ペドロランド日記

スペインの国際村「ペドロランド」を中心にフランスとイギリスに発信地を移しながら、日々の出来事を綴っています。

60年代パーティー

2005-08-25 01:08:41 | イギリスの生活
のち先週の土曜日に、知人の誕生日パーティーに行った。この日のテーマは60年代。服装規定は、ロッカー、モブ、ヒッピーとのこと。最近、イギリスはこの手の仮装パーティーが人気のようで、先日はフランスがテーマのパーティーもあった。わたしたちは出席しなかったが、出席した友人は三銃士の格好をして参加したそうである。貸衣装屋に行ったり、この日のためにみんな気合が入っている。アラン(写真右)はわざわざインド人の経営する洋服屋まで行って、この日の衣装を購入してきたそうだ(さすがに、仮装パーティーに着ていく服がほしいとは店主に言えなかったそうな)。

音楽はもちろん、ビートルズ・ローリングストーンズにキンクスなど、すべて60年代。この時代にはまだ生まれていなかった人たちまで含めて、大合唱となる。中高生の頃に、歌詞カードを見ながらビートルズの歌を覚えておいてよかった。昔耳で聞いたまま覚えた言葉が今になって意味を成してくるのは不思議である。「掘った芋いじるな」が「今何時?」に聞こえてくるようなものだ。

途中でベスト・ドレッサーの発表がある。女性は、サイケデリックなミニのドレスに身を包んだルイーズ(写真中央)。男性は、ヒッピーの格好をしたわたしの知らない人だった。ちょっと普通。わたしだったら、ぜひともオースティン・パワーズに一票入れたかった。入れ歯まで(これも貸衣装屋で借りてきたのだろうか?)用意して、本人そのものなのだ。

ダンスに興じる人が増え、だんだんに会場(パブの地下を貸し切った。専用のバーもある)の熱気は増してくる。ジャケットやかつらを脱ぐ人が増えてきた。最後はあまり仮装パーティーっぽくなくなったが、楽しいパーティーだった。

ピアノマンのその後

2005-08-22 18:37:46 | イギリスの時事
ときどき今、地元ケントのラジオ放送で聞いたニュース。日本でも有名になったピアノマンはダートフォード(わたしが以前住んでいたビーン村の近く)の病院を退院したとのこと。この人が発見されたのが、ケント県のシェピー島(島と言っても、川に挟まれた大きな中州のようなところ。ここは、島の外との交流があまりない住民が多いといわれ、ちょっと伝説的な場所)だったため、ケントではよくニュースになった。国外でも話題になり、ハンガリーでは有名なピアニストではないかという説もささやかれ、本人があわてて、自分ではないと記者会見をしたそうな。

4月以来長い沈黙を破って、ついにこの人が話したところによると、ドイツの出身でパリで働いていたが失業したので、故郷に帰る途中でイギリスをさまよっていたということだ。やっぱり謎の多い人である。

コベント・ガーデン

2005-08-22 18:22:50 | イギリスの生活
この後、コベント・ガーデンまで歩く。ピカデリー・サーカスもトラファルガー広場もコベント・ガーデンも、爆弾騒ぎもなんのそのという賑わいである。特にコベント・ガーデン付近では、金曜日ということもあって、仕事を終えた若い人たちが、雨の上がったばかりのパブの外で飲んでいる姿がよく見られた。

「ラ・タスカ」というタパスバー・スペイン料理店に行って、友人たちに会う。わたしがイギリスに帰るたびに集まる日本女性ばかり14人のグループだが、今回集まったのは11人。料理はどれもおいしかった。特にパエリャは具もたっぷりで二重丸。でも、店内に流れる音楽のボリュームが大きくて、それに負けずと話をする客たちや、奇声をあげる若者グループなどがいて、静かに会話を楽しむのにはあまりふさわしくない。コーヒーは別の場所で飲むことにした。

ロンドンにお出かけ

2005-08-22 18:12:27 | イギリスの生活
ときどき金曜日は、午後からロンドンに出かける。かつてロンドンの会社に勤めていたときに一緒に働いていた友人たちと会うためである。この日はあいにくの雨降り。午後7時くらいまで、ほとんど1日中雨だった。

