジェーミー・オリバーが、スーパーマーケットのチェーン・セインズベリーと契約をして、"Try something new today"という宣伝文句で、伝統の食品の一味違った調理方法をそのテレビコマーシャルの中で紹介している。

これが大ヒットで、最近のパスタにナツメグというコマーシャルでは、香辛料の売り上げが倍増、その前のソーセージにリンゴと蜂蜜というコマーシャルでも、それぞれの食材の売り上げが急増したそうである。スペインでも(ペドロランド近辺ではイギリスのテレビが見られる)、65歳のヨークシャ出身元潜水夫という、料理とは何の関係もなさそうなおじさんですら、「ジャージー・ロイヤル(新ジャガで有名なジャガイモの種類)にハーブとオリーブオイルを加えてオーブンで焼いたの、すっごくおいしそうだよね。ジェーミー・オリバーのコマーシャルを見たら、新ジャガを買いたくなっちゃったよ」と言っていたくらいなのだから、その効果はすばらしい。この夏は、アスパラガスのコマーシャルが放映された後、野菜の供給不足が起こったほどである。

ところが皮肉なことに、このジェーミー・オリバー効果の恩恵にあずかっているのは、巨額のギャラを払ってコマーシャルを作り放映しているセインズベリーではなく、ライバル・スーパーチェーンのアズダやテスコだということだ。コマーシャルを見て触発された消費者が実際に買い物に行くのは、アズダやテスコのことのほうが多いということなのだろう(個人的な見解だが、セインズベリーよりアズダやテスコのほうが安い)。それでも、セインズベリーではジェーミー・オリバー効果に
期待して、2年分のナツメグをすでに発注したと言う。

オランダ紀行(10)

2005-10-08 01:32:28 | 旅行
夜、アリーとトーシュと一緒に、去年連れて行ってもらったレストランに、オランダ最後の夕食をとりに行く。ヴァン・ダー・ヴォルクというチェーン店なのだが、安くておいしくて、サービスもとてもよい。

夫が注文した前菜のムール貝は殻を取って炒めてあったが、とても味付けがおいしかった(後のことを考えて、わたしは前菜はパスした)。メインコースはステーキ。わたしは、ステーキはめったに注文しないのだが、オランダのステーキは、アリーが自宅でご馳走してくれたのを含めて、どれもおいしかった。肉自体にもうまみがあるが、オランダもベルギー同様、ソースで食べさせる料理が多い。自分の好きなソースを選べる。アリーが注文したムール貝には、何種類かのソースがついてきた。

最後のデザートは前回同様、グランド・フィナーレというパフェで締めくくった(写真。バックに写っているのはアリー。花火付きである)。これは2人分なのだが、アイスクリームに生クリーム、底にはたっぷりいろいろな種類の果物が入っていて、4人でも食べ切れなかった。

「オランダは食べ物がおいしいね」とわたしがアリーとトーシュに4日間の感想を述べたら、「ベルギーはもっとおいしいよ」と2人が答えた。グリさんのご意見は正しいようです。

翌日は、トーシュが朝から出勤で、アリーが朝食を用意してくれる予定だったのだが、11時過ぎまで待っても現れない。雨が降っているので、道路が混むと困るので、早目に出発することにした。置手紙を残して、アリーの家を出発する。翌日電話で話したところによると、朝二度寝したら、すっかり眠り込んでしまったのだそうだ。こうして、5日間のオランダ旅行が終わる。

やっぱりオランダは人がすばらしい。とにかくフレンドリーだ。ヴィムのパーティーでも、あらかじめスペイン関係で数人の人たちは知っていたとはいえ、全くの初対面の人も会話に加わって、とても楽しい集まりとなった。また、オランダを訪ねたい。

オランダ紀行(9)

2005-10-08 01:14:35 | 旅行
9月25日(日)のオランダの天気はときどき

この日は朝食後、アリーとトーシュの別荘(ログキャビン)のあるキャンプ場に行く。閑静なところで、周りを野原と水路に囲まれている。昨年ちょうどわたしたちがオランダを訪れた時に買ったものだが、お値段は4万ユーロ(約550万円)だったとのこと。オランダには水路や運河・湖など水が多くて、ボートを持っていたら、あちこちを訪れることができる。夫はオランダに別荘を持つことに関心を抱き始めたようだ。

その後、ヴィムの60歳の誕生パーティー会場(彼がテニスに通っているスポーツセンターの中のバー)に行く。日曜日の午後3時~8時までというちょっと変わった時間帯のパーティー。もっとも、11時になっても、まだかなりの人が残っていた。常に片手に飲みかけのビール、もう一方の手に新しい満杯のビールのコップを持っていたので、写真を撮るチャンスがなかった。

おつまみを乗せた盆を持ってバーの店員が歩いて回っていたが、もちろんオランダ名物の生にしんも出た。特筆すべきは、アムステルダム名物のカレーコロッケ(なんとかボールというのだが、何度聞いても覚えられないし、発音ができない)。直径3センチくらいの球状のカレー味クリームコロッケなのだが、ひき肉が片隅にちょこっと入っているようだ。オランダ人自慢の一品らしい。

9月26日(月)のオランダの天気は

海辺のリゾート地に出かける。オランダの北海沿いの海岸や島のリゾート地は圧倒的にドイツ人観光客が多いそうだ。

海辺のカフェに入ると、ドイツ語でメニューが黒板に書かれていた。その1つが「エンドウ豆スープとベーコンを添えた黒パン」で、このスープはシュネルトとオランダ語で呼ばれ、オランダ名物だそうだ。黒パン(これはパンの概念をちょっと越えている。焼いてないのではないか?穀物がそのまま感じられる、ぼそぼそしたドイツ風のパンだった)に添えられているのは、ベーコンとは言うが、生で食べられるところを見ると、ハムと言ったほうがいいかもしれない。スープにはソーセージや厚切りのベーコン、いろいろな野菜が入っていておいしかった。エンドウ豆がピューレ状になっているので、お腹もいっぱいになる。北海からの風が冷たかったこの日にはぴったりのランチ。

オランダ紀行(8)

2005-10-08 00:51:31 | 旅行
アムステルダムのヨルダン地区にあるカフェ・デ・ソン(Cafe de Zon)に行く。4人でビールを飲んでいると、市場での仕事を終えたヴィムが加わり、さらに仕事を終えたトーシュとアリーの友達のマリオとその奥さんのイングリッドが加わる。

写真はカフェ・デ・ソンの天井に飾られたアーセナルのユニフォームで、夫が寄付したものだ。去年ここを訪れたときにアーセナルのユニフォームがないとカフェの女主人に苦情を言ったら、それなら寄付してちょうだいと言われたので、その後、スペインでヴィムに会ったときに、ユニフォームをカフェ・デ・ソンに持っていってもらった。

カフェを去るときに、その女主人に「また来年ね」と声をかけられた。オランダ旅行は年中行事になるだろうか。

この後、アルゼンチン料理店で食事をする。アムステルダムでは、アルゼンチンのステーキハウスがとても多いそうだ。土曜の夜のアムステルダムはどこもにぎわっていた。

ヴィムとレーニーで車でアリーとトーシュの家まで送ってもらうが、「アムスに来たら、絶対に赤線地帯を見なくちゃだめ」とレーニーが言い張って、車で飾り窓の女たちを通りすがりに見た。




オランダ紀行(7)

2005-10-06 17:54:11 | 旅行
油屋に立ち寄る。レーニーのお気に入りの店らしくて、レーニーとアリーがにんにくをつけたオリーブ油を買う。「コルドバ」「シシリー」など産地の名前が書かれた金属製のオリーブオイルの樽が店内に並び、注文すると好みの量だけ瓶に詰めてくれるようだ。油だけでなく、各種調味料も置いてある。ミツカンのすし酢・米酢やキューピーマヨネーズも並んでいた。

チーズを売る露店が並ぶマーケットをのぞき(レーニーがペストを買った。味見させてもらったが、なかなかおいしかった)、ヴィムの店があるヨルダン地区のマーケットに行く。ヴィムに声をかけ、ベトナム料理専門の露店でベトナム風揚げ春巻を買って、食べる。ソースが辛かったが、具がたっぷり入っておいしかった。

週末の海辺

2005-10-06 17:42:04 | イギリスの生活
オランダ紀行を一休みして、日曜日にちょこっとドライブに行って来たハーン・ベイ(Herne Bay)の写真を。

典型的なイギリスの海辺のリゾート地の小型版。フィッシュ・アンド・チップス屋、ゲーセン、ロック(棒状の飴)を売る土産物屋、ベッド・アンド・ブレックファーストなどがある。もちろんピア(遊歩桟橋)もあるが、昔からのピアは海辺から離れた海の中にぽつんと残されて、朽ち果てるがままになっている。新しいピアはスポーツセンター。

イギリスもいよいよ寒くなってきた。最高気温は18度程度。朝晩は暖房がいることが多くなった。来週の火曜日にはイギリスを出発し、途中フランスで数日過ごした後、スペインに帰る予定。