ピカデリー・サーカスの日本食料品店で日本食を買い込む。ペドロランド近辺では日本食は中華料理店で食べられるものの、食料品が手に入らない。ロンドンに来るといつも買い込んでおくのが、カレーのルー。今回はロンドンでラーメンを食べる機会がなさそうなので、インスタントのラーメンも買ってしまった。乾燥わけぎと乾燥ネギをいただいたので(ほんとうに便利なもの)、久々にラーメンを作って食べるのが楽しみ。ラーメンはあまり日本食を食べない夫も大好きな一品だ。

ピカデリー・サーカスから友人たちと会うコベント・ガーデンまで歩こうと思ったら、いつの間にかトラファルガー広場に出てしまった。

地震とイギリス人

2005-08-19 20:18:03 | イギリスの時事
月曜日にドイツから帰ってきてから(この旅行については後で写真を含めてアップする予定)、ずっと25度以上のいい天気が続いていたのだが、今日はついにその天気も崩れて雨降り。これで夏も終わりか??

日本の地震については、こちらのニュースでも話題になっていた。おととい(8月17日)のタブロイド紙を見たら、たまたまニューカッスルのラグビーチームが来日中で、ジョニー・ウィルキンソン(ラグビーのワールドカップでドロップキックを決めてイングランドを優勝に導いた国家的英雄。一時期一世を風靡した)も地震に動揺したというニュースが載っていた。彼らが滞在していた東京では、震度はどのくらいだか知らないのだが、"traumatised"(心に深い傷を負った)とか、えらく大げさな書き方だった。地震のたびにいちいちトラウマになっていたら、日本には住めないぞ。

もっとも、イギリスでは体感できる地震はめったにない。去年だったかおととしだったか、イングランド中央部のダドリーというところで、地震があって、大騒ぎであった。スペインのペドロランド近辺は元火山帯で、地震のあるところなのだが、やはり2~3年前にちょっとした地震があった。地震というものを知らないイギリス人やドイツ人は家から飛び出してきて、「今のはなんだったの?」と聞く。「地震よ」と言うと、えらく感動していた。

今年の1月29日に、ペドロランドから遠くないムルシアでもわりと大きい地震があった。地震が多いにもかかわらず、この地域では耐震構造とか建築面での予防策が全くなされていない。そこで、このときも物的被害が大きかったようである。でも、この地域を地震の多い地域として認めてしまうと(被災した家には補助金が下りるのだが)、北ヨーロッパの人たちがこわがって家を買わなくなるので、政府に認めさせないよう建設業者が圧力をかけているのだそうだ。利益が先か人命が先か。本当にスペインの建設業者はがめつい。

久々のロンドン

2005-08-06 22:22:21 | イギリスの生活
昨日(金曜日)は、仕事の用事でロンドンに行った。今年の1月以来、久々のロンドンである。

天気は、雨のち曇りときどき晴れ。最高気温は22度。ぶるぶる・・・。それでも、例年並みというから、イギリスの夏は涼しい。でも、タンクトップにバミューダパンツの女性の姿も少なくない(かと思うと、その横を毛糸の帽子をかぶってオーバーコートを来たおばあさんが歩いていたりするのも、イギリスなのだが)。

今でもこんな車両(写真)があるんでしたね。イギリス独特の、外からしか開かない旧式ドアである。その昔、リッチな方々が旅行をするときには、必ず召使が到着地で待っていたので、自分で内側からドアを開く必要がなかったのが原因という説をどこかで読んだことがあるが、これは二等客車(正確には二等とは言わずに、スタンダードと呼ぶが)。現代の安全規格にはふさわしくないので、窓には横棒が張り渡され(「あなたの安全のため」と書いてある)、内側からもドアが開くように錠がついている。さすがに最近は自動ドアが増えて、このタイプの旧式車両は減ったが、それでも、ロンドン郊外行きの急行列車などにときどき見られる。以前ロンドンに住んでいた頃、一駅だけこの手の電車を利用したことがあったが(当時は旧式そのもので、内側に錠がなかった)、もし万が一窓が下がらなくて(こういうことがよくあった)、外側に手を回してドアを開くことができなかったらどうしようとよく不安に思ったものである。その駅で降り損ねると次の駅に到着するのは40分後だ。

ロンドンの駅はどこも、入り口、構内、プラットフォームとあちこちに警察官の姿が目についた。でも、それほど緊迫した雰囲気はない。仕事帰りの通勤者たちに、「ご苦労様、よい週末を」と声をかけている警察官がいて、ちょっといい気分になった